桝田省治流ゲームデザイン
95/12/05 桝田省治
僕はもしかして「日本一視野の狭い」ゲームデザイナーかもしんない、と近頃思います。理由は最大100メートル、だいたいは3メートル以内からしかゲームデザインのアイデアが発見できないからです。 例えば「俺の屍を越えてゆけ」なんかは、その最たる企画です。なにしろ産まれたばかりの我が子を初めて抱いた時(つまり発想の源からの距離0メートル)に浮かびました。 あんなに感情が激しく揺さぶられたのは、生まれて初めての経験でした。ほんの数秒の間にいろいろなイメージが滝のように頭の中に降ってきたのです。 まず最初に浮かんだのは、 「あっ?! こいつが生まれて、俺ってば死ぬんだ・・・そうか、そうだよなあ・・・ 死ぬんだよなあ・・・」 次が、 「あれ? 死ぬってわかったのに、どうしてゼンゼン悲しくないんだろ?いや、ちょっとどこかで後悔してる気もするぞ・・・」 じっと、我が子の顔を見る。 「今、33歳だから、こいつも33歳で子供を作るとすると、俺は66歳でおじいちゃん。その子も33歳で・・・ああ・・・ 曾孫の顔は見られないじゃないかよおおお!しまった! もっと早く結婚すれば良かった!」 見たい、見たい見たい見た〜い! 自分の血を分けた子孫の行末が、ずーーーーーーーーっと見たい! 僕の死後、僕を僕であらしめた遺伝子をもつ僕の分身たちは、ちゃんとやっていけるのか? 途切れたりしないよなあ・・・ 大丈夫と誰か約束してくれ、ウソでもいいから・・・ ウソ? ウソなら自信がある。僕はそれで食っている。 ・・・てな感じでいつも企画がスタートするのでありました。 「俺の屍を越えてゆけ」の感想でどなたか「和風は苦手」とありました。 西洋中世風にしたほうがマーケットも大きい。 よくわかっています。 でもそれでは、ダメなんです。作る意味がない。 主人公となる一族の名字は、漢字でちゃんと「桝」「田」とつけられないと、僕自身をだませない。 |