ラフィック性能の向上分を、ユーザーに還元せよ

02/04/04


 ドリキャス、PS2、X−BOXと、新しいハードが発売するたびに向上しているのがグラフィック性能だと言われる。
 性能が上がること、それ自体はけっこうなことだ。
 確かに絵はきれいになった。商品価値も上がる。
 だれもが認めるところだろう。

 が、ゲーム性が向上したか、変化したかといえば、必ずしもそうではない。
 今のところ、向上したグラフィック性能の大半は、開発側で使用されているように思う。
 ユーザーはゲーム性の向上、変化という形では、その恩恵にあまり預かっていないのではないか。

 抽象的な話なので具体例を挙げよう。
 たとえば記憶容量が膨大に増えたとき、シムシティやポピュラスという今までにないゲーム性が登場した。
 これによりユーザーは新しい面白さを得たはずだ。

 残念ながらグラフィック性能の向上は現在のところ、こういった新しい楽しさの提案に結び付いていない。
 言い換えれば絵がきれいになっても、面白さの点では、ユーザーはちっとも得をしていないのだ。
 見ているだけで、未だその本質に触れてはいない。

 数は少ないが例外もいくつかは出ている。
 まず、ラクガキ王国。(だれが考えたか知らんがあんたは偉い!)
 それに大勢のキャラを指揮するタイプのSLG。
 アーマードコア3もある意味で該当するかもしれない。
 あとは…。僕には思いつかない。

 グラフィック性能が上った分を、開発者は自分たちだけで楽しむばかりでなく、そろそろユーザーに渡してもいいのではないか。
 美麗な絵で画面を飾ることだけがグラフィック性能の向上じゃないだろうと声を大にして僕は言いたい。
 このあたりに新しいゲームデザインの金脈があると思うのだが、いかがなものだろうか?

 

Alfa・MARS PROJECT