新世紀エヴァンゲリオン2 戦陣記

戦陣記(23)
24 自由にしていいと好きにしていいは同義ならず。
 これまでに集積されたデータから、プレイヤーの多くが自由に動いていいよと言われて行動した場合の、IM(コマンド)の選択率は、かなり偏っていることが分かっている。
 つまり自由にさせると自由度がない状態に陥りやすいわけである。

 言い方を変えれば、自由を得た場合には、多くのプレイヤーには明確な目的性を持つ必要がある。このゲームの場合には遊ぶ前に前もって自由の使い道を意図的かつ明確に決めておかなければ、つまり漫然とプレイしているだけでは、使いこなせない。
 これは戦略性の高いゲームが往々にして示す共通の特徴である。

対処:プレイヤーは遊ぶにあたってプレイ目的を設定する必要がある。

 これをゲームシステム的に搭載しなかったのは、そこでゲームが規定されるからである。
 21世紀のゲームは、運用の改善で性能を尻上がりに上げる方が望ましい。従来の消費型のゲームでは発展の道はない。

 規定=エンディングや目的をかければそこから先のゲームがなくなる。走ることが目的の車という機械に、ある条件では走るなというのでは、本義にもとるというわけである。これは日本特有の悪しき慣習で、海外のゲームでは、一般に見られない傾向である。この点が現在の国産劣勢の素地である点は論理的に見てほぼ間違いない。

 だからこれからのゲームは、ユーザーがブレーキを踏まない限り止まることはなく、リリース後にかなりの長期にわたって環境改善が続くほうが望ましい。
もちろん、単に世界標準に復するだけではない。視線はその先にある。

 目的もエンディングもプレイヤーが決めることで、このゲームは本来の存在意義である強力なシミュレーターとしての本領を発揮する。通常では対応不可能なパラメータを入力しても対応する対応能力である。

 狙う世界タイトルの第一撃は有効組み合わせ数である。
 現状、世界的なタイトルのほとんどは、目的をシンプルに(これで規定範囲を局限する)同時に戦略幅であるコマンドを多く、操作はシンプルな方向で進んでいるが、これは言い方を変えれば目的達成に意味があるとは思えない多数の存在と、これらを組み合わせたケースでの中途半端な解での無意味さを生んでいる。

 これは目的が存在するために上下関係が生じる弊害である。とはいえ、これらはすでにアルファのように理論化されぬまでも、経験則ではっきりと傾向が出ているから、今までの進歩方向から考えて、邪魔な目的を全廃した、つまる所の目的のないゲームは2008年以内に出てくる可能性が高い。
 すでに各種の犯罪ゲーが出始めたことから、そこから一歩踏み出せば、我と同じ判断に出る可能性が高いわけである。

 ドリームパークまで後一歩という段階まで近づいてきた、とも言える。
これを先んじてやるのが、失われた10年を取り返す反撃の第一歩である。
'23' 2004.1.26.Mon. 

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