代目引田天功のマジック

99/09/07


 実はプリンセス・テンコーこと2代目引田天功のファンである。
 帰国しているのか、ここ数週テレビでよく見かける。
 相変わらずの年齢不詳さ加減がとても怪しくてカッコイイ。

 で、テレビを観ていて気づいたこと。
 マジックは「消える、現れる」「浮く」「入れ替わる」「変身する」、乱暴に分類すればこの程度の要素の組み合わせに過ぎない。
 ここで比較してみたいのが今どきのSFXを駆使した映像である。
 しょせんタネがあるという点では、マジックとSFXの映像は同じだと視聴者の大半が知っているはずだ。
 その凄さを同じテレビモニター上に映し出されている絵として比べれば、今どきのSFXに分があるのは明らかだ。

 だがことはそう単純ではない。
 観客の目の前で実際に起きているという認識をテレビの前でももつことができれば、SFX映像全盛の今もマジックはちゃんとおもしろい。
 つまりマジックは「いつ入れ替わったんだろ?」とか「どこに隠してたんだろ?」とか想像して悩む側がいて成立していると言い換えることもできる。

 たとえば僕は電話で遠くの人と話せる“タネ”を説明できないけれど、そのコトで悩まない。おそらくほとんどの人は僕同様に悩まない。
 よってそこにはマジックは成立しない。
 なぜ悩まないか。理由はいくつかある。
 ○みんなが悩まないから
 ○不思議さより実用性が大きく勝っているから
 ○そこらじゅうにありふれていて神秘性がないから
 ○誰でも電話をかけることができるから
 ○調べさえすれば、タネを知ることができることを知っているから
 ○電話は人ではなく機械だから
 他にもあると思うが、まッこんなところだ。
 逆に言えばこれらの要件を排除して、かつ悩ましいのがマジックであるとも言える。
 その排除機能を担うのが演出と呼ばれるものだ、たぶん。

 ここでゲームの話を少し。
 常々マジックの構造をゲームの中で再現できないかと考えている。
 これが意外と難しい。
 というわけで何か盗めないかと、ここ数日プリンセス・テンコーを探してチャンネルを忙しく変えている。
 で、気づいたことがひとつ。
 もしかしたら彼女の麗しい姿を観た瞬間、僕は“彼女に上手にだましてほしい”モードに自分から入っているような気もする。
 だとしたら彼女自身が彼女のマジックの最大のタネであり演出だ。

桝田省治
Alfa・MARS PROJECT