新世紀エヴァンゲリオン2 戦陣記

戦陣記(24)
25 絢爛舞踏祭
 絢爛舞踏祭という名前が出たそうだが、なんともコメントできない今日この頃である。

 一つだけ言えるのは、あれはそもそもガンパレどころかエヴァ2ともぜんぜん違うし、鬼子であるという事である。あれはガンパレと同じで、おそらく一代限りで子孫は残さないだろう。設計者の見地として見ると、極端すぎる。

 そもそもあれは膨大なキャリアを積んだゲーマーが、最後の引退試合を飾るために、最後の最後に乗りこなすゲームである。既存のゲームデザインの最後を飾る徒花として、俺達のアレが用意したものだから、その趣味性は推して知るべしである。これから何年もかけて成長するものとは違う。

 その点、リタンダンシー(設計余裕)を馬鹿でかく作ってあるエヴァンゲリオン2とは設計的に大きく異なると言える。
 今回はエヴァンゲリオン2の設計余裕について少し話をしてみたいと思う。

 エヴァンゲリオンの仕事が舞い込んできた時、我はこの仕事での売り上げ見積を5万本とした。
 これまでのあらゆる過去実績から考えてみて、これ以上はないという常識的判断である。
 倍を超えて出せと指令がきた時、我は、んな無茶なと思ったものである。
なんと言っても、改良点が見つからないのである。

 改良点といい、リタンダンシー(設計余裕)という。
これは両者一対で不可分のものである。
 ゲームというものは、設計余裕の範囲内でのみ、いじることが出来る。
 範囲を超えて改設計すると、大元のシステムを壊し、別のものになるというわけである。

 例えば式神の城などのシューティングゲームはリタンダンシーが非常に小さく、ステージ一つ追加しただけで別物だと多くのユーザーが言い始める。
 反面、RPGやこのゲーム(ジャンルは知らん)は、リタンダンシーが大きく、MAPが一つ二つ増えたりミニゲームが増えたくらいでは、ほとんど影響がない。
 もっとも2004年現在のRPGは行きつくところまで行きついて、もはやリタンダンシーはまったくない。多くの場合、ちょっと継ぎ足すと転覆する程度のバランスのものになっている。開発は大変難しいし、近い将来どこも作れなくなるだろう。(3年前から遅延を重ねるタイトルばかりなのはそういう理由による)

 リタンダンシーの大きさはゲームの大きさをそのまま決めてしまう。
リタンダンシーの大きなゲームは必然的に大規模プロジェクトになるし、リリースは遅くなる。反面、リタンダンシーの小さなゲームはこじんまりとしていて開発速度が速く、比較的簡単に別のゲームに仕立てることが出来る。

 エヴァンゲリオン2の設計前段階では、エヴァンゲリオンゲームはたいがいのジャンルでゲーム化されていたが、いずれも設計余裕ぎりぎりの出来で、これ以上の改良は無理だと思われた。実際無理だったので新しいジャンルになったというわけである。

 これはそれまでのゲームデザイナーが苦心惨憺して努力した結果であり、それと分かりにくくても、結構すごいごとである。(同業者としてみれば)

 リタンダンシーがあるのとないのと、どっちがいいというわけではないが、設計者の観点から言えば、将来性はリタンダンシーがある方がいいに決まっている。
 先々を見据える場合には、リタンダンシーをもって設計せよというのが、常識的名設計者の考え方である。

 それまでのエヴァンゲリオンのゲームには余裕がないので、手の施しようがない。
 だから、余裕を作って、まず手の施しようを作った。これがエヴァンゲリオン2の設計的地位である。
'24' 2004.2.3.Tue. 

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