その新幹線が到着したのは真夜中のことである。

 乗客はひとりだけ。祭祀の衣装を身につけた一人の少女だった。

 寂しそうと言うよりも静かで、静かというよりも凛と張り詰めていた。
乗降口には私服警官が並んでおり、少女の登場と共に一斉に敬礼をおこなった。

 その急な動作に怖れることもなく、少女はまっすぐと進み、出迎える長官を見る。

 長官とその部下は、土下座をしていた。
「このたびはお呼び立てした失礼、我が命にてあがないし所存であります」

 傍らには、靴が並んで置かれている。深く曲げられた腕は、震えていた。

 なんの表情もなくその様を見下ろし、少女は口を開く。夜のような黒い髪をしていた。

「ヒノカグヅチは巫女を派遣しました」
「まことにありがとうございます。なんといってよいか」

「古からの古法。それだけのこと。ただびとが気遣う必要も、感謝する必要もありません。私はただの巫女。ヒノカグヅチに仕える」
「は、はあ……」

 少女は、表情をもっていないかのようだった。
 ようやく少しだけ顔をあげた長官は、少女のその双眸の奥に、底知れぬ深淵を見る。
それに気付かぬようにして、声をあげた。
「お名前をお聞かせくださいませ」 
「巫女に名前はありません。どうしても識別が必要なときは小夜と言います。結城小夜と」
「は」



 長官が再度頭を下げた瞬間、小夜は表情を変える事もなく、手に持った払い棒で長官の頭を打った。
 血が吹き出る。
 脳漿を飛ばしながら長官は笑い、後ろに飛んで下がった。

「なぜ気付いた?」
「依り代の最後の意志が、私に殺してくれと懇願していました」
「は、このブタは最後の最後で警官だったわけだ。不倫もすれば、お前の身体に欲情さえしていたのに」

「ヤタ」
 小夜はなんの表情も浮かべずに手を横にあげた。その肩の上に光の鳥が現れる。

「こいつにはお前と同じくらいの娘がいるぞ」
 光の鳥はその翼を剣として、小夜の周囲を廻り始めた。それは彼女の心を守る鎧のようであった。

 なんの表情も浮かべず、小夜は飛んだ。
 周囲の警官が動くより早くその横を走りぬけ、光の鳥を用いて逃げる長官ごと新幹線の車体を両断してみせた。



 玖珂は時々夢を見るときがある。

 ひどくはにかみやの娘が、自分に微笑んでくる夢だ。
 玖珂も女は嫌いではない。どう扱って良いか分からないだけの話である。

 夢の中での玖珂は、いつもうまくいっている。
 どうやったんだ、教えてくれ。夢の中の自分にいいたいときもあるが、どういうわけか夢を見ているときはそのことを忘れているのだった。

 夢の中の娘は、今やあられもない格好をして玖珂に顔を近づけていた。
 はにかみやがそんなことするのかと思わなくもないが、まあ十五の少年の頭の中身としては妥当な内容とも言える。

 右手が、無意識に剣鈴をもとめて動いていた。

 次の瞬間悲しそうな白にして白亜の顔が浮かんだ。万の色旗が立つ戦場での再会だった。
「お前もそうなのか」
「オゼットとあまり変らない、幼い方だ。楽しいことがあっても良いと思う」
「この変態め。第7世界に落ちろ」
「はあ?」

 青にして群青ならぬ玖珂光太郎は目を見開いた。机に突っ伏したまま、その頭を教師の拳で抑えられていた。

「はぁ? じゃないだろう玖珂光太郎」
 クラス中が笑いに包まれた。 何人かの女子生徒は、あからさまな好意で玖珂の幼さが残る顔を見ようと身をひねっていた。

「よお、文ちゃん」
「先生だ」
「よお、文ちゃん先生」

 教師は笑った。 学ランを着た玖珂の上から下を見る。背、のびやがったなこいつ。もうチビじゃねえか。これだから教師はやめれねえやと考えた。
「お前のそう言うところ、俺は大好きだ。この際だから進級なんかせんで留年しろ、留年。来年も俺が面倒見てやるぞ。いや、再来週からの夏休みで補習と言うのもある」

 複雑な顔をする玖珂を、教師は嬉しそうに笑った。
「いやだったら授業を聞けや。おお、時間だ。今終ってないとバスが混むからな。今日はここまでだ、ホームルームするぞ」



 小夜は、精霊達の声に耳を傾けた。
その肩に光の鳥をとめ、眼下には群がる敵の死体で道を舗装していた。

「この領域の鬼はすべて排除しました。ただちに次の目標に移動します」
 もはや声もない警官の生き残りにそう言うと、小夜は何の表情も浮かべずに歩き出した。

 長官の隣で微動だにせず土下座していた参議は、顔をあげると、己のスーツについた上司の血を眉一つ動かず完全に無視して携帯電話を入れた。

「私だ、人類の決戦存在が敵の捕捉行動に出た。あれの行く先をすべて世界から封鎖しろ。……そう、すべてだ。邪魔なマスコミその他は排除しても構わん。この件に関しては現行規則は関係ない。私の決定が法だ。法を守れ」



 玖珂は帰り道でも人気であった。
 彼を仲間と呼ぶ男子学生が多かったからである。
 その日の帰り道も、玖珂は首をスリーパーホールドされたり、敗残者が肩組むようにしたり、大人気である。

「そうかぁ、まだ、家に帰れてないのかぁ」
「まあな」

 別の学生が、皮肉そうに笑った。
「あやまればいいんだよ」

 玖珂はその言葉に、急にすねたような表情になる。
「ハン!昭和生まれにどこの誰があやまるってんだ。 言っておくが、正しいのは俺だ。親父じゃない」
「そういう問題じゃねえだろ」
「お母さんから、時々携帯かかってくるんだろ。その時にあやまってくれと言えばいいじゃん」
「……お袋は関係ないだろ」
「嘘も方便だって言ってるんだよ」
「……嘘は嫌いだ。嘘だから」

 玖珂の表情を見て、悪友達は笑った。皆、玖珂のそういう処が好きだった。

 玖珂は駅を見ていた。
「俺、今バスじゃなくてJRなんだよ」
「そうなのか?」
「あん。じゃあな」

 悪友の一人が玖珂に声をかける。
「おい、コー。そんな調子じゃあいつまでたっても家に帰れねえぞ」
 玖珂は、気難しそうに笑って口を開く。
「知るか」
 そう言った。



拝啓
 壬生谷のおじさまは、お元気でしょうか。
 小夜は、今宵、命を賭けて戦うことといたしました。

 わたくしも、少々この国のあり方に疑問がないわけでもありません。

 ええ、それはもう。

 でも、思うのです。

 誰かがやらなければならないのではないかと。

 誰かが戦わねば、この国は死んでしまいます。

 この国には、まだ守るべき民衆がおります。

 私はそのために血を流して戦うつもりです。



 小夜は全ての感情を永劫の闇の中に捨てさると、巨大なシステムの一構成要素、ヒノカグヅチに仕える戦巫女として己に残された生命の炎を全力で燃やし始めた。

 血で舗装された道を歩き、手を挙げれば光の鳥が現れる。

 暗い闇を青白く照らす、それは光の鳥と、それを使う巫女の姿。

 電気を切断され、輝くことをやめた夜の街。

 絶望的な闇の広がりのなかで、光の鳥が巫女の周りを廻り始める。

 それは小さな灯りだった。吹けば消えそうな、小さな灯り。

「それでもないよりはいいのよ」

 闇に対抗する人類が最後に投入したのは、一人の少女であった。
 それは人類の意地であり、あがきであり、そして悲しみであった。

 光の鳥が、小夜を巡るように螺旋を描いた。
 細い足首が、細い腰が、国一つの命運を背負う小さな肩が、表情をすべて消した顔が、青白く浮かび上がる。

「新しい敵を検出しました。これより排除を開始します」

 小夜が、走り出す。