クストキング「NKはギャルゲーではない」説

97/07/22


 実は、岩崎先生からは、NKに関してアドバイスの電話を何度かもらっている。
 先日の電話は前にも書いたとおり、NKはかつて類を見ないほど『他プレイヤーに対して攻撃 的』なゲームである、という内容だ。
 2、3日前のは、NKは『ギャルゲーではない!!』という話。
 以下、岩崎説。

1:ギャルゲー美少女は『アイドル』
 ギャルゲーに登場する美少女たちは、まずユーザーの『アイドル』として存在しなければならない。
 そのため『アイドル』としての条件やニーズを満たし、ゲームから離れさまざまなメディアへひとり歩きしやすく設定されている。
 極端なことを言えば、ミニカーがオマケに付いたカバヤのお菓子のように、ゲームとしての機能は本末転倒して 添え物であってすら成立する。
 もちろんゲームとして面白いに越したことはないが、むしろゲーム部分はアイドルである女の子たちの魅力をユーザーに プレゼンテーションする手段と考えるべきだ。

 NKはこれが完全に逆転している。
 NKの女の子たちは十分魅力的ではあるが、その魅力はゲーム性を高める要素に過ぎない。
 このため、ゲームの外への展開も難しく、“アイドル”としてのイメージのひとり歩きを大きく阻害している。

2:ユーザーがギャルゲーに求める展開
 ギャルゲーにおける恋愛の進行のツボは、以下の2点である。
 NKは、この2点をはずしていると言わざるを得ない。
    A:ギャルゲーにおける恋愛は、90%以上プレイヤーの理想通りに進行しなければならない。
     女の子たちに対するプレイヤーの働きかけは、手順さえ惜しまなければ基本的にすべて成就する。
     プレイヤーの予想を裏切る残りの10%の展開のみが、ストーリー上での他のギャルゲーとの差別化ポイントになっている。
     これに対して、NKの恋愛進行は、プレイヤーの思い通りになる比率が70〜80%程度であり、『現実』に近すぎる。

    B:ギャルゲーにおいては、恋愛成就の臨界点の達成がグラフィック、台詞などでわかりやすく表出されなければならない。
     ある数値、あるイベントを越えた段階でギャルゲーに登場する女の子は、『発情』の兆候をこれ見よがしに示す。
     これによりプレイヤーの征服感、達成感は満たされる。
     ギャルゲーユーザーは、この瞬間を体験するためにゲームをしていると言っても過言ではない。

     NKの場合は、特別なイベント時以外は特に女の子の態度変化は露骨ではない。
     現実的な恋愛においてもお互いの気持ちを確認したり、肉体的な結びつきがあった後でさえ、実際には女の子の態度は むしろ男性より変化はないという桝田観察は正しいかもしれない。
     しかしながらギャルゲーに登場する女の子は、男性ユーザーの手軽なアプローチで確実に発情するためだけに 生まれてきた空想上の生き物なのである。


 以上が岩崎大先生の説である。
 電話で聞いた話なので細かな表現は異なるが、主旨としてはこんなところだ。
 この岩崎説が正しいなら、これを実践し、ギャルゲー・恋愛SLG市場で中ヒットを出すこと は僕にとってさほど難しくはなさそうな気がする。
 とともに、そんなモノは僕が作る意味はないとも思った次第だ。
 ただし『らしい』フリをするツボは大先生の話でだいたいわかった。
 いやいや、いつもながら思いきりのいいアドバイスに感謝、感謝。
Alfa・MARS PROJECT