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瀬戸口くんのガンパレード

 
「ねー、タカちゃん。」
「ん。」

 瀬戸口は永劫の夜が来ようとする夕暮れの中で、ののみに歩調を合わせながら、自分の袖を握りしめながら、一生懸命に見上げるののみを見た。

「疲れたかい?」
 ののみは、首を振った。
「今日の舞ちゃんはねー、うれしーのよ。」
「そうなのかい。」
「うん。…いつも、がんばってるから、たまのにちよーなのよ。」

「そうか、ののみはえらいな。」
 今日は金曜だと瀬戸口は言わなかった。
ののみは、嬉しそうに笑った。

 瀬戸口の袖を、ぎゅーする。
瀬戸口は笑った後、ののみを肩車した。
 赤すぎる夕日を無視して、瀬戸口は病院からの帰り道を歩き始めた。

「…たかいねぇ。」
「んー、そうだな。」
「おもくない?」
「楽勝。」
「ほんとう!?」
「ああ、こう見えても、俺は力持ちなんだ。」
「ふぇぇ、えらいねぇ。」
「だろ?」
 瀬戸口は、自分をのぞき込むののみに、笑いかけた。
ののみの細い脚を押えながら、歩き始める。
 両手を広げ、ののみは甘栗色の髪の毛とリボンを風に揺らした。

 際だって整った横顔が、真っ赤な空をみあげる。長いまつげをゆらし、謡い始める。
「そのこころは やみをはらう ぎんのつるぎ
ぜつぼーとかなしみのうみからうまれでて」
「せんゆーたちのつくったちのいけで なみだであんだくさりをひき
かなしみできたえられた ぐんとーをふるう」
 瀬戸口は呆れはてたように目を一度長くつぶった後、視線だけを上に向けた。
「おいおい、せっかく楽しい帰り道に、軍歌はないだろうが、軍歌は。せめてスイートデイズくらいにしてくれ。」
 瀬戸口が、流行歌の名前を言うと、ののみは寂しそうに言った。
「…それね。おとーさんのうたじゃないのよ。だからめーなのよ。」
 瀬戸口は、なんでこんな子供が軍歌を覚えなきゃいけないんだと、目を細めた。

青め。

瀬戸口の頭の髪を掴む手の力が、強くなる。
「心配しなくてもいい。悲しくなんかないさ。」
「ほんとう?」
「ああ、」
「よかった…あのね、ものごとにはねぇ。たいみんぐがあるのよ。それはとてもたいせつなの。」
「そうか。」
「うんっ。それがいちばんじゅーよーなのよ。せかいのせんたくなの。」
「…そうか。」
「みんなが、なかよくできるといいね。」
「…ん、ああ、俺もそう思うよ。」
 瀬戸口は、しばらく内心を押し殺した後で、笑った。
その細い内股に頬を押し付け、目をつぶる。

 シオネ=アラダ。シオネ=アラダ。偉大なる魔法の女王。我が祈るただ一人の対象。今も大気となって、天と地を守るひと。あなたに願う。どうかこの子だけは、この子だけには平穏が訪れるように。
 俺はどうなってもいい。例え青の手先でも。だから願う、この子だけは。

物が落ちる音。

 瀬戸口が頭髪をひっぱられて、顔をあげた。
 

呆然とする壬生屋。

 足元には、ニコマートの買い物袋が落ちていた。リンゴが転がっていく。

「もったいないねぇ。」
「…まったくだ。」

 壬生屋は、蒼白な顔から、見る間に真っ赤になって震える口に震える拳をあてた。
「…ふ、不潔どころか、犯罪で」
 瀬戸口は壬生屋が言い終わる前に幻滅して、壬生屋の拳を手で押した。
拳を口にぶつけて、痛そうな壬生屋。冷たい顔で、通り過ぎる瀬戸口。

「お前がどう思うが俺の知ったことじゃないが、その腐った妄想にこの子を巻き込むな。」
「…何を。」
「…めーなのよ。たかちゃん、みおちゃん。」
「大丈夫さ、相手にしないから。」

 瀬戸口は、リンゴを拾うと、持ったままダッシュで走った。
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
学校に帰り着いて、整備員詰め所の灯りをつけたときには、すっかり夜だった。
 瀬戸口がタオルで汗を拭く中、ののみは椅子に座って、足を揺らしながら両手でリンゴを持っている。
 リンゴが大きすぎるように見えた。

「あのね、これは、たべてもいいですか。」
「ああ、迷惑料だ。壬生屋には後で謝っておくよ。」

 ののみは、悲しそう。
瀬戸口は、顔を拭く手を休めて、自分をまっすぐ見るののみを見た。微笑む。
「どうした?」
「あのね、それはね、めーなのよ。 おとーさんがかなしむのよ。」
「…最近、果物とか食べてないだろ。ちょっとつぶれているが、うまいぞ。たぶん。」
「…そーいうことじゃないのよ。がまんしているのは、みんなおなじなの。みんなおなじなのは、そうわるいことじゃないのよ。」

 ののみは、瀬戸口の視線に声を小さくした。小さいけれど、それでも続ける。
「かえしにいこう…」

瀬戸口はしばらく考えた後、紫色の瞳でののみを見た。涙のせいか、少しだけ色が変わったように見えた。
「分かった。俺が悪かった。明日、返しに行こうな。」
「うん。」
 ののみは、小さく笑った。

 瀬戸口が、ののみの頭をなでた。
「えらいぞ。おかげで俺は、悪い奴にならずにすんだっ。」
「うん。」
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
「ごめん、遅くなっちゃった。」
 速水は、夜が随分ふけてから、整備員詰め所にその姿を現した。スライドドアを開けて、荒い息のまま、壁に手をつける。

「ずいぶんHしてたんだな。」
「えっちってなんですか。」
「もう少し大きくなったら、一緒に勉強しようね。」
「なんだと? 俺は許…」
 瀬戸口が言い終わる前に、速水は肘鉄を決めた。

一緒に首を傾けるののみと速水。

 速水は笑って、整備員詰め所にかけてある森のエプロンをつけた。
「まっててね。夕食に残ったカボチャがあるから、それでパイを作ってあげる。」

「ほんとう? えへへ。うれしいなぁ。」
「よかったなー。よし、俺に任せろ。」
 瀬戸口は、速水の背中に抱き付くと、
「速水、どんなに具合が良いのか知らないが、がさつな女なんかやめて、早く…俺のところに嫁がないか。」

「舞は、料理うまいよ。」
「あれが?」
「うん。」
 速水は見事な包丁さばきを見せながら、ちょっと笑った。

「指は、一杯怪我しているけどね。努力してるから、きっとうまくなる。」
「いまではないところにいくためにはね、たくさんいろんなものをすてないとだめなのよ。」
「そうだね。でも、ほんとはそれは、何もなくしていないんだよ。増えているだけなんだ。」
「ふえているの?」
「そう。本当に大切なものは、絶対になくならない。」
「…なんだかわけの分からない会話だな。」
 速水は、照れてみせた。
「僕も芝村だから。」

「芝村な答えだ。」
「そうだね。 手伝って。」
「…分かった。しかし言っておくが、あれはやめておいたほうがいい。」
「誰がどう言っても、知ったことじゃない。損とか、得とか、そんな問題じゃない。」
「…それが一番不幸になるパターンなんだがな。」
「幸せになろうなんて、一度だって思ってないよ。冷蔵庫、パイ生地。」
「人工筋肉ならあるぞ。」
「一番上。」
「ああ、これか。ほい。…不幸になるって?」
「オーブンを予熱して。 僕の場合、舞がいないと、絶対に幸せになれないのは確かだ。」
「はいはい。 …それが奴等の策略かも知れないぞ。」
「戦うからには必ず勝つ。我らは、そういう者だ。」
 冗談めかして言いながら、楊枝で次々とパイ生地に穴を開けていく速水。
鍋を火にかける。
「わー、すごいねぇ。すごいねぇ。おとーさんにそっくり。」
「違うよ。舞にそっくりなんだ。」
「りょうほうね、おんなじなのよ。そのきらめきはごーかけんらんなのよ。」
「なんだそりゃ。」
「おはようなの。」

 速水と瀬戸口は笑った。ののみも笑う。
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
 瀬戸口が、食器を洗う音が聞こえる。
眠ってしまったののみを抱き上げて、速水は、椅子に座った。

 速水は、ののみの甘栗色の髪の上にあごを乗せて、微笑んだ。
ちいさなののみ、かわいいののみ。この娘の行く末が、どこまでも明るいように。
 君は幸せになるべきだよ。舞は、いつも君のことを、君達のことを、世界のことを考えている。あの細い肩で、それと意識せずに全てを守るだろう。誰よりもまず、自分自身であろうとするそのために。

 瀬戸口は、紫の流し目でそれを見ると、何も言わずに外を見た。ドアが、遠慮がちにノックされる。
「はいはい。やれやれ、またどこかのお嬢さんかな。…まいったまいった。どこもかしこも、愛が不足しているらしい。はーい、今あけますよー。」

 瀬戸口は、立て付けの悪いスライドドアを開けた。
壬生屋が、立っていた。あからさまに目つきを悪くして、ドアをしめる瀬戸口。否、中々閉まらない。泣きそうな顔を我慢して、壬生屋は口を開いた。
 

「…リンゴ、返してください。」
 瀬戸口はリンゴを渡した。

しばらく考える壬生屋。小さな声。

「…なんで、食べなかったんですか。」
「なんで、俺が、お前の触ったものを食べなきゃいけないんだ?」

 壬生屋は、瀬戸口を敵のように睨みあげて、痛くなった自分の左胸を抑えた。
「…なぜ、そこまで私を嫌うのですか。」
「お前のせいで、怪我をした奴がいる。昨日の話だ。今日、お前は何をした?」
「それは」
「お前と滝川は、気まずくなって、ただ、どこかに居ただけだ。愚痴でも言っていたんだろう。私は悪くないとか。…はっ、みんな見舞いに来ていた。来なかったのはお前達だけだ。」
 壬生屋は、何かを言おうとする口を閉じて、顔をしわくちゃにして下を見た。
速水が、ため息をつく。
「違うよ。瀬戸口くん。」
「何が!」
「静かに。…起きちゃう。」
 壬生屋は、瀬戸口が見ていないうちに、一生懸命、涙を拭いた。

「壬生屋は、舞のためにリンゴを買ってきてくれたんだよ。陽平と一緒に。」
「病院に来たのか?」
「ううん。でも、分かる。」
「はっ…来てもいないのにか…どうやって分かった?いつから魔術師になったんだ。ええ?」
「魔術師でなくても、魔法は使える。超能力者でなくても超能力は使えるよ。ただ、ちゃんと見えていれば。なんで今日に限って貴重品を持っているんだろう。食べたりしないで。なんで足袋が汚れているんだろう。なんで君の言葉に言い返せなかったんだろう。」
 速水は、ののみを抱いたまま、瀬戸口を見た。

「視野が狭いよ。僕に教えたことを、君は忘れたの? 君こそ、君を見る優しさに気付いていないじゃないか。」
 瀬戸口が速水に言い返そうとすると、壬生屋は白滋の頬に、涙を流した。
綺麗な黒髪を揺らして、口に手をあてて走っていく。
 口を閉じて、誰も居ない空間を見て、速水を見る瀬戸口。

「…ごめん、まだ、訓練が足りなかった…」
「いや、俺の方が悪い。俺は、あの女のことを考えると、無性に腹が立つんだ。相性が悪いに違いない。」
 速水は、己の未熟を恥じた。
 

 女子校の生徒が、ひょっこり顔を出す。
「きゃほ。グッチいる?」
「おお、アッキー。」
「おー、ジャッキー。」
 謎の挨拶を、女子校の生徒と瀬戸口は交わした。
なぜか抱き合う。

 瀬戸口は、優しく微笑んだ。
「今日は、遅かったじゃないか。」
「ごめん…」
「いや、いいさ。速水。」
「出かけるの。」
「世の中には、愛が足りない。俺がせっせと愛をばらまかないとな。」
「…その半分も、壬生屋にあげればいいのに。」
「駄目だな。あの女は、その子の父親より悪い。」

「この子? 東原が。」
「そうだ。絶対に変なことを覚えさせるなよ。悪いこともだ。軍歌も駄目だ。いいな。俺は弟子を信用しているからな。」
「グッチー、パパみたいでYESだね。」
「だろ? 俺は、子供好きなんだ。」
「はいはい。…でも、この子が大好きなおとーさんは、本当にそんなに悪い人なのかな。」

 速水は、綺麗な青色の瞳を、瀬戸口に向けた。紫色の目を細める瀬戸口。
「最低の奴だ。目的のためなら手段を選ばず、全てを嘲笑いながら、全てを傷つける。」
「…そうかな。」
「そうさ。」
「僕はそう思わないけど。」
 瀬戸口は、突き放すように笑った。

「だからぽややんなのさ。」
「そうだね。」
 速水は、優しく笑った。

「僕は、それでいいと思うよ。全部が終ったら、それこそずっと、それでいるつもりなんだ。」
「…おめでたいこった。」
「うん。」

 罪のない笑顔を見て、瀬戸口は邪気を削がれたようだった。どこか忌々しそうに髪をかきあげる。
「忘れてないか。俺はお前さんの愛の師匠だ。」
「僕にとっては、東原のお父さんがわりで、大切な人の一人だよ。」
「あたしにとっては、恋人だったりして。」
 瀬戸口は、自分の髪の中に両手を突っ込んでかき回した。

「…なんで世の中は、弱い人間ほどいい奴なんだ。」
「そうかな。ほんとうに、そうかな。世の中には、一人くらい、誰よりも強くて、いい奴だっているかも知れないよ。」

「ふっ、あいにく、俺は最高の奴を知っているんだ。そいつは薄汚い奴だ。だから、それはない。」

 速水は笑って、もう何も言わなかった。眠るののみを抱き上げたまま、その背をさする。

瀬戸口は、ののみの髪に手をやると、リボンを取った。
「なにするの。」
「借りていく。お守りなんだ。」

「…そうだね。僕も安産のお守り持っているよ。中村くんに貰った奴。」
「悪いが、俺の幸運の女神の御利益は、そんじょそこらの奴とは違うんだ。…頼んだ。朝までには戻る。」
「うん。あんまり、女の子を泣かさないでね。…泣いている子が、もし僕の舞みたいな子だったらと思うと、僕は悲しくなる。たぶん、この子も。」

 瀬戸口は、立てつけの悪いスライドドアを開けながら言った。
「俺は、一度だって女を不幸にしたことはないよ。…これだけは本当だ。芝村は好かんがね。」
「壬生屋は。」
「…あれは、例外だ。お前さん、最近性格悪いぞ。」

 瀬戸口はそういうと、自分に顔を近づける女子校の生徒と、腕を組んで外に出た。
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
月が隠れ始めていた。黒い月に、青い月が隠されていく。

 瀬戸口は、灯火管制されて暗くなった道を、女子校生と二人で寄り添うように歩いた。
300m歩いたところで、二人は距離をとる。

「悪いな、いつも。」
「ううん。こういう役だったら、あたし、すごく毎日YESだし。なんだったら…ほんとに…」
 女子校生は、本当に綺麗な瀬戸口の顔を見上げた。
瀬戸口の紫色の瞳。瀬戸口の匂い。思ったより、ずっと大きな背中。
 近くに寄ると、分かる。このひとは、ずっと悲しい。悲しいから、優しいと。

 瀬戸口は、女子校生を見下ろして、嬉しそうに笑った。

「悠木映。あきらちゃんだったよな。」
「え…あ、うん。YES。嬉しいな。ほんとに、名前覚えてくれたんだ。一回しか、ラブレター出したことないのに。それなのに…あたしみたいな、あんまりキレイじゃない娘に声をかけてくれて、それで…」

「記憶力が悪いと、俺は死ぬんだ。命のやりとりには、色々な能力が必要でね。」
「戦車兵って、そんなに大変なの。」
「ああ。…ここでいい。夜抜け出させて、悪かった。」

 瀬戸口は、ののみのリボンを乱暴にポケットに突っ込んだまま、映を置いていった。
挨拶代わりに、片手をあげる。
 映は、瀬戸口の背に声をかける。

「どこに行くの。」
「寝るところさ。」

 男は嘘をついていると、女は分かった。
 男はそれでも、女のために嘘をついた。

 瀬戸口は、振り向いて優しく笑った。
「おやすみ。良い夢を。」
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
 瀬戸口は、夜道を三回曲がって、何事もなく駐車された車に乗り込んだ。
坂上が、運転している。

 坂上は、サングラスを取ってバックミラーに映る人影を見た。
「最近、虫がついているようです。女の虫です。」
「そうかな。」
「はい。すでに調査済みです。」
「…処分するのか。」
「いつもの通りに。」

「そうか…」
 瀬戸口は、表情を変えずにそう言うと、車の天井を見た。

「なあ、おっさん。」
「なんでしょう。」
「あの娘は、幸せになれるかな。」
「なれるといいですね。」

「やってくれ。」
「分かりました。」
 車が走り出す。
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
ののみは、眉を寄せて眠っている。桜色の唇から、小さな声が漏れる。
 小さな拳を握り、こわいなにかに、耐えている。なんでですか…、なんでですか…

 灯りの消えた詰め所。月も出ないような暗い夜の中、何もかも押しつぶされそうな、そんな夜。
 だが、速水は静かに口を開く。豪華絢爛たるその横顔。
深く揺るぎのない、どこからか際限なく光が湧き出るようなそんな声。

「世界を敵にまわすのは、それが必要だからだよ。たぶん。世界の全部を敵にまわしても、やりたいことがあるんだと思う。」

 ののみは、悪い夢を一撃で吹き飛ばされたようだった、
安心して寝息を立て始める。速水は微笑むと、声を続けた。

「…得とか、損とか、可能だとか、不可能だとか、そんなことは、たいしたことじゃない。どうでもいいことだ。障害を超える必要があったから、超えようとしているだけだよ。…僕には分かる。僕だけには。」

 暗い夜の中で、普段は舞をひるませる、ただそれだけに使われる声が、訓練によって鍛え上げられつつあるその腕が、ののみの夜を守るために振るわれる。毛布を、かける。
 自分を襲う、体中の関節が痛くなるほどの成長を笑って、速水は、光の色をした声をあげた。

「今の僕なら分かる。…やらねばならないことと比べれば、理屈や限界、そんなことは、ささいなことだ。それが必要であれば、相手がなんだろうと、どんな不可能であろうとも、<それ>は必ず突破してくる。自分が死んでいようと、どこにいようと、どうだろうと、そんなことはささいな問題だ。まして<それ>なら。…そしてこれは、未決事項じゃない。決定事項だ。」

 速水は、優しく静かに訓練するために立ち上がった。本当の夜明けが来るまでに、やらねばならぬことが山ほどある。

「僕なら…万難を排して必ず手をさし伸ばす。あとは、タイミングの問題だけだ。」
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
 瀬戸口が踏むその床には、青い文字で“正義最後の砦”とあった。

 巨大なホールに響く、女のような、男のような、年老いたような、子供のような声。
それは舞台俳優の声であり、道化の声であり、王の声のようであった。
「おかえりなさい。青の戦士よ。」

 瀬戸口は髪を伸ばすとののみのリボンで、後ろ髪をしばった。
ネクタイを引きずり下ろし、後ろに控える坂上に投げて寄越す。歩きながら両手を広げ、上着を脱がされる。
 舞台の上にあがった、一人の岩田が、優しく笑った。

「きっと、帰ってくると思っていましたよ。あーっはははは、そう今日も、君は、帰ってくるしかなかったんだ。かわいい娘を守るために。」
 岩田の言葉を聞き流し、全裸になった瀬戸口はウォードレスではなく、舞踏装束に身を包む。
 それは豪華絢爛たる死を呼ぶ舞踏、その舞踏服であった。

 長い手袋、長いマント、長すぎる剣鈴。そして長く伸びた髪。それを縛るリボン
瀬戸口は青い宝石を受け取って、皮肉な表情を浮かべて淡い光をあげるそれを見た。

 何も言わず、泣きそうな顔で宝石を首に下げる。
 

 “それが、”

 瀬戸口はどこまでも深い青になった瞳をあげて、唇を開いた。
「彼女の結論である。」

 瀬戸口の後ろの深い闇から、剣鈴を杖に立つ試作型士魂号が現われる。
西洋の騎士のごとき装甲をつけ、盾の代りに笛を持ち、その顔には、巨大な髑髏がはめ込まれていた。

 士魂号重装甲西洋型。

ただ一機だけ作られた、絢爛舞踏用士魂号。
 

*     *     *     *     *     *     * 

 
 ビルの合間の道にひしめく幻獣達。
明け方を待ち、一斉攻勢をかけようとする異形の化け物の群れ。
 

 どこからともなく聞こえてくる笛の音。
幻獣達が、わしゃわしゃと赤い瞳を動かした。ビルを見上げる。

 二つの月を背に、笛を吹く銀の士魂号。

笛をあげる。
 月に映されるその顔は二本の角を持った髑髏であった。

 何もない眼窩で幻獣を見下ろし、長すぎる剣鈴を片手で引き抜く。
 

飛んだ。
 髑髏の顔をした士魂号は、泣いているように見えた。着地する。

 電光石火。

 神速の速さで走り込むと、髑髏の顔をした士魂号は長すぎる剣鈴を振ってバターを切るごとくキメラを両断した。
地面に突き立ち火花を上げる剣鈴。澄んだ鈴の音を立てて、銀の士魂号はその剣を滑らせて数体の敵を切りながら刃先をすべらせ、剣鈴に追随するように振り上げて跳躍した。
スキュラを両断する。
 夜に流れる血と銀が、その光景をひどく幻想的なものにした。否、幻想にしては、速すぎた。

 長すぎる剣鈴の重量に振られて、一方その重量を利用して、髑髏の顔をした士魂号は一瞬で三体の幻獣の首を撥ねた。 まるで舞うように、敵中単騎、駆け抜ける。
 左手に持った細い笛で、ミノタウロスの拳を受け流し、すれ違いざまに両断する。

流れるような剣鈴の動き。幻獣達が吹き上げる血の列で、士魂号の動きが分かった。

「殺すだけなら簡単です。手加減をしなければいい!」
軍用の双眼鏡を覗きながら。岩田が笑った。

 幻獣が下がる。否、下がる前に次々両断されていく。恐怖が戦列を壊乱する。
片手片足だけを切断された、幻獣達が、地べたにはいつくばって逃げようとする。
 それをかばうために近づく幻獣のことごとくを狩りながら、髑髏の顔をした士魂号は前進する。髑髏の顔が、泣いているように見えた。

 走り出す。

 剣鈴を振る。幻獣の頭が吹き飛ぶ。握りが変わり、また剣が振るわれる。

「殺せ殺せ殺せ殺せ!人類の敵を狩りつくせ! ほら、娘のために殺戮せよ!首を一つ取るたびに、一秒分の薬をやろう!」
 またぐらをいきり立たせながら、岩田は言った。
吐き気を覚える副官を支えながら、観戦していた準竜師は岩田を見る。

「奴は良い竜に育ちそうですか。」
「難しいでしょうね。あれは、悲しんでいる。」
 岩田は冷静になって言った。直後に笑う。
「今の殺し方は美しかった。」
 

岩田の横顔は、ひどく嬉しそうであった。

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