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第2回

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 廃棄実験体46号は、誰のものとも分からない精液にまみれたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
 それは汚い生き物だった。人間かどうかは分からない。人間の形はしていたが、青い髪の人間などいやしないし、オスのようではあったが、それにしては異常に胸が大きかった。
意志のかけらもなさそうな顔を見れば、人形だという者もいただろう。

 天井だ。まぶしい。

 周囲に誰もいないことを確認すると、実験体46号は、瞳孔を急にすぼめた。
長い長い時間をかけて溜めていた体力を使い始め、立ち上がる。

 歯をくいしばる。

その目は、生物であった。臭くて汚いが、生物には違いない。人形はこのような表情はしなかった。それは苦悶の表情であり、怒りの表情であった。

 実験体46号は、かつては自分と同じ仲間であった汚い生き者達を見下ろすと、逃げろと言った。二次性徴前の男のような声だった。 汚い生き者達の瞳になんの反応もないのを見て取ると、なんの迷いもなく見捨て、角材を拾い上げてドアに体当たりして突き破ると肩から血を流しながら逃げ始める。 奇妙なことに、外に逃げるのではなくて、ラボの奥へ奥へと走っていた。



生きたかった。

ただ、生き残りたかった。

理由も予想もあったわけではなく、ただ衝動だけがそれを欲していた。

生存本能。



 幸せになるために生きるのだと言う言葉は、その実験体に関して言えば嘘であった。
ただ、生きたいと考えていた。生き延びた先が不幸でも苦しくても、やはり生きようとしただろう。なぜ生きるのかと問われれば、ただ生きたかったからだと言うほかない。

 廃棄実験体46号は、きつく閉じられた口から異様な叫び声をあげると研究員の一人の頭を棒で叩きつぶした。念のために何度も叩いた。
 殺したことを確認するとIDカードをうばい、次々とドアをあける。

 ドアの奥には人類の奢りと傲慢と科学が詰まっていた。
頭が二つある人間のようなもの、ずっと笑いつづける巨人の女。生き物のようにうごめく髪をもった男。腕が何本もあるもの。頭だけで空を飛ぶもの。幻獣との混血。

 逃げろ

廃棄実験体46号は、言った。やはり二次性徴前の男のような声だった。
 他人のために言った言葉ではない。自分が生き残る可能性をあげるために言った言葉だった。
 廃棄実験体46号の言葉が分かったのかどうか分からないが、ずっと笑いつづける巨人の女と生き物のようにうごめく髪をもった男が動き出した。ドアの外に出ると訳の分からない叫びをあげながら破壊活動を開始する。どれも青い髪をしていた。

頭が二つある人間のようなもの、腕が何本もあるもの。頭だけで空を飛ぶものが動き出した。生きている人間を見ると、集団で追い掛け回し、そして足をつぶす。逃げられないようにするためだった。そこから先は知らない。廃棄実験体46号にとっては確認するまでもないことだった。
 隔壁が一斉に閉鎖される。 次にはじまるのは強酸の放出だった。

廃棄実験体46号は間一髪で隔壁の外へ出ると、コントロールパネルを開いて他の隔壁も一斉に閉鎖するように配線を接続した。次々と隔壁がしまっていく。
 これで誰も出られない。それは要するに自分の存在を知っている研究者達も逃げられないということだ。廃棄実験体46号は歯をくいしばった。何度も考えた。何度も。ここまでは予想通り。

 閉鎖された隔壁が内側から歪んだ。叩く音。あの巨人だろうか。
遠くに叫び声が聞こえる。
 だが廃棄実験体46号はそれらの情報をすべて無視した。痛みに顔をしかめながら肩を外し、通気口を通り始める。通りやすくするために絶食をして、ぎりぎりまで体重を落していた。

 芋虫のような無様な格好で、それでも廃棄実験体46号は必死に通気口を這った。
生きたかった。何としても生きたかった。生命というものは、生きることが全てであると体中が表現していた。

 通気口から落下する。
うめきながら、肩を入れる。右肩はなんとか入ったが、左肩のほうは駄目だった。
 時間は、もうない。左肩のことは忘れて、コントロールルームに入った。

そこには逃げ込んでいた研究者達が居た。
 警備員は居ない。月の終りのこの時だけは、警備員を退席させて政府に報告するには厄介なデータの改竄が行われる。

「廃棄されるのを待っていた。ずっと」
 廃棄実験体46号は、そう言った。

「身体をいじられながら、記録を抹消される日をまっていた。お前達のやり方は知っていた。お前達のお楽しみのために書類上から登録が抹消されて実際に破棄されるまで、何日かある」

廃棄実験体46号は叫んだ。

「俺の勝ちだ」

繰り返し叫んだ。

「俺の勝ちだ!」

「お前達を全部殺せば、俺は生きられる。ないものを追うことはできない」
「まっ、まってくれ。私は別に」

 廃棄実験体46号は自分の指の骨が折れるまで相手の頭を執拗につぶした。
これぐらいにつぶさないとあの化け物達の仕業にならないと判断したからだった。

 そしてすべてを殺しつくすと、廃棄実験体46号はラボの全ての区画で強酸の放出を命じた。
 あとは警備部で監視カメラのビデオテープを破壊すればいい。

生きられる。そう思った。