「餅は餅屋」に関する一考察

01/03/29


 例によって昼食時の他愛ない話。
 「餅は餅屋」というコトワザがある。
 一般的な意味は「なにごとにも専門家がいて、いくら素人がうまくやっても、プロにはかなわない」くらいの感じだ。
 で、いくつか疑問がわいた。
●ナゼ「薬は薬屋」とか「仏壇は仏壇屋」じゃなく、「餅は餅屋」なのだろう?
この答えは、たぶん餅つきが当時は一般の家庭でも行われていて、あるいは行われるようになって、プロとの差をあまり感じなくなった からだと、とりあえず仮定してみた。
つまり餅は“素人でも簡単に作れそうな”モノの代名詞だ。
しかし餅以外にもこの条件を満たすモノは、たくさんあったはずだ。
で、次の疑問。
●じゃ、だれが“餅”を選んで、コトワザとして普及させたのか?
おそらく餅屋自身ではなかったかと、僕は推測してみた。
理由は、餅つきが一般の家庭でも行われるようになり、餅屋が経営に危機感を感じたためだ。
で、プロとアマの味の差を強調するブランド戦略を打ち出した。
当時のオピニオンリーダーたちに「やっぱ餅は餅屋だよねェ」とか言わせて「餅屋の餅と一般家庭でついた餅の、微妙だが決定的な味の 差がわからないようじゃ、2流だね」と暗にほのめかした。
大衆の虚栄心を突く、今でもイメージ広告によく使われる手法だ。
●結果、この餅屋の作戦は成功したのか?
僕は“サトウの切り餅”くらいしか“餅屋”メーカーを知らない。
専門店の“餅屋”は、生まれてから一度も見たことがない。
たぶん餅屋は、「餅は餅屋」というコトワザだけを残し、一般人の習慣変化に負けて淘汰されたのだと、いちおう落ち着いた。
…ところがこの話をその夜、妻に話したところ、仰天の証言を得る。
彼女の子供の頃には“餅屋”と呼ばれる小売店が確かにあった。
また熊本には、今も“○〇餅屋”と名乗る店がある、とも。
●餅屋の敵が一般家庭の餅つき習慣ではなかったとすると、いったいナンなのだ?
答えは妻の証言の中にあった。
“子供の頃には〜あった”餅屋は、その時点で既に屋号に“餅屋”を残す、餅も扱う米屋であり、現在はコンビニだそうな。
熊本の“○〇餅屋”の主力商品は、団子を含む和菓子だそうな。
つまり業態変化に対応できなかった専門店の“餅屋”が消え去ったのだ。
ということは「餅は餅屋」が広告のキャッチフレーズであり、かつそれが専門店の“餅屋”から発せられたと仮定すると、先に上げた 意味ではなく、本来は次のようになる。
「餅は米屋や団子屋の餅ではなく、何と言っても専門の“餅屋”のほうが美味いンです!」
で、結果としては、この主張は実らず、時代の趨勢に負けたワケだ。
こう考えると「餅は餅屋」という言葉は、餅屋の断末魔に思えて、餅好きの僕としては、ちょっと悲しい。


 ここまで書いて、ふと思う。
 根拠の薄い仮定の上にさらに勝手な仮説を重ねて、それで出た結果に悲しんでいる僕って、今さらながらバカだ。
Alfa・MARS PROJECT