画メモ 友達を探すゲーム(再び)

05/10/26


 いつ頃だったか忘れたが、以前ちょっと思いついたときにBBSに、アイデアをメモした企画である。
 僕は3日に1つくらいのペースで馬鹿なことを思いつく。その中の1/4くらいが新しいゲームのアイデアだ。
 まあ当然、その大半がくだらない、あるいは売れそうにもない、要するに没ネタであることは言うまでもない。
 だが、そのクズの中に「やっぱ、いいかも?」と周期的に再浮上してくる企画がある。
 数ヶ月前にこのコラムで企画書を公開した「勇者死す」も、この「友達を探すゲーム」もそんなひとつだ。
 たぶん「俺の屍を越えてゆけ」も、僕一人が面白さを確信し、かつ何が面白いのかはわかっていない、そんな時期が3年は続いていた気がする。

 …というわけで、今朝、「友達を探すゲーム」が久しぶりに再浮上したことを記念して、ここまでの企画概要をまとめることにした。
 ちなみにこの企画が再浮上するきっかけはいつも同じだ。
 今は付き合いのない昔の友人の夢を見て、目が覚めてからその人の消息を少し気にしつつ3分くらい思い出に浸る、そんなとこだ。

 まずこれは、自分のせいで魔王だかなんかに呪いをかけられ、いろんなものに変えられた友だちを、世界中、歩き回り探しだすゲームだ。
 プレイヤーが最初にやる作業は、知人の顔をモンタージュで作り、名前と性別を入力。
 「スポーツは得意?」「異性にもてた?」などアンケート形式でプロフィールを確定。
 この設定が終わると、ゲーム世界のどこかに、その知人は何かに姿を変えて隠される。
 そしてプレイヤーは、世界を歩き回り、知人を見つけて封印を解き、仲間を増やして力を合わせて魔王を倒す。
 まあ、魔王や呪いは、ただの理由付けで、はっきり言ってどうでもいい設定だ。
 封印の場所は100箇所くらい。その中のひとつにランダムで隠される。
 壁の落書き、あるいはモンスターとして、時には樹木や雲、日用品、文章や絵の中に。
 広い砂丘の風紋に、野良犬のケツの染みに、知人の顔が浮かんでいるかもしれない。
 現在のゲーム機の3D表示能力を使えば、あらゆる物にわりと自然に、人の顔を貼り付けたり挿げ替えたり紛れ込ませたりできるはずだ。

 さて、これの何が僕を面白がらせているのか。
 自己分析1:
 無意味な図形や記号の集合を有意味な形として認識して面白がる癖が人間には普遍的にあるという説。
 たとえば星座。壁の染みが人の顔に見えれば心霊写真。
 景勝地の奇岩には象岩だの獅子岩だの、らしい名前が必ずつけられている。
 標識や時計など見慣れたものがなんとなく人の顔に見えると笑える。
 クイズ番組などで、隠された文字や図形を発見したときは妙に嬉しい。
 この「!?」を能動的に作りだせれば、退屈しのぎにもってこいかも?

 自己分析2:
 プレイヤーが誰を探す対象に設定するか、どんな顔で、その人のプロフィールを自分はどうとらえていたか。
 入力する時点で、自分に都合よく記憶を再編集して、勝手な物語を作り始めている。
 その行為自体が既に程よく馬鹿馬鹿しい知的な遊びだ。
 そして探し出したその人の名を持つゲーム内のキャラクターをどう思うのか。
 当然、ギャップは出るだろう。
 でもそのギャップは、同窓会で十年ぶりに会った初恋の人のそれと大差ない気がする。
 経験的に言えば、そういう場合はガッカリするより「そういうもんだよな」とか「お互い様か」と割り切れば、そこから先には別の楽しみがあった りする。
 時効になった打ち明け話のひとつでも出れば1週間は思い出し笑いができる。

 自己分析3:
 上記の自己分析2と矛盾するが、僕は夢で時々会う、今は付き合いの途絶えている友人と積極的に会ってみたいとは実のところ思っていない。
 でも彼らの消息を知り、安心したいという気持ちもたぶん心のどこかにある。
 かつてともに笑い、場合によってはくだらないことでケンカしたりした友人たちだ。
 少なくとも普通に、無事に暮らしていて欲しいと願っている。
 でも、先に書いたとおり、積極的に会いたいとは思わない。
 だってさ、僕くらいの年齢になるとクラスにひとりくらいは他界してるしさ…。
 このモヤモヤした気持ちの埋め合わせが夢の中以外で楽しくできるなら、同窓会の会費くらいの値段なら僕は払う。

 どうだろう?
Alfa・MARS PROJECT