ャンブルのゲームデザイン仮説

02/03/07


 僕はギャンブルをやらない。正確にはやれない。
 賭け麻雀を付き合いで数回、時間潰しに旅先でパチンコを1回。
 これがすべて。どちらも10年以上前だ。
 僕には、ギャンブルを恒常的に続ける人の心理が、現時点で理解できていない。
 わからない理由の大半は、僕がギャンブルを“中長期的には必ず損をすることが明確な投資”と定義しているからだと思う。
 逆に言えば、僕はギャンブルを楽しむ資質に欠けるのだ。
 宝くじ数枚で数週間ワクワクできるらしい人、馬券数枚で絶叫する権利を得られる人がうらやましい。
 これらの興奮を何とか我が物にしようと、身近なギャンブラーから話を聞いたり、その本人を観察したりしてみた。
 その結果、ひとつの仮説を得た。

 競馬、パチンコ、宝くじ。日本の3大ギャンブルである。
 これらを楽しむ層は、意外と重複していない。
 ギャンブルなら何でも好き、という人も存在するが割合としては少ない。
 言い換えれば、たいていの人は、特定のギャンブルのみを繰り返し楽しんでいる。
 この棲み分けの要因は何だろう。

 最初に考えられるのは、特定のギャンブルに精通すれば、勝率が上がる、という期待だ。
 否定はしないし、気持ちはわかる。
 パチンコにも競馬にも確かに腕の違いはあるようだ。
 が、それでも実際には、ほとんどの人が負ける。
 ギャンブルとは、個人の多少の努力など大勢に影響しないように入念に計算された非常識なゲームデザインなのだ。

 さて本題だ。
 まず同じ1万円で、払い戻しの最高額の期待値を考えてみる。
 ここで言う期待値は数学的な意味ではなく、ギャンブラーの勝手な思い込みを意味する。
 パチンコは1日中やれる体力があり、かつ勝ち通しでもせいぜいが10万単位。
 競馬は当て続けて100万単位か。
 宝くじなら前後賞で億を越える。

 次に大当たりが出る頻度、高い順。
 これも同じ。
 3つ目は、熟練度や情報量と勝率の相関、高い順。
 これも同じ。
 4つ目は、利用頻度、高い順。
 これも同じ。
 5つ目は、1ゲームの参加者数、少ない順。
 これも同じ。

 最後は、判断を下してから結果が出るまでの待ち時間である。
 最短はパチンコ。
 次が競馬。
 宝くじが最長である。
 つまり同じ順だ。

 この比較から、同じギャンブルでありながら、パチンコ、競馬、宝くじでは、異なるバランス調整によって、ユーザー心理の誘導が 成立していることがわかる。
 またそのバランス調整には一貫したパターンがあることも見て取れそうだ。
 このあたりのパターンを分析し、ユーザー層を見直し、その結果を踏まえてバランス調整を行えば、イマイチ盛り上がっていないらしい totoも少しはましになると思うのだが、どうだろう?
 あ、もちろん、僕自身のゲームデザインにも活かすつもりだ。
Alfa・MARS PROJECT