山田風太郎は、なぜ開いたか?
04/03/30
平積みにしてあったくらいだから、ご存じの方もいるかもしれない。 ふらりと入った書店で見かけて、2分ほど立ち読みした後、つい買ってしまった。 ファンには垂涎。山田風太郎小説の復刻版だ。 氏の作品は、少なくとも半分は読んでいるはずだが、これは知らなかった。 タイトルは忘れたが、忠臣蔵と吉原をモチーフにした短編集だ。 忠臣蔵のほうを読み終え、吉原のほうを読み始めたところで、違和感を覚える。 なんとも読みにくい。 なぜこんなに読みにくいのだろうと考えた。 理由は漢字の開き方(仮名表記)が妙なためだった。 漢字の使用量が少ない。規則性も見当たらない。 けっこう難しい漢字はそのままで、子供でも読めそうな漢字がひらかなで書かれている箇所も多い。 なぜこんな読みにくい文章を風太郎は選んだのか。 他の作品には見られない文体だ。 つまりわざわざ何らかの意図を持って書かれたはずだ。 1週間ほど考えた。何度も読み返した。 疲れ果てて焦点も合わなくなり「わからん」と、本を投げ出したとき答えが見えた。 ぼーっと眺めたページには漢字だけが浮かんでいた。 その漢字はいずれもそのシーンの雰囲気を伝えるのに最小限必要なキーワードだった。 つまり1行にひとつずつ見出しがついているようなものだ。 この作品の初版が出た当時の活字は、現在より漢字がひらかなに比べ一回り大きいデザインであったはずだ。 この趣向はより鮮明だったと思う。 これを意識して読み直すと、漢字を中心に斜め読みをしても話が十分わかる。 むしろ斜め読みを推奨しているように思えた。 で、シーンと漢字の出現頻度を比較してみた。 傾向としてはチャンバラなどテンポが欲しいシーンでは、漢字が少ないようだった。 僕の推測では、風太郎先生は各シーンのテンポに応じて、読者がページをめくるスピードまでもコントロールしようとしていたらしい。 笑ってしまった。 大リーグの剛腕投手並みのおそるべき傲慢さだ。 しかしこの試みは失敗に終わった。 なにしろこの妙な文体は僕の知る限りこの1編のみ。 仕掛けに読者が気づくより先に読みにくさのほうが勝ってしまった、というわけだ。 でも僕はこの試みを高く評価する。 思いついたら、とりあえず形にしてみる。 こういう無邪気というか無謀というか、そんな山田風太郎の姿勢が僕は大好きだ。 以上 |