1.エヴァンゲリオン2製作前夜
近代戦とは畢竟、その其の殆どが火力闘争に外ならず。 とはソヴィエトの戦務教令だが、これはゲームでも同じである。
昔、ゲームというものはアイデア勝負だったが、1990年くらいを境にほぼ、全部の戦線で火力闘争=火力とはお金である。に移行した。
同じ程度の娯楽性のゲームなら資金の多い方が勝利する。少々の娯楽程性の差があるゲームなら、資金の大量投入でこれをごまかせる。以上終了。
それが悪いという訳ではないが、火力戦は個人の否定であり、企画職そのものの否定とほぼ同義である。 もはやゲーム製作はゲームデザイナーの能力に左右されるものではなく、少々の作戦の善し悪しでは勝敗が決しない時代になった。
火力闘争の拡大は運動戦の否定でもある。投入される彼我の火力が増えれば増えるほど、失敗した時の損害は拡大するため、軍事的冒険である大きく形を変えたゲームを作ることを許さなくなったのである。
それゆえに、ゲームは動かなくなった。 個人を否定し、ゲーム性向上を否定し、変化を否定する。お金はたくさんかかる。これが現代のゲーム製作である。
それって面白いのが出来るシステムなの? 答えは否である。
日本のゲームソフト業界転落の図式を芝村が表現すると、このようになる。
2.エヴァンゲリオン2製作前夜(2) 近代以降のゲーム製作が火力闘争に移行し、これが大規模に拡大した時、多くの会社がこの火力に吹っ飛ばされ、消えて行った。
生き残った会社や人間は、いくつかを学んでその教訓とした。 これはその後のゲーム製作のスタンスを決定づけることになった。
一つ目は、火力戦の徒となり、より効率的な火力戦のありかたについて研究をはじめたものである。
二つ目は、火力闘争に嫌気がさし、ゲームポケット地帯に逃げ込んだものである。ゲームポケットとは大火力(大資金)で焼き払う価値のない、小さな市場を言う。そして、自分の身の丈にあった場所で火力闘争を開始したのだった。 小さな地盤は小さな会社を生むのが世界の常識であるから、多くの場合、もう二度と大舞台に立つことのかなわぬ存在になりはてた。
多くの場合、一つ目で失敗して二つ目に移行という、典型的な負け戦パターンで遷移し、今に至っている。
バンダイは一つ目の選択肢で、いまだふんばっている企業である。 火力運用がうまくなければ、ああもうまくはいかない。 バンダイは配置を分散させ火線は集中するというソヴィエトライクなドクトリンで、戦う企業である。
一方そのころ、我が栄光の赤貧アルファ・システムは、どちらでもない道を歩んでいた。 その戦闘教則は火力闘争の否定である。要するに金がないという。 アルファはそれでも戦うのが常ゆえに、独特の戦闘スタイルを編み出した。 それは運動戦への回帰である。 長年下請けで無茶をきいてきたアルファ・システムにはあらゆる戦域で跋扈出来るだけの、あらゆる山岳地帯を踏破する歩兵の足腰があった。 運動し、狙撃する。そして運動する。 アルファ・システムは山岳師団の末裔である。
エヴァンゲリオン2プロジェクトとは、分かりやすく言えば分散集中型火力戦の徒であるバンダイが、奇襲戦を専らとするアルファ・システムを指揮下にいれて闘争したことを指す。
これは、十分な火力支援のもとでこいつらを戦わせればいい結果が出るだろうという考えであり、発売後の展開を決めることとなった。
(続く) |