田省治のシナリオ作法

96/11/24 桝田省治


 質問の答になっていないだろう、というコトを先にお断りしておきます。
 というのもシナリオの勉強なんてしたことないから。
 アカデミックな面では、岩崎大明神のほうが100倍しゃべらせると凄いです。意味が素人に理解できるか否かは別として。

 僕のゲームの作り方の段取りは、前にもちょっと書いたと思いますが、まず「やりたいコト。楽しませたいコト。」があって、 それを再現するためにどういう環境が最も適しているかを考え、システム回りを中心とした着地点(ゲームとして成立するかってコト)と 商品としての着地点(それなりに売れるかってコト)が見出せたら、その後に必要なら設定やらシナリオやらに手をつけるというコトが多いです。
 だからたいていの場合、僕の最初の企画書には設定やキャラやストーリーが飾り程度か、ないコトすらあります。
 他人の企画書はあまり見ないんですが、1ページ目にキャラの絵や世界の説明があることが多いようです。 (まっそれがウリならそれでもいいんですけどね。)

 たとえば「L3」の場合、まず「動物集め」があって、それを楽しませる手段として「箱舟」とか「男女」とか「親子愛」とかが 目立つ要素としたシナリオが組まれたわけです。
 つまりL3のシナリオは僕にとっては動物集めの楽しさを盛り上げる派手めの部品ですし、高山みなみ先生のお声なんかはその部品の中の 重要であっても小さな歯車のひとつに過ぎません。
 見方を変えればL3のシナリオはたとえ全く存在しなくてもとりあえずゲームとしては成立するという程度のものです。
 商品としてはおそらく成立しませんけれど。
 ローグがトルネコというキャラなしでは、あんなには話題にならなかったであろうというのと同じ意味で。

 さらに極端なこと言えば、僕の書くシナリオはゲームの中でしか面白くない、あるいはゲームの中でしかちゃんと機能しない性質を もっているし、本人もそれで必要十分と考えています。
 重馬君やおそらくI島某氏のシナリオなんかはコミックやビデオや小説なんかのメディアのほうが相性が良いとさえ思えるフシがあります。
 シナリオとして完結してるという部分だけみると明らかに彼らの方が優れていると思います。
 ただ僕の意見では不完全でスキだらけで、プレイヤーのつけ入る余地というか、やることがいっぱいあるほうが2WAYという 媒体特性からしてゲームのシナリオとしては望ましいのです。

 僕の最初のTVゲーム体験というと任天堂が発売した、商品名は忘れましたがテニスとかホッケーとかいう名の10種くらいのゲーム (つまみで上下に動くバーで玉を打ち返すだけ)の単純なオモチャでした。
 でも凄く楽しかったんですよ。
 何が楽しいかと言えば、自分の指を動かすと画面の中のモノがちゃんと反応すること、それと点数のカウントだけとはいえ自分のやったコトの 記録が残ること。
 要するにこの2つで、基本的には今もこの2つの楽しさを大仕掛けに再現してるだけです。
 なのでそのゲームの本質的面白さを最大発揮するために、僕の必要と思う分だけ意図した効果をあげてくれればそれでOKなんです。
 だからパターンを押さえて効率的に構成することが多くなります。

 ホンネとしては、だからと言って僕のシナリオは、それなりのレベルはあるとは思ってはいます。
 僕はわりとマジメなんで、ちゃんと下調べしたり、過去の名作のウケる部品をちゃっかり調達したりします。
 こういう事務的仕事から生まれる僕のシナリオよりつまらないシナリオで満足してるモノがあったとしたら (いや、あるんだよ、実際のとこ。いっぱい。)シナリオライターが勉強不足かセンスがないか手を抜いているかのどれかです。

 で、僕が自分のゲームのシナリオに自信をもっている理由ですが、たとえば僕のシナリオが60点で重馬君のシナリオが90点だとしますよね。
 僕のシナリオはハナからそれをねらって構成されてますからゲームの中の他の要素とからまって60点以上の効果をあげます。
 それに対して重馬君のシナリオはおそらくシステムに足を引っぱられ、マップに泣かされ半分くらいしか力を発揮しません。
 シナリオのみを楽しむ人たちも少なくないですが、ほとんどの人はトータルの評価をします。
 よほど僕のシナリオがひどくないかぎり、僕のゲームの中のシナリオの勝ちです。
 勝ちが見えています。自信がわくのは当然でしょう(大笑)。


 シナリオの書き方なんてまともに勉強したことはないと書きました。
 が、独学というか(たいてい必要に迫られて)いろいろ悪あがきする際の方法を参考まで記しておきます。

 まず用意するモノ。
 100人のうち99人までが面白いと言うビデオあるいはコミック、小説等。自分が何度観ても読んでも感動するという基準で選んでもよいです。  次にそれを通して観るなり読む。
 感動したシーン、笑った台詞、怒りがこみ上げた悪役の仕打ち等、とにかく自分の心が予想外に揺り動かせれたポイントを 可能な限り書き出してください。
 で、それを意識しながらもう1度、観るなり読む。
 さっきの心の動いたポイントを確認できましたね。

 じゃそのポイントでなぜ心が動いたのか、心を動かすために作り手が何を作品の中に配置したのか考えながらもう1度。
 設定、人物、音楽、小道具、台詞、照明、衣装、カメラワーク、ノイズ・・・様々な要素が注意深くさっきのポイントを盛り上げるために 用意されていたことが何度か観るうちにわかるはずです。
 次に今発見した諸要素に対して、同様にその存在をその作品内で成立されるために用意された要素を捜してください。
 それが見つかったら同様にそれを成立させる要素を捜してください。

 この作業をその作品内にある全ての要素が出尽くすまで繰り返し続けてください。
 慣れれば普通の映画で30回くらい観直して、10日もあれば終わるはずです。
 もちろんあなたが作ったものは自分の勝手な一元的な感性のフィルターで書かれただけのものですから、ゼンゼン完ペキではありません。
 でも意味があることは保証します。

 よく「とにかくたくさん観る」とか「読め」とか言われますが、僕の意見ではウケるシナリオの構成要素なんて数100パターンしかないですし、 そのうち汎用性の高いモノだけを考えるなら、200か300です。
 さらによく練り込んであるハリウッド映画なんかでは1作品につきその要素が20くらい入っています。
 つまり毛色の違う作品を選べば、10数本あれば研究としては足りるというわけですね。
 あとはそれが最大限に効果を発揮できる条件を整理して、入念に配置する。
 僕の言うところの「パズルを解く」作業です。
 自分の表現したいモノ、お客様に楽しませ体験させたいモノがたとえば立方体なら、立方体になるまであきらめず、無数のパーツを 根気よく組み立てる。
 ただそれだけのことです。

 大事なのは、本当に立方体でいいのか、球じゃないのか、三角柱じゃないのか、ちゃんと初めに考えること。
 一回決めたら途中で迷わないこと。
 部品の性能の高さに目を奪われると、決して最初に決めた形にはなりません。
 高山みなみの声がよい、重馬君のシナリオがよい、CLAMPの絵がよい、それだけで商品としては成立するのかもしれません。
 でもトータルの遊べるゲームとして成立するか否かは、僕にとってはゼンゼン別の話です。

 高山みなみさんや樹原涼子さん(リンダの作曲家)なんかと仕事をしてて時々あるのは、他のパーツより突出して凄すぎると、 申し訳ないけどトーンを落としてくれという話になります。
 そこだけを見れば完成度を落としてくれと言ってるようなモンなんだけど、全体を考えるとそのほうが効果を望めることもある。
(まあ、これも例外があって、他を犠牲にしても暴走させる価値のある部品はエンターテイメントの世界には少なくはない。昔の勝新太郎とかサ。)
 話は脱線しましたが、結論だけまとめると(僕の考え方を押しつけるつもりは毛頭ないですけど)シナリオは大事ですがただの構成要素のひとつ、 部品以上でも以下でもありません。
 こういうとらえ方をすれば事務的に処理できますから、血や汗や涙のにじむような努力なんかしなくても自分に必要な部分は、効率よく どこからでも持ってくることができると思う、ということです。
 効果が同じなら手軽で気軽なほうがいいでしょ?
 「若いうちは労を惜しむな」とよく言われますが、仕事ですから効率を優先して時間や金を惜しむのが筋です。


追伸:
 それにしても僕の作るモンは、高山みなみ先生といい、涼子さんといい考えてみると優秀な女性で何とかモッてるようなモンだナ。
 いつも僕の予想以上の効果の提供と新たなインスピレーションを与えてくれる彼女たちにあらためて感謝するとともに、 ひとつ付け加える言葉があるとするなら、「僕をこれからも見捨てないでね」ってとこですか(笑)。
Alfa・MARS PROJECT