“雑草”の定義

04/09/10


 次男(小三)は言葉の正確な定義にときとして固執する。

 庭の隅に百日草が咲いた。
 誰も種をまいていないし、水もやったこともない。
 花が咲くまで、その存在にすら気づかなかった。
 おそらく隣家で植えられたモノが偶然うちの庭に根付いたのだろう。
 さて、ここで次男の問題提起である。
 「この百日草は“雑草”か?」

 先に書いたとおり、まったく人の手がかかっていない。
 そんなものが生えてきたことも知らなかった。
 そういう意味では“雑草”には違いない。
 が、次男いわく
「僕は蕾がついた頃から水をやっている。
 そのときから“雑草”では、ないのではないか?」

 その花の名を知らなかった四歳の娘にとっては、それが“百日草”という名前だと教えられた時点から変わったかもしれない。
 僕にしてみても、次男から雑草の定義を訊かれて、初めて庭の隅に咲いている百日草に眼を留め、以来それなりに気にして見るようになったわけだから、 もはや雑草ではなくなっているように思う。

 あと1ヶ月もすれば、百日草は枯れるはずだ。
 枯れてしまえば僕は、たぶんすぐに忘れるだろう。
 その時点で僕にとっては雑草に戻る。
 が、娘は百日草の名前を、次男は夏の炎天下で水をやった経験を花が枯れた後も覚えているはずだ。
 彼らにとって、その花は枯れてなお雑草ではなく、他と区別される花であり続ける。

 では庭の隅に咲いた花が“百日草”のようなポピュラーな草花ではなく、辞典で調べても載っていない外来種で、とりたててかわいいと思える ような花も咲かない。
 そんな品種だったら、どうなっていただろう?
 たぶん次男は水をやらなかったはずだ。
 おそらくは“雑草”のまま、枯れたに違いない。
 とすると、同じ条件下でも“雑草”から格上げされる可能性を持つ花とそうではない草花には品種の段階で差があることになる。

 また庭の百日草がたまたま悪条件が重なって、蕾をつけるまでに至らなかった場合は、どうだっただろう?
 あるいは咲いた場所が庭ではなく、裏の家との間のわずかなスペースで咲いていることに、ついに誰も気づかなかった場合は?
 芽が出たところが運悪く駐車場で、大きく育つにつれ邪魔になってきたとしたら?

 逆のケースはどうだろう?
 種をまいてみたものの、その後忘れてしまい、半年後に気づいたときには花も散っていて、その色さえわからない、とか。
 そういえばうちも、隣接する土地に急に家が建ったため、庭の一部が以前より日当たりが悪くなって、そこに植えたはずの向日葵が結局 20センチくらいにしか育っていなかった。
 …ということに最近気づいた。
 この向日葵などは忘れられた時点で雑草になっていた気がする。

 ところで、ここで話題にしている百日草の立場になって考えてみると次男が気まぐれに水をやろうが、娘が名前を覚えようが、そんなことに 関係なく立派に花を咲かせたわけだから
「私は“雑草”だわよ」と主張しそうだ…。

 ついでに現在受験生である長男なら
「百日草? 試験に出ないから雑草!」と切って捨てる気がする。
Alfa・MARS PROJECT