びのルールを創造する

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 僕の仕事はゲームの企画という“遊びのルールを創造する”ことだ。
 しかしここで言う“遊びのルールの創造”はそれとは意味あるいは次元がやや異なる。
 遊び仲間のメンツ、天気など日々変化する環境や条件を柔軟に取り入れ、その日その場所で即興的に創造する遊びのルールの意味だ。
 子供のころなら、誰でも毎日のようにやっていたはずだ。
 僕自身がその類いの創造をした最後は、少なく見積もって20年以上前だと思う。

 先週の日曜、息子2人と近くの公園に行った。
 とくに何をして遊ぼうと決めて行ったわけではないので、ボールなど一切のツールは持参してない。
 公園にはブランコとすべり台と管理の悪い砂場がひとつ。
 予想通り2人ともすぐに飽きる。

 長男が「鬼ごっこをしよう!」と言い出した。
 前向きな提案だ。
 しかしながら、2歳、6歳、38歳では運動性能が根本的に違う。
 適度な戦略性や緊張感の伴う、楽しい鬼ごっこは実現できなかった。
 長男の新提案は「お父さんが弟(2歳)を背負う。」というハンデマッチである。
 これは次男にも好評であったし、ゲームバランスとしてもかなり良好だった。
 問題は日ごろの僕の運動不足だ。
 2歳とはいえ次男の体重は13キロ。3セット目で力つきた。

 僕がベンチで休んでいると、2人は公園のわきに生えている、パチンコ玉よりやや小ぶり草の実を集めることに熱中し始めた。
 次に長男は集めたその草の実を少しずつ落としながら歩き、有意な図形を草の実で地面に描くという遊びを始めた。

 ところが次男は効率的に草の身を集めたいらしく、長男が意図的に落としていった草の実を後を追いかけて拾ってしまう。
 この行為により長男の遊びのルールは破壊される。

 しかしながら長男は、ヘンゼルのパンを小鳥がついばむようなこの状況がおもしろかったようだ。
 図形を描くためではなく、最初から次男に拾わせることを目的に草の実を落としながら歩き始めた。
 つまり次男にルートを確定させないために、意外性のある方向転換を歩行パターンに取り入れたり、草の実の無意味なばらまきを随所で 織り混ぜたり、要するにトラップを仕掛けたのだ。
 この遊びは長男の思惑も適度に外れて、運と実力のバランスが絶妙なゲームに思えた。

 が、長男のトラップは短時間で複雑に進化し、さすがに2歳の知能ではルートを見失うことが多くなる。
 ここでまたゲームバランスが崩れる。
 そこで次男は僕に助けを求める。

 長男と僕の身長差は約70センチ。視野の広がりが圧倒的に違う。
 長男の仕掛けたトラップは、ほとんどその機能を失う。
 もちろんバランスをとるため僕が適当に迷うフリはできるが、過去の経験からそういう手抜きを長男は好きではない。
 そしてまたゲームバランスが悪くなる。

 試しに長男の役割を僕がやることにする。
 長男は僕のたどったルートをトレースする。僕が立っているゴールまで草の実を拾いながらたどり着くことが彼の勝利条件だ。
 次男は相変わらず草の実集め。
 つまりこのゲームには、追跡者側がある程度早く行動しないとルートが次男によりランダムに破壊されるという時間制限ルールが 付加されているわけだ。

 このゲームの完成度は実に高かった。
 何よりいいのは、同じ遊びに参加しながら3者3様のレベルで楽しめたことだ。
 次男は帽子一杯、草の身を集めて御満悦だった。
 長男は適当な難度のパズルに挑戦する知的喜びを知ったようだ。
 僕は長男がギリギリ解ける難度にゲームバランスを調整する作業がおもしろかったし、思ったより長男の知能が発達していることを 実感できて親として嬉しかった。

 残念なことはふたつ。
 あと2週間もしないうちに、その草の実を簡単かつ大量に手に入れられる季節ではなくなること。
 来年の今頃は2人の息子は成長し、このゲームの単純にして奥深いルールを楽しめなくなるであろうこと。

桝田省治
Alfa・MARS PROJECT