新世紀エヴァンゲリオン2 戦陣記

戦陣記(17)
17 戦術の復活(5)
 平地における重騎兵の単純突撃、大鑑巨砲の殴り合いを越えて、装甲の薄い、騎兵ですらない兵が、戦闘に勝利する時代がたびたび来たことがある。これは現代で言えば、戦車衰亡の時代と言うことも出来る。時代は繰り返すのである。

 そしていつの時代も、最終的に戦場の女王となるのは歩兵である。
飛行機が最強と言われれば飛行場を歩兵で叩き、最強の軍事国家に数名で衝撃を与え、反撃で都市を制圧するのは、戦車ではない。

 それは森を友にし、沼地を戦場とし、相手の不得意に衝撃を向ける、体格すらも問題ではなく、兵員の数すらも問題でもない、戦いを行う存在である。それを人間という。

 新しい時代は華々しくも輝かしくもない。結局はただの人間が最強だったのだと、またしても確認することになる。
 それが、エヴァンゲリオン2とそれに続くゲーム達の描く未来である。

 ゲームにおける戦いとは人の心が見えぬ階段を昇るように仕向ける、政治的行為の延長線上にある。
 政治の一環で戦いがあり、その戦いは結局のところ、全ての戦いと同じように相手に言うことを聞かせることに全てがある。

 その戦いで最強なのはなにか。

 色々な答えがある。今までもこれからも、たくさんの知ったかぶりが、これを言うはずである。その一人として、我は、こう答える。

 最強はただの人間が、ただの人間を越えた先にある。

 エヴァンゲリオン2が最強なのではない。エヴァンゲリオン2に触れて、越えてしまった人間が最強なのである。
 この人間が、最終的に政治的な目的を達成させる。

 ゲームは単独では成立し得ない。人間とゲームが手を組んで相棒となって、はじめて戦闘単位を形成する。
 二つのトータルで勝負を決めるのであれば、片方が徹底的に片方を助けるシステムがあってもいい。それがエヴァンゲリオン2の開発コンセプトである。
 最強の人間と、最強の教育者という概念である。ゲームが戦うのではなく、人間が戦うシステムである。


 兵は奇道である。ルールを越えて裏をかくことが、戦術というものの全てであり、そのルールをいとも簡単に破るのが人間という、戦闘種族が最強たる所以である。飛んでる飛行機を落とせとは誰も言っていないとグエン将軍が言えば、その瞬間に人間が航空有利から勝利を奪還する。
'17' 2004.1.15.Thu. 

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