バリ島雑記3、神道の本質を考える
99/2/8 桝田省治
僕の質問に禅問答のような答えをするガイドからの質問。 「日本の神道は、どういう宗教なんですか?」 僕の返答。 「石、山、川、木。そういう自然物に宿る精霊のようなモノの恵みに感謝する。もちろん唯一神じゃなくて多神教。 主神はアマテラスオオミカミ。 名前の意味はユニバーサル・シャイニング・グレート・ゴッドネス。 つまり太陽の女神だね。」 妻の返答。 「天皇制を盤石にするために、支配者が神話を編纂し長い間保護し続けた、国策的な意味合いがとても強い宗教です。」 このふたつの説明を聞かされたガイドは、当然ながらチンプンカンプン。改めて考えるまでもなく僕にだってチンプンカンプンなのだ。 正確に言えば歴史的な経緯は、頭ではわかっているつもりだ。 しかしながら、バリ島の住民がヒンズー教を体感で知っているのに比べると、全くわからないに等しい。 で、北々東へ向かう成田行き、帰路の飛行機の窓。 闇の中に限りなく細い朱色の線が水平に走るのを見る。 その線は少しずつ幅をもち、その上部を虹色に展開していく。 虹の上下は紺色。その外は相変わらず墨色の闇。 突然、割れた卵が血を流すように朝日が昇る。 そのダイナミックさ、美しさは感動モノだ。 あまりにきれいだったので寝ていた息子を起こし、しばしふたりで御来光を拝むように見る。 そのとき、ふと神道の本質を理解できたような気がした。 神道は要するに、この“太陽の家族になること”。それだけだ。 日本人は単一民族どころか、雲の上から見れば日の丸を家紋とする一家族なのだ。 天皇家はこの家族の家長としてポジショニングされていたわけね。 天皇制の是非はともかく“太陽の家族になること”それ自身はなんだか誇らしく、実におおらかで気持ちいい。 神道ってわかりやすくて、意外とカッコイイじゃない! …といくら言葉を重ねても僕がもったイメージは、実のところ伝わらないと思う。 ぜひ一度自分の眼で見て体験してほしい。 桝田省治
ちなみにウチの息子の感想。「ああ! きれいだねえ、お父さん! まるで…」 (まるで? 子供の純粋な目で見ると何に見えるのだろう!?) 「まるで夕陽みたいだね」 |