まりは、変化する状況の凝縮と再現だ

02/04/04


 最近ゲームデザインという仕事に関してふと思い当たったこと。  「ゲームデザインとは“状態”を作ることではないか」  状態であるから、そこにはその時点でのとりあえずの調和がある。
 この調和は、プレイヤーの介入によりさまざまに、そして少なくともプレイヤーにとって劇的に、変化していく。
 わかりやすく、かつ異常な状態は、日常を凝縮する。
 そういう“状態”を再現すること。
 たぶんそれがゲームデザイナーの仕事なのだ。

 昨今のゲームは、システムとシナリオが剥離しているものが多いと言われる。
 が、ゲームデザイナーの仕事が“状態”を作ることなら、システムもシナリオも状態の変化を促すという意味で、本来、機能は同じはずだ。

 だからさあ。
 ゲームのシナリオを書く人たちに言いたい。
 「あなたが何をしたいか、見せたいか」じゃなくて「プレイヤーに何をさせたいか、感じてほしいか」。
 そういう視点でもって書け。
 それがゲームのシナリオなのだ。

 勘違いする人がいそうなので補足する。
 「分岐を増やせ」と言っているのではない。
 それも方法論のひとつだろうが本質とは全く違う。
 分岐のないシナリオでも「プレイヤーに何を体験させたいか」が明確に伝わるものもある。
 “状況”の変化がプレイヤーを自然かつ能動的に動かすなら、たとえ一本道であっても、ゲームのシナリオとしては成立する。

 かく言う僕も、暴プリに感じるチグハグ感の正体が、この認識がやや希薄であったことに少なからず起因するのではないか、と最近気づいた。
 偉そうなことは言えやしない。
 もっとディレクターやゲームデザイナーとこの点を綿密に打ち合わせをすべきだったと今は思う。

 キーワードは“変化する状況の凝縮と再現”だ。
Alfa・MARS PROJECT