「勇気とは決意ではない」

日本刀を構え、金髪の侍、悪バウマンはゆるやかに円弧をすり足で描きながら言った。

「現実において、勇気を決意するときには、もう、遅い」

悪バウマンは青い目を半眼にしてルガーを向けるふみこと対峙する。

「チャンスはいつも一度きりで、一瞬しかない」
「呼吸をする時、起きたとき、食事をするとき、寝るとき、死ぬとき」

バウマンは、数え上げ、そして優しく、光太郎を見た。

「勇気という見えないものをいつも身に纏うものだけが、勇気を着るものだけが、誰よりも早く行動を開始する」

「どういうことだ」
「こういうことだよ」

バウマンは、呆然と座り込む小夜を城の外へ蹴り落した。

落ちていく。



玄乃丈と金が目を開いた次の瞬間、光太郎はほぼ垂直の城壁を走って降り出した。
風圧で髪が浮かび上がり、頬の肉がひきつる。

落下していく小夜に駆け寄り、手を伸ばした。

目を開いてその瞳に地球重力と戦う少年の暴挙を確認すると小夜は、手を伸ばした。

指を絡め、光太郎は小夜を引き寄せた。
落ちていく。

暗闇のような小夜の髪に紛れながら、光太郎の目が爛々と光った。

上から見下ろしながら、バウマンは嬉しそうに笑った。

「ひどい蛮勇だ。だがあの少年は勇気を着こなしている」
「そうね、私の男だもの」

普通ならぶざまに手足をばたつかせて城壁に手を伸ばす状況。
だが光太郎は轟然と顎をあげて落下する運命をにらみつけた。

ブレーキ。否!

光太郎は、さらに加速をつけて駆け降りる。
光太郎の肩にまわされた小夜の手に、力がこもった。

わずかなでっぱりを踏み台に、飛ぶ。

地面に背を向け、ダイナマイトを取り出す。
導火線を歯で食いちぎり、短くすると火をつける。
背中越しに投げた。

爆発。
御札がばらまかれる。

「コータローさんは爆風でブレーキをかけました」
「心配してないさ。俺は」

帽子を被り直して表情を隠しつつ、玄乃丈は肩を落した。
やれやれ、あの坊やには大人の常識と言うものを教えなきゃならんな。

「この場は、あのお嬢さんに任せて、城の中心部に行くか」
「ふみこ、さんですか」
「ああ。なんで顔赤くなってるんだ」
「いえ」



「心遣いに感謝する、あの少年に殺しは似合わない。たとえこの老いぼれを殺すのでも」
「気にしなくてもいいわ。私もそう思うもの。侵して殺すのは軍人の仕事よ」

ふみこは、ルガー拳銃を持ち直した。

「身体をどんなに繕っても、私の心までは若くないことを感じる。魔術の力で若返った今では、なおのこと」
「そうね」

そうしてつぶやくと、ふみこはずいぶん歳を取っているように見えた。

「私が若ければ、このようなことをしなくても、妻を追って死ねたかな」
「知らないわ。あなたの人生だもの。私が言えることは、それでも朝は来るのよ。間違いなく。あなたが老いて死ぬように、新しい時代がやってきただけ」
「いい時代になるかな」

「知らないわ。そんなことは、本人達が決めることよ」
「…そうか」



バウマンは恐ろしい速さで踏み込むと、日本刀を振り切った。
ふみこが撃ちこんだ銀の弾丸を両断し、さらに一歩踏み込んで飛びのくふみこに白刃を近づけた。
ふみこが被る帽子のつばが切れる。

「だがゲートは開く! そして妻は蘇る!」
「だが魔法は終るのよ。ここから先はただの人間の時代。死者は死の国へ、過去の神々は過去と忘却の国に帰りなさい」

ふみこは切れた帽子の合間から涼やかにバウマンを見た。

バウマンが再び放つ日本刀の冴えを見切り、避ける。
今度はふみこの右袖が切れた。
細い腕が露になり、血の筋が流れる。

ふみこは笑ってバウマンの日本刀を拳銃で撃ちぬいた。肉を切った瞬間、刃の速度が遅くなっていた。
続く脇差しの攻撃を、拳銃の背で受け流し、ピンヒールを腹に叩き込む。

「人殺しの技術がなってないわ」
「元が役者でね」

バウマンはタフに笑うと、ふみこの針金足を掴んで壁に叩き付けた。
巨大な武者ゴーレムが現れる。

「勝負は魔術でつける」
「そう。でもゲートが開いて魔術を使えるのは、貴方達だけではないのよ」

痛みを無視して立ち上がる。

ふみこは眼鏡を取ると、拳銃を捨てた。

「月が満ちる。今宵一時だけ、ひさしぶりの神々と魔術の時間がやって来た。……いいでしょう。この最後の輝きに、私もまたおどりましょう 殺してあげるわ、徹底的に」

瞳の色が変る。詠唱が開始される。

「偉大なる青にして青の王、純粋の炎ゆえに青く輝く最強の伝説、全ての力を従えし万物の調停者の御名において、青にして空色の我は万古の契約の履行を要請する!」



ふみこは派手に床を踏み鳴らした。
何千tもの重さが打ち付けられたような音が響く。

「我は王の悲しみを和らげるために鍛えられし一振りの剣、ただの人より現れて、歌を教えられし一人の魔女!」

ふみこは堂々とガンプ・オーマの戦いの口上を告げた。それは偉大なる原初の魔術であった。

「我は招聘する精霊の力!我は号する天空を砕く人の拳!」

ふみこの右腕が青い残像を残して輝いた。
青い輝きが拳に集まる。
足元が巨大な重圧で潰れ、クレーターを作る。

「我が拳は天の涙!」

ふみこは輝く拳を突き出した。

「我が拳は天の悲しみ!」

そして優しく拳を顔に引き寄せた。
編んでいた髪が解け、伏せたふみこの顔を隠した。
顔をあげ、絶大な力とともに飛翔する。青い輝きが翼になる。

「勅命によりて我は力の代行者として魔術を使役する! 完成せよ 精霊手!」

「異世界の魔術か!」

ただ一撃で武者ゴーレムの肩を打ち砕き、ふみこは告げた。

「本当の世界の力よ。遠い昔に砕け散り、今、新しい世界のために使われる力よ」

右腕に宿る何億もの青い輝きが吠えた。光が乱舞し、プロミネンスをあげる。

精霊は新しい世界を望んでいた。神々も魔術もない明日を。
そして精霊手はゴーレムの剣を叩き折る。

「私は一人の女として、あの少年が作る新しい世界を見てみたい。そのために魔術が滅んでも、だから、どうしたと思っている。貴方なら分かるでしょう?愛ってそういうものよ」

そういうと、ふみこはその輝く拳で武者ゴーレムとバウマンを粉々にした。
なんの迷いも、恐れもなかった。

「楽しみなのよ。明日が。私は今、醜く老いさばらえたいと思っている」