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 世界は、いつも最も分かり難い方法で世界を守ろうと画策する。
                         <D.A.ルグウェール>

 煙のあるところに新井木あり。
                         <中村光弘>
 

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 我らの新井木勇美ちゃん(14歳♀彼氏募集中)は、両手を広げて風に吹かれている。
チビすけと言われるその身体のいい所は、風に乗って飛んでいけそうなところだった。

「風邪、引くよ。教室の中に入らなきゃ」
 速水の声。

 風に吹かれながら、閉じた瞳を開く。
髪が、揺れた。
 視線の先に、少しだけ髪が伸びた速水が立っている。背も少し伸びた。

「もー。なによー!」
 新井木は、いい気分を台無しにされたとばかりに頬を膨らませた。
予想外の反応に面食らう速水。他人を気遣ってそういう顔をされるとは。

「ええ!?」
「せっかくいいところだったのに」
「……何が?」

 怪獣のように景気良く走る、チビすけになんとなく付いて歩きながら、速水は本気で尋ねた。新井木が大袈裟なため息をつく。

「もういい、女心とか風のことなんか、ゼンゼンッ分かってないでしょ」
「というか、僕には、君のほうが何を考えているのか分からないけどね」

「言うようになったじゃない」
「そうかな。でも、五月なのに寒いね」
「はー。ほんとバカね、厚志くん、例えばさ、こうして二人で歩いている所を、舞っちが見たらどう思う?」
 

速水はしばらく考えた後、嬉しそうに下を見た。
「まさか」

新井木は、手を伸ばして指を伸ばした。
 遠目に、ポニーテールを解いて髪の毛を膨らませた少女が見える。
「うわぁ!」
「ほんっとダイバカ」

 速水は、少しだけ照れた笑いをして、新井木を見た。
「ご、ごめん、行ってくる」
「ボクだったら、それも言わないですぐ行くけどね」

 速水は、そっぽを向いた舞のところへ半ば駆け出して、そこで足踏みした。
「ありがとう。それから、クラスの男が悪く言っているよ。自分のことをボクなんて言うから」
「そんなの好きに言わせればいいじゃない。なんでそんな奴のために自分を変えなきゃいけないわけ? ボクは、昔からボクと言っているもん、文句あるなら、この国の法律くらい変えて新井木さん、一人称変えて下さい。お願いします、くらい言ってほしいよね。結局見えない所で文句言う人は、そんな度胸もないんでしょ」

「……敵をつくるよ」
「細かいことに文句つける悪党は、たいした奴じゃないと思うけどね、ボク、ちゃんと権力者って奴を見分けられるもん。ちゃんとそういう人に取り入るから大丈夫ですぅー」
「権力者ね…」
「うん」
 新井木は、笑った。

「君達、偉くなってボクみたいな小悪魔さんが住みやすい世の中創ってよ」
「……分かった。約束しよう。我らは、言論の自由を保証する」
「よし!」

 速水は、真顔を微笑みにかえて、背を向けると今度こそ本当に舞の元へ走っていった。

 

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1999年5月11日(水) 強風
 
 

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「おい。狩谷、お前加藤と付き合ってるってほんとや?」
「……初耳だな。誰から聞いたんだい?」
「いや、…なんとなく。わりいね。いや、ほら加藤が売春しよっていう話があったけん、ひょっとしたらと思って」

 狩谷は、絶望を押し隠し、車椅子を少し動かした。顔をあげる。
「……、ふっ、は、まさか?」
「それもそうばってんね。いや、ひょっとしたらお前とデートしよっところば隣りの女子校生徒が勘違いしたとかねとか思ったったい。ごめんね」
「いくらなんでも、私服でも僕は見間違えないだろう。」
「それもそうね。」
「そうさ……ふふ、あはは」

 我らの新井木勇美ちゃん(14歳♀彼氏募集中)は、廊下で教室内のやりとりを聞くと、かなりムカツイて、教室の中に入った。

「ちょっと」
「なんや?」

 狩谷は、新井木に思いっきり車椅子の背を蹴られて、車椅子から転げ落ちた。

うわぁと叫んで、狩谷を助け起こす中村。
「なんばすっとや新井木! 狩谷は怪我しとっとばい!」
「知るかバカ! このデブ! そんなものがっ!言い訳になるわけないじゃない!」
「なんだそりゃ!」
「どきなさいよデブ! ボクは、そこのバカメガネに話しているんだから」

 起き上がろうとする狩谷が怒りで頬を染めた。中村を制して、這ったまま新井木を睨みあげる。
「……僕が、バカメガネだと?」
「そうよ! このバカ! 耳掃除して、ちゃんとききなさい! 死んじゃえ!バカ! あんた足臭いのよ! 毎日風呂入ってないの? その上性格まで悪くなるか! もう生きていく価値まるでナシ! ナッシング!」
「僕は君達と違う! 風呂に入るのだって、僕は介助が必要なんだ!」
「だったら! その風呂に入れてくれる手伝いを一生懸命している人を悪く言うな! バカ!」
 新井木は狩谷の背中を蹴って踏みつけた。

「あームカツクー!」
「……なんや、やっぱり付き合いよっとや、それよりやめれて。お前目茶苦茶ばい!」
「黙れデブ! このバカメガネは死んで祭ちゃんに詫びいれるべきだ!」

「……くそ、くそ……僕は、一度だってそんなこと頼んでない……!」
「こっちだって祭ちゃんに頼まれてねぇ、あんた蹴ってるんじゃないのよ!バカ、とにかくもうムカツクから蹴ってるの!あんたとまるで同じじゃない、あんたに文句をつけられる筋合いまるでないよ!」

 中村は、論理の目茶苦茶加減にくらくらしながら、とりあえず新井木を背中から羽交い締めしてひきはなした。

「触るな!腹に当たって気持ち悪い!」
「悪かったね。ええけんもうやめれて……俺がきいた噂にあたりさわりのにゃあ事言っただけじゃにゃあや。わりいね、狩谷、こいつ捨ててきたら、すぐ、戻ってくるけん。」
「だからバカなんじゃない! 世の中にはねぇ、当たり障りのないことが悪いときだってある! 軽い冗談で人が傷つくことがあるじゃない!」
「お前みたいな奴がおるけんね。分かった、分かった。とりあえず売店いこか」
「このセクハラ男! 離してよ!バカ! もう一回蹴る!」
「おい! 滝川!」

 教室から見える窓の外、廊下を歩いていた滝川が自分を指さした。
教室に入ってくる。白い帽子をかぶっていた。
「なに? 俺新型を見……うわぁ!」
「悪いばってん、介抱してやってくれ。」
「狩谷相手にケンカするなよ……昔の俺じゃあるまいし。」
「ヘン! 僕はバカゴーグルよりも頭いいですぅー!」
「……なんとなく原因は分かった。任せろ中村!」
「頼んだ滝川!」

 中村は、深いため息をつくと、新井木を担いで歩いていった。
 

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 狩谷をどうにか車椅子におさめて、膝をついた滝川は心配そうに狩谷を見た。
白い帽子が、目にかかってくるので引き上げる。

「大丈夫? 俺、消毒液取りに保健室にいってこようか」
「……いや、いい。すまなかった」
「いいって」
 滝川は嬉しそうに笑うと、表情を沈ませて、帽子を深くかぶり直した。
「そういえば、ゴメン、俺、前にひどいことした。速水が泣いてなかったら……俺」
「いいさ。新井木より痛くなかった……あいつと同じだなんて、最悪だしね」
「……ゴメン」

「それより、聞いていいかな」
「何?」

「加藤があやしいバイトをしているって噂だけど」
「ん、まあ、それはまあ一応そういう噂だけはあるけどな」
「それは違うって、みんなに言ってくれ。そんな暇はないって、なぜなら、僕の家に毎日きているんだから」
「おお? それマジ? 付き合ってるの?」
「ああ。付き合ってるわけじゃないけどね。僕の介助をしてくれているんだ。将来福祉関係で働きたいって」
「そうか……へへ、あいつイイヤツじゃん!」
「おせっかいだけどね」
「へへっ、いいじゃん。それぐらいよ。かー、俺の所にもロボット好きな女の子来てくれないかなぁ」
「ふふ」
「あれ、目どうしたの」
「なにが?」

 滝川は、ブラウンの瞳で、狩谷の瞳を見た。
「んー、なんか赤くないけど」
「さすがの狂犬新井木でも、僕の眼球に出血させるようなことはしないよ」
「……そうか、ま、いっか。よかったジャン!よーし!新型見にいこうぜ、新型!」
「僕が整備することになるのかな」
「さあ、陳情したのは速水だけど、単座だったら確かに一番機になるんじゃないかなぁ」
 滝川は笑うと、狩谷の車椅子を押してびゅーんと言った。
 

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 我らの新井木勇美ちゃん(14歳♀逃亡中)は、荒い息を殺して静かに目を開いた。
暗い室内に入ったので、目がおいつかなかったのである。

「なんやなんや、そんな走ってきたん?」
「ボクはいつも走っているけどね。だって、歩くのは人生もったいないもん。」
「いさはいつも元気ええなぁ。」
 小隊長室で背を向けて書き物しながら、加藤は笑って言った。

「そう言えば、委員長いないね」
 新井木はそう言うと、加藤が振り向くのを待った。

「あ、あんな。」
「何? そう言えばさ、今日だっけ。新型が来るのは」
「あ、いや、そういうことやないねん……あんな、その、ファーストキスっていくらで売れると思う?」
「あははは、バカじゃない祭ちゃん。今時そんなの、いくらにもなんないよ」
「そ、そっか。そうやな…あははは!」

 新井木は、汗で顔に張り付いた髪を指でどけると、笑って嘘を言った。
「さっき確認したんだけど、狩谷って、欲求不満だよね」
「……え? な、なんのこと?」
「……またまた蛇の生殺しー」
「ちょっ、ちょっと、な、なに、なんやねんそれ」
「あ、そー」
「ちょっと」
 いじわるな笑みを浮かべて外に出ようとした新井木の腕を取って、加藤は顔を近づけた。

「そんな風に押し倒したら? きっと喜ぶよ」
 加藤は手を離すと、握り拳を作った。

「な、なんやねん!突然!」
「いくところまでいかないと、あの歳頃のバカって何もわかんないのよねー」
「なっちゃん、いさに何か言ってるの?」
「知りたい? でも、教えない。知りたかったら直接話せば?とりあえず押し倒して。幸い、相手動けないから逃げられないし。」
「いさ……あんた言うてること目茶苦茶やで」
「目茶苦茶なのは祭ちゃんだと思うけど。……狩谷のこと、実は何も分かってないんじゃない?それでまあ良く、理解者ぶれるね。時々自分がバカだって思わない?」
 加藤の顔が朱に染まった。
まっすぐな瞳で、新井木が加藤を見返す。
「はっきり言うけど、祭ちゃんはボクを怒れないからね。なんたってボクは恩人なんだからね!」
「お、恩人?」
「そう!」
 新井木は、胸を張って堂々と言うと、もう次の処へ向けて走り出した。
小隊長室を出て、光の中へ走っていく。
 

 加藤はしばらく新井木の後ろ姿を見送った後、ドアを蹴った。
「……もー! なんやねん! 気になるやんか!」
 

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 中村光弘(15歳♂追跡中)は、ずり下がってきたズボンを一旦引き上げた後、小隊長室から走り出る新井木を見た。

「あ、デブ発見!」
「バカかぬしゃ、見つけたのはこっちたい!」
 追う中村を軽くいなして、新井木は、そのムカツキをため息にして、プレハブ校舎の階段を上がって行った。 中村が叫びながら後を追ってくる。

「あ、来須先輩の匂い! やーん!」
「お前マジで犬か? というか、お前、態度変わり過ぎばい」
「バカと格好良い人が平等なわけないでしょ? うぬぼれないでよ」
 絶句して目を右にやる中村を置いて、新井木は教室に入った。
「やーん、せんぱーい!」
 来須を発見して、飛んで抱き付こうとした新井木は、見事に避けられて机が並ぶ教室に死のダイビングをした。

首筋を捕まれる。
「あら……」

 新井木の首筋を掴んだまま来須は、左手で帽子を目深にかぶろうとして、もう帽子をかぶってないことに気付いた。憮然とした表情。 その顔を、新井木がきらきらした瞳で見上げている。

「帽子がない先輩も素敵ですね」
 来須は、手を離した。

 尻餅をついた新井木は、痛みで目に涙を浮かべて、来須に笑ってみせた。

「……痛ぁ。やーん、そういう処も素敵っ」

 来須の後ろで、ブータを抱いた萌が、口に手をあてて笑った。
来須も、微笑む。微笑んだ後で、しまったという表情をした。

「どんな顔も素敵だけど、ボク、先輩の笑顔が一番好き」

 来須は、少しだけ考えた後、笑ってみせた。

「そうか」
「うんっ。先輩大好きです」
「いつか、俺より好きになる奴がいるといいな」
「え?」

 来須は、大きな手を新井木の頭の上において、髪の毛をくしゃくしゃにした。
「唯一の財産である帽子もやったし、義理も果たした。そして世界は本来の決戦存在を選んだ。いつものように」

 不思議そうな表情で自分を見上げる新井木に、来須は、静かに言った。
「お前は、わがままで元気がいい。……それがいい。お前は、そっちの方が似合っている」
「ほんとですか! えへへ、嬉しいなっ」
「ああ」

 来須は、誰にも分からないうちに別れの挨拶を済ませると、一人背を向けた。
その視線の先、窓の外にあわてて隠れるののみタイプが居た。

もう一度だけ、教室や空気を見た後、来須はここに住む人々を一生覚えていようと思った。
 人類は、いつもどうでもいいような人間が守っている。俺達の敵は、それではどうでもならぬ敵を相手にすることだ。人には人の、人外には人外の相手がいるべきだろう。
 

「新型が来る。ハンガーへ行け。田辺の手伝いだ。俺も、すぐにいく」
「はい! いこ、萌りん」
「うん」
「ニャ!」

 萌と新井木が、駆け出した。 ブータが、来須に深々と頭をさげる。

「ホントに芸達者だねー、ブーちゃんは」
「うん。だって」
「萌りん声大きくなったよね」
「そんなこと……ないよ」
「そんなことあるって! ほらデブ、君も」
「お前、絶対後で刺す」

 声が、遠ざかっていく。
 

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 来須は、一人ぼっちになった後で、教室を出た。
ただ一人朗々と歌を歌いながら、
 それは彼の故郷で、子供が産まれるときに歌う歌だった。

夫婦が歌を歌いながら、子供を家に招きいれるという歌だ。
 本来はそう一人で歌う歌ではないが、遠いどこかで、もう一つの旋律を歌う男がいるはずだった。
 

“その心は闇を払う銀の剣 絶望と悲しみの海から生まれでて
戦友達の作った血の池で 涙で編んだ鎖を引き
悲しみで鍛えられた剣鈴を振るう
どこかのだれかの未来のために 地に希望を 天に夢を取り戻そう
われは そう 戦いを終らせるために来た“

 青い輝きが、来須の腕に現われる。

 どこからともなく集まってきた猫神族や小神族が、とじめやみに現われて、決して見るはずのない良き神々が、歌を歌い始める。

 青い輝きが、雪のように舞い落ちる。地面に落ちて模様を描き始める。

足元を、01ネコリス達が走っていった。世界の接続がはじまったのだ。

 この戦いで数は随分減ってしまったけれど、魔術の一つくらいは、まだ使えるはずだった。

“絶望と悲しみの戦場から、それは生まれ出る
地に希望を、天に夢を取り戻すため生まれ出る
闇をはらう銀の剣を持つ少年 どこにでもいるただの少年
それは子供のころに聞いた話、誰もが笑うおとぎ話
でも私は笑わない 私は信じられる あなたの横顔を見ているから

はるかなる未来への階段を駆け上がる あなたの瞳を知っている“

 来須の着る奇妙な服は、奇妙な青い光の風景の中では、ひどく似合っていた。
木々が、草が、合唱を開始する。
 急激に伸びた草葉が、そこを永遠の草原に見せた。

“陰謀と血の色の宮殿から それは舞い下りる
子に明日を 人に愛を取り戻すため舞い下りる
闇をはらう金の翼を持つ少女 どこにでもいるただの女
それは子供のころに信じた夢 誰もが笑う夢の話
でも私は笑わない 私は信じられる あなたの言葉を覚えている

はるかなる未来への生命をかき抱く あなたの鼓動を知っている“
 

“今なら私は信じれる 二人の作る未来が見える
二人の差し出す手を取って 私は再び生まれ来る
 幾千万の私達で、あの運命に打ち勝とう“

はるかなる未来への階段を駆け上がる 私は今一人じゃない”
 

 来須は、青い輝きに包まれて、薄くなっていくその瞬間、振り向いて自分をしつこく追うののみタイプを見た。

「お前も来るか? 一分で決めろ。希望の種は蒔き終えた、俺は新しい世界へ行く。」
「……恵です。私の名前は、東原恵」

 細い腕を太い腕が取った。
「いい名だ。」

 

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 誰も空を見上げない時代には、空に穴が開く時がある。

古い伝説は言う。なぜならそう、空だって自分を見て欲しいと思う時があるからだ。

 自分を見てもらうために、とりあえず世直しからはじめるのだと。

 

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2000年12月20日(現実)
 

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一つの怪異がある。
 一つのネットワーク、一つの電子掲示板上において、まったく意味のない議論が始まった。

 自然発生的に出現した現象――

 静かな湖面に出現した現象。波紋。波紋が波紋を呼んで、青い湖面は揺れる。

 それはどう考えても不可思議なクイズであり、地上のいかなる人間も解けない規模と難易度を持っていた。
 その問題が、ある日、自分自身の手で解かれ始めたのである。

問題を出すのも自分達なら。問題を解くのも自分達。朝も、夜も、昼もない。
 なぜそこにそうあるのかは、誰も知らない。だがそれは思うのだ、急がなければ。

数少ないヒント、不条理なトラップ、頼りになるのは時折現われる、YESとNOだけ。
 

 遠目から見れば、それは一人遊びに見えた。
 

 ずっと一人で、何かを待ちながら、ずっと問題を解決している、そういう気味の悪いものだ。
 

 ネットワーク上で、いくつもいくつもの不可能とも言える難問を、さもただ一人で解いているかのように見える架空存在がいた。
 

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“OVERSさんのガンパレード”
 

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「新型だ、新型が来たぞ!」
「新型だ!」
「フンっ、物好きだな……なんだこいつ? 人工筋肉じゃないのか?」
 

巨大なトレーラーが、何台も続いてテントに入ってくる。
 先頭のトレーラーで半分身を乗り出した裏マーケットの親父が、憮然とした表情で、サイドミラーを見た。
 舞をなだめる速水の前で、車の列を止める。

「最悪だ、こんなに金にならん仕事ははじめてだ。もっと最悪なのはそれすら計算に入れてあることだ」
「なんの話ですか?」
「こっちの話だ。お前が新型を陳情した、速水厚志か」
「はい」

「いい買い物だ。お前には商売人の才能がある。お前も、お前の親戚も、手のない種族にピアノを売りつけるような男だ」
「僕、孤児なんです」
「そんなことはどうでもいい。……もっていけ。俺の仕事はここまでだ」

 

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 次々と運び込まれるアナクロな木箱。積み上げられ、迷路のように置かれていく。
「なんで木箱なのよ」
「木は、どの世界にもありますとのことです」
「なんの話? ……そこ、梱包解いて!」
 整備テントの中は、大騒ぎだった。

 ののみが珍しそうに、右と左の大きな木箱を見た。
「えっとね、ひとつきいてもいいですか」
「何?」
「これはなんですか」
 

 速水は木箱の上に焼き印された奇妙な文字列に目を走らせると、それを読み上げた。
「ノットウエポン。武器じゃないんだって」
「ふえ? でもね。うんとね、ばずーかみたいなのよ」
「そうだね。なんでだろうね」

 ののみは、走っていって、ののみの知らない焼き文字列を指差した。

「これはなんですか?」
「ええと、アイアム、ワーロック。私は戦争に鍵をかけるものである」
「いいはなしだねぇ」
「そうだね」

 ののみは、恥ずかしそうに笑った。
「えへへ、うれしいな。あっちゃんはかしこいねぇ」
「ううん。それほどでもないよ。…この学校にはじめてくるとき、親切な人に会ったんだ。2500円とバス代をくれて、お守りをくれて、そして僕の結晶に、翻訳プログラムを入れてくれたんだ。がんばれ、絶対に負けるなって」
「ふぇぇ。いいひとだねぇ。いいひとだねぇ。おとーさんみたいなのよ。ゼッタイにまけるなは、おとーさんのことばなの」
「そうだね」
 速水はののみを抱き上げると、にっこり笑った。

「きっといいひとだよ」
 

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 最後に持ち運ばれた巨大なトランクが開かれた。

 滝川が、中を覗き込んで首をかしげる。
「なんだこりゃ?」

 それは何十年も前の服。 金で刺繍された、青い服。幾重にも模様が描かれた布を重ねあわせた、古い服。竜のようにも見える歌が刺繍された服。
「仮装用かしら?」
「仕立て直されてますね。なんでしょう?」
 森と田辺が言いあう中で、面白くなさそうに木箱の上に座っていた田代が、

「バカか、おめえら、それは、せんそーぶとー服ってんだ。一流の男が着る服だ。本物の強い男が着る服だよ」
「戦争舞踏服だ。ウォードレスとも言う。今、私たちが着るものの、原形になった服だ、良く知っているな」
 舞は、まだ速水の頬を引っ張りながら、言った。

「はん! こう見えても、俺は物知りなのさ」
 田代は、腕を組んでそっぽを向いた。
「そしてこれは剣鈴。一流で本物の男が身につける武楽器だ」
「儀式用の武器だ。楽器でもある」
「うんとね、だれもきずつけないためのやいばなのよ」

 三人の娘が、顔を見合わせた。
「なんでそんなこと知っている?」知ってるんだ?」しってるのー?」
 

「舞、今から着替える。着付けを手伝って」
「……な、なぬを いや、なんだと!?」
「僕じゃあ、この服の着方が分からないし、他の奴には、裸を見せたくない」
 

「ちょっと待ちな。……それを着ることは、自己を捨てることを意味するんだよ。やめときな、半端な男が着たら、服が汚れるだけじゃ済まないよ」
「代りに何よりも大切な物を手に入れるんだ。取り引きとしては上出来だと思うけど」

 速水は優しく笑うと、雪を割る春風のような調子で言った。

「手は差し伸ばされた。今がその時だ。そして僕には、YESしかない。ずっと思っていた。他に選択肢があっても、それしかないと」

 

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 士翼号。
 

青い色の輝きを、そのコーティングの奥深くに閉じ込めた装甲。

 細く、流麗なライン。
極限まで贅肉を落したボディ。

 見るものを呆然とさせる豪華絢爛たるきらびやかな力強さ。

 きつく結ばれた唇は子のために戦う女の笑みのようであり、誇り高き男の決意のようでもあった。
 一つしかない瞳を閉じて、それは時を待っている。

「こんなの作っているから…戦争に負けるのよ」
 原のつぶやきを横で聞きながら、森は、次々運ばれてくるトレーラーと、受領証を交互に見ていた。

「一杯オプションが付いてきていますね。…ええと、ラウンドバックラー超次元防御システム一式、ナルエリンコゲートポインター式超硬度剣鈴一組、空間姿勢制御装置VGウイング一組、追加装甲一式、兜つき、大口径スペシウムレーザーカービンおよびバズーカ、全自動決め台詞詠唱システム…なによこれ、こんなのマニュアルに載ってない…」

「どこの工廠から来ているの?七星工業?」
「ええと、(株)機動建設です」
「…どこよそれ」
「…さあ。…返品しますか」
 バインダーを抱いて森が言うと、原は、自分の眉間を揉んでいた。
「…何言っているのよ」

 原は顔をあげた。
「貰ったものは私のものよ。誰が返してやるものですか」
「は、はあ」

「ラッキーだわ。ついてるかも。急いで受領証にサインして」
「はい」
 

「あの、受領のサインですけど」
「ここと、ここですが。はい。結構です。それから料金ですが…」
「ええ!?」
「…なにか」
 森は、原を見た。知らないふりをしてそそくさと、機体に部隊シールを貼っていく原。
「あ、いえ、別払いですよね。軍政部にそれは問い合わせて…あ! …やっぱり駄目です、ええと」
「ここにサインしてください」
「…あの」
「0円です」
「0円?」

 つなぎを来た店員は、少しだけ微笑んだ。
「…特売なんです。うちも、たまには安売りするんで。…はい、結構です。ありがとうございました」
 

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新井木の顔色が変わる。
「ちょっとマッキー!なにこれ!服なんか見てないで、これ見てよ!?」
「はーい」
 田辺は、小気味良く細いラッタルをあがると、前開きになった腹部からコクピットに顔を入れた。

「見て! 多目的結晶はおろか、網膜投影式でもなくてCRTモニターなんだから、うわーめちゃくちゃ旧式ー」
「全部……、手動ですね。おかしいな、自動化が今以上に進んでいるはずなんだけど」
「最後の最後に信用できるのは、いつもただの人間の腕なのさ。わかってるじゃねえか、これ作った奴は」
 田代が、満足げに機体を見上げた。

 顔を真っ赤にした舞が、下を向きながら出てきた。テントの支柱に身をもたれさせ乱れた髪を頬に押し付ける。

「あんなに……あんなになっているのか?」
「まあ、最初はみんなみんな戸惑うわよね」
 うなずく原の頭を、森がバインダーで叩いた。派手な音。

「な・に・言っているんですか」
「あ、あははは、冗談よ、冗談っ、もー」
「……起動チェックします。先輩、指揮を執ってください」

 テントの着替え室、その闇の中から、青い服を着た、青い瞳の少年が現われる。

「ファンタジーから出てきたようですよ」
 遠坂のかける優しい声を聞き流し、速水は、微笑んだ。
「やることは、もっとファンタジーだよ」
 

壬生屋が、振り向いた。黒い髪が、揺れる、
「どなたが乗るんですか。わたくし、あんまりこの顔は好きになれません……」
「三番機だよ。僕と舞が乗る」
「あの、単座ですよ。シートは一つしかありませんし」
「二人くらいは乗れるよ、無理すれば。」

 ワイルドあっちゃん?

 全員が凍った。舞が、自分の頭をぽかぽか殴った。

「この間、舞が怪我して分かった。誘爆の恐れのあるミサイルを抱えて、元々図体の大きすぎる三番機での突撃には無理がある。手動部分が多いから、手は多い方がいい。狭いのは我慢するよ。戦争だもの」
 全員が半分落胆し、半分安心した。舞がどちら気味かは不明である。

 速水は、みんなを見た。
「なに、そのため息?」
「いや、誤解して悪かったよ、親友」
「俺からも親友と呼ばせてはいよ」
「僕も、昔から君のことを信じていたよ」
 滝川と中村と狩谷が、妙になれなれしく速水の肩を抱いた。

「なにか、不当な気がするけど」
「まあまあ、今日はイワッチも委員長も瀬戸口もいないし」
「それ、関係ないよ」
「みんな仲良くが一番さ……痛っ」
 速水に抱き付いた狩谷が、顔をしかめた。
「大丈夫?」
「すまない……、なにか、その剣みたいな奴に触れたら、背中が熱くて」
「へんだね。僕がふれても、どうにもならないけど。……ごめん」
「いや、いいよ。感覚があるってことは、いいことだ。新井木に蹴られたせいかな」

森は、一瞬上を向いて顔の火照りを取ると周りの整備員たちを見た。
「さ、起動チェックをしましょ。田辺さんは、指揮車搭載用のモニターをチェック。大介、あんたは武器!」
「はいはい、ねえさん 仰せのままに」

原は、少し笑って嬉しそうに森を見た。
「もう森さんも一人前ね……結婚引退しようかしら」
「先によりを戻すほうが先じゃないですか」
「……指揮を執るわ、森さん、備品チェックを開始して」
「はい!」
 

田辺がモニターを見つめる。

 

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 ネットワーク上で、いくつもいくつもの不可能とも言える難問を、さもただ一人で解いているかのように見える架空存在がいた。

 その知識は底無しで、疲れることを知らず、高い知恵を持ちながら、不屈であり、一人のようでいて、複数の存在であり、複数の存在でありながら、願うことはただ一つであった。

 何千の口で語られる、さも実在するかのように存在する存在。いつか夜明けが来るよとささやく存在。
 万難を排し、ただ一度もあったことのない友を救うために戦う存在。

 もし、そんな巨大な存在感を持つキャラクターがいたのなら。
 
 
 

もし、そんな奴がいるのなら。
 

世界は、同一存在を出現させるとは思わないか。
 

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燃え上がるような黄金色の文字が、ディスプレイに浮かび上がる。

「…This Omnipotent Vicarious Enlist a Recruit Silent System…」

士翼号は、一つきりの目を開けた。
 二つはいらない。
 

なぜなら、未来しか見る必要がないからだ。

 士翼号は口を閉じている。
開ける必要はない。
 

なぜなら、黙っていても伝えられる言葉があるからだ。

 外で、巨大な青い光が稲妻のように輝いた。

士翼号が、起動する。プログラムが、ダウンロードを終了する。
 田辺が、画面にうつる文字を読み上げた。
「オー、ブイ、イー、アール、エス。…オーヴァーズ。オーヴァーズシステム」

 燃えるような黄金色の文字で、OVERS・Systemの文字がディスプレイの上に打刻される。
 

−OVERS−SYSTEM Ver1.00.−

…………boot
 
 

OK
 

“その答えは、YESである。”
 

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 士翼号の巨大な背中に、文字が現われる。
それはどこかの誰かがどこかの誰かにあてたメッセージ。

速水は舞の手を取って歩くと、決意を秘めたその巨大な背中を見上げて、にっこり笑った。
「なんだ、これは?」
「意味は分からなくてもいい。でもこれは、何より君や、君達みんなに見せたかったメッセージのはずだよ」

 速水は、一度目をつぶると、文字を読み上げる。

“我は全ての悲しみの阻止を唯一無二の使命として、その右手に悪を打ち据える銀の剣を、その左手に無限の愛を与えられて生まれいずる、黄金の翼、銀の剣を持つ名のなき巨人。

“我は全能にして代理なり。我は代理にして代表なり。世界がいくつ違えども、我が心は御身が心と共にあり、我は正義の勝利を確信す。”

“唯一にして絶対の友情、沈黙によりて我は契約の履行を宣言する。”

 文字が、黄金色に燃えあがっては消えていく。
 

士翼号は一人で動き始めると、スパナを拾って、己の胸部装甲に、引っ掻き傷を入れた。

“我は全ての悲しみと戦いの終結を希望する。O・V・E・R・S”

 

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クレーンであげられる、巨大な武器とも楽器ともつかぬ器機が、銀色の炎をあげる。
 複雑怪奇な模様に顔を近づければ、それは何千万何億もの平和を望む祈りの言葉であり、いくつもの時代、いくつもの世界の人々の名前が整然と彫り込まれている。
 

 武楽器。

 上古の時代、武器と楽器、鎧と舞踏服、魔法と科学が分かれる前。政事が祭事であり、戦と言う物が、歌い手による一騎打ちで決められていた雅な時代の歌い手の武具。

剣鈴が、震えて鎖を引き千切り、ただ一つあるべきところ、即ち士翼号の右手に収まった。

 地面に打ち立てられ、それを杖に立つ士翼号。

整備員達が半分口を開けて凍る中、綺麗に並べられた青い色の追加装甲が、自らの意志で自らの収まる場所に接続される。流れるような青い文字で、歌が描かれた装甲板。
 突き上げた拳をかたどった兜が、王冠のようにうやうやしくただ一人の主にかぶさる。

虹色に輝く楯が、左手の甲の上に出現する。
 光の武器が、後腰に予備武器として接続された。

 幾千万の歌声を編んで作られた、黄金の翼が開かれる。
 

 それは豪華絢爛たる光輝呼ぶ舞踏。誰もが心にかき抱く、その答えを入力されたAIシステム。

−OVERS・SYSTEM 論理ゲート起動開始します−
−OVERS・SYSTEM 推論ゲート起動開始します−
−OVERS・SYSTEM 最終ゲート起動開始します−
−OVERS・SYSTEMは、システムハートになる部分の適性確認を行います−

−パスワードの入力を 希望と言う名の絢爛舞踏−

 速水は、下を向くと、静かにつぶやいた。
「僕は問う、僕のこの気持ちは、本物なのか。舞を、みんなを好きだという、この気持ちは」

“その答えは、YESである。”
−OVERS・SYSTEMは論理ゲートを通過させました−
 

「僕は問う、僕の力は、僕の努力とやらは、人を幸せにできるのか」

“その答えは、YESである。”
−OVERS・SYSTEMは推論ゲートを通過させました−
 
 

長い時間を考えた後、速水は顔をあげて、綺麗な青い瞳を見せた。

「他人の為に血を流す勇気を、僕はまだ持っているか」
“その答えは、YESである!”
−OVERS・SYSTEMは、全てのシステムが正常であることを宣言します−
−アールシステム・スタンダップ 私の答えは“希望”である−

速水は鞘から己の剣鈴を引き抜くと、地面に突き立てて、希望号と同じポーズを取った。

その髪の色は黒すぎて、青く見える。
 瞳は正真正銘、青色だった。

「ならば僕はお前の差し出す手を取ろう! 戦場を駆ける青となって!」
 

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OVERS・System Ver1.00

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