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第17幕
日本海を臨む舞鶴は古い軍港である。今もどこかにいけば赤煉瓦の建物を見ることが出来るという話であった。年に一度は祭りもあるという。
寒い。
善行はそう思った。 慌ててコートを着こんだ。
多目的リングを見れば時刻は22時10分だった。
タクシーを見つけて海兵団の営舎まで急ぐことにする。
「タクシー、ありませんな」
「油不足ですからね。……連合海軍は何をしているんだか」
「参りましたな」
若宮は白い息を吐きながら言った。
「手詰まりです」
善行は笑った。
「まだ足がありますよ。戦士、貴方が教えた足がある」
「暖まりそうですな。了解いたしました」
善行と若宮は連れ立って歩きだした。
「月が綺麗ですな」
「戦士は風景の美しさが分かるんですね」
「分かるからそれを守るために銃を取っております。……例えそれが、プログラムされた思いでも」
善行は若宮に向かって振り向いた。
「……すまない。戦士、君をこんな処まで連れてきてしまった」
「少尉」
若宮は善行に静かに言った。
「この際申し上げておきます。我々下士官や兵は道具です。そして道具はこれすべて、目的のために使い、使い捨てる存在です。愛着や愛情を持つべきではありません」
「……難しいな」
「やっていただかなくてはなりません。エコ贔屓されたら、死んでも死にきれませんから」
若宮は、つばのない軍帽をかぶり直しながら言った、
「我々道具である部下が上官に要求することは、ただ一つです。正義を、ただそれだけです。部下は最終的に、それだけもって地獄に落ちます。それを渡してやるのがあなたの務めです。お忘れなきよう」
「……どうやれば出来るんでしょうね」
「あなたが正しいことをなさればいいのです。それで部下は、納得して死にます。私もそうです。どんなに命を惜しいと言う者も、お前が死ななければ正義が死ぬのだと言われれば、進んで死にます」
「そんなものなのですか、人は。……僕には、僕には分からない」
「戦場にでて、あの化け物ども……人類の天敵と戦えば、分かります。自分の命を捨てねば助けられない人や、家や、故郷や、国があることを理解すれば、人は他者のために進んで死ぬでしょう。死に行くものがつける条件はただ一つ、自分の死後も、自分が大切にするものを守ってくれるだろうという確信を、正義がそこにあることを、上層部が示すことです」
若宮は淡淡と言った。
「それだけは覚えておいてください。我々が全て死んでも、最終的に男と女が一人づつ生き残れば、我々の勝利だと言うことを、……それを、我々に信じさせてください。ただその言葉だけを、命を賭けて戦う兵達は聞きたがっているのです」
善行は黙った。
若宮はふと笑うと歩き出す。
「失礼しました。行きましょう。風邪をひくといけませんから、汗をかかないように行軍してください」
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30分ほど歩いたか、善行達は無事に営舎に着くことができた。
時刻が遅いので着任の挨拶は明日となり、それでは休もうかと思っていると、そのまま先任将校の一人に連れられて飲みに行くことになった。
若宮は若宮で同じ下士官に歓迎?を受ける。
いかに仲良く見えても将校と下士官、兵の差というものは歴然としてあった。
若宮は僕にそれを教えたかったのかも知れない。そう考える。
連れて行かれた先は料亭だった。居心地悪く座ると、そこは東郷元帥が云々と説明を受けて辟易する。
酒は加茂鶴で、海軍贔屓のものだった。
したたかに酒を飲まされる。
善行に酒を注ぎながら、年長の大尉は人好きのする笑みを浮かべた。
「ちょうど一人たりんでなあ」
「うまく代りを務めることが出来るといいのですが」
「なあに、陸軍さんも俺達にはさほど期待しとらんよ」
海兵隊の士官の9割は陸軍にとられるとつらいというので、逃げるように予備士官をめざしたROTC組である。 正規の将校から見れば落ちこぼれであり、手本にしたアメリカのそれとは大違いだった。 兵士ときたらほとんどが陸軍より海軍の飯のほうがいいらしいとして志願した兵らしい。
兵器の過半は陸軍のお下がりである。独自に調達しているのは水陸両用のウォードレスと火砲くらいのものだった。
良いところといえば火砲は火力優越を愚直に信奉する海軍らしく、通常の陸軍編成より二倍近く多いところだった。
「まあ、しかし今度は上陸を支援する必要もない。友軍が押さえているからな。我々は港湾を守ればいいだけだ」
「はあ」
夜にもたらされる情報は貴重である。善行は一つ覚えてうなずいた。
大尉は善行を頼りないと思ったのか、小声で言った。
「明日からつらいぞ。終わったらちゃんと吐いとけよ」
「はい」
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善行が気のいい大尉と別れ、一人月夜の中を歩くと、幾重もの影が、ついてまわった。
「この近くに、公園がありましたね」
酒と下呂臭い息を吐いて、公園の中に入る。
足元には白仔猫のスキピオと、黒仔猫のハンニバルがいた。
「お前達は、どこからでも現れるのですね」
下を見てつぶやく善行。
「それが我々と言うものだ。夜が広がれば、どこにでも我らは現れる」
そう上から声がした。
善行は、白い息を吐くと、ジャングルジムの上に座る少女を見あげた。
少女は白いサマードレスを着ていた。
寒さを感じないようだった。白い息も、吐いていない。
少女は善行が喋る前に口を開いた。
「誰も呼んでいない。善行。お前の選択だ」
「私を追ってきたのですか?」
「うぬぼれか?」
「僕の願望です」
善行はそう言うと、一度黙った。
「貴方が校長から受け取ったものとは、なんでしょう」
「命だ」
「……貴方が殺したのですか」
「いや。彼は、第6世界で戦うことになる」
善行は長く黙ると話題を変えた。
「寒くはないですか?」
「気にする必要はない。この宿主の心は、とっくの昔に死んでいる。いじめとやらで。私はただ身体を借りているだけだ」
善行は、眼鏡を押して表情を消した。
それは、善行と言う男の、強烈な怒りの表現だった。自分でも気付いていない癖。
女は、なんの表情も浮かべずにその顔を見ると、男の声で、冷静に言った。
「怒っているのなら、ふたたび世界を変えることだ。善行。その怒りが本物なら」
「……あなたを殺せと?」
「それは困るな。それに、我を殺しても、同じだ。世界が、変わらない限り、こういう女はなくならない」
「……なんでいじめられていたんですか」
女は。奇妙に大きな手をかかげてみせた。
「手が大きい。それに、年齢固定型だ」
「それだけで」
善行の怒りに、男の声は、少しだけ笑った。
「そうだな。それが人間だ。我らには分かりかねる」
善行は、この女は狂っていると思いながら拳を握って静かな声を出した。
「……どうやれば、僕は世界を変えられますか」
「無理だな。お前にはそういう運命がない」
「運命」
「そうだ」
女は、まるで見えない鎖が見えるように、虚空に瞳孔の焦点を合わせた。
「運命を断ち切るのは、この世界の運命に従うものであってはならない」
「あなたが言っていることは目茶苦茶だ。世界を変えろと言っておきながら、変えられないと言う」
女は、善行を見ると、いかにも無理に、機械的に笑顔をつくった。
「そうかな」
「そうです」
女は、声もなく笑った。
「では、お前は世界を変えられないのだ。お前は視野が狭過ぎる。出来ないから、不可能だからと言って、お前は世界の可能性を閉じている。世界は、全てを含むから世界だろうに。不可能だけの世界が、存在するはずがない」
「あなたが言っていることは、まったく不可解だ」
善行は横を向いた。女は、横顔を見ながら無表情に口を開いた。
「お前は世界を変えられない。だが、変える手伝いを出来るかもしれぬ」
女は、善行と見詰め合った。口を開く。
「視野が狭いよ。善行」
「怒るな、悲しむな。苦しむな。絶望するな。展望を持つな。善行。戦うのと、他人のために怒り悲しむのは違う。戦うときは、全てを捨てよ。戦の極意は、全てを捨てて、それでもなおと、透徹したときにはじまるのだ」
「透徹?」
「そうだ。それが、世界の選択なのだ。何よりも重要で、大切なもの」
女は、歌うように言った。
「その怒りが本物ならば、その怒りがお前の選択であるのなら。全部を捨てて、戦え。笑いを捨て、悲しみを捨て、苦しみを捨て、怒りを捨て、己を捨てて戦え。それが、世界を選ぶ神聖な戦いというものだ。アラダの戦いというものだ」
そして善行の瞳に我が姿を映した。
「戦いは、どれだけ損害を受けても、勝てばいい。…無傷で勝てると思うな。傷を負っただけで絶望するな。戦いは、終ったときに勝っていればいい。その一戦の一秒後に死のうとも、勝ちは勝ちだ。損害すら、弱点すら、戦いの中で利用してみせるがいい。その覚悟がないのなら、戦うな。分かりやすい話だ」
善行は女に言った。
「僕は……いや、近代戦はそんなものじゃない。僕はただの歯車だ。歯車に考える自由はない。やろうとしても上層部が許すはずがない」
女は髪に青い花を差していた。永遠の命を持ったように、青い花。
「戦いに古いも新しいもない。お前の主人はお前だけだ。誰の許しを得る必要がある? 責任を転嫁するな、善行。アラダにとって地上にあるのはただ一つ。戦うか、否かだけだ。そして戦わぬアラダはアラダではない。戦え、そして世界を変えてみせろ。お前が正しければ、お前が勝つだろう。それだけだ」
「悪魔のようなことを」
「そのようなものはいない。奇跡も、またない。あるのは人だけだ。努力する人がいるだけだ」
「忘れるな、善行。他人のせいするな。お前が選ぶのだ」
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翌日から善行は訓練を開始した。
演習場に移動し、シチュエーションと地形に沿って兵を配置する。
時折巡ってくる鬼よりも恐い大尉に、自分の代りに先任下士官や若宮が怒鳴られているところをすまないと思いつつ、善行は哨戒線を張り、兵士を配置し、機関銃の配置を学んだ。
海兵隊には車両が少なかった。
戦車に至ってはまったくなかった。
陸軍が戦車をやりたがらないんだ。
誰かがそう言ったが、善行は違うと思った。上は、上陸補助と拠点防衛部隊に機動力は要らないと判断したのだと思った。
車両は少ないので必然的に徒歩移動が多くなる。
訓練では、善行は行軍訓練を重視した。 反面、射撃訓練はほどほどにしておく。
演習場までの行きと帰りを重視し、訓練本体では、それなりの手抜きを認めた。
ただ塹壕掘りだけはきっちりさせた。
訓練最下位で鉄拳を食らうことも多かったが、善行はそれをコストとして割り切った。
他の部隊が演習場までトラックで行き来する中、善行の小隊だけは縦列を作って行進する。
新人の少尉は相当の変わり者らしい。すぐその噂が立った。
ある日、最先任下士官の梶井がおずおずと善行に尋ねた。
「なぜ、こんな訓練をするのですか?」
「砲戦距離は伸びてきているんです。敵の火砲に味方の火砲を叩かれたくないと思ったら、前衛を前に出すしかなくなる」
「5km10kmであればこんな訓練はいらないと思いますが」
「50や100kmなら居るでしょう」
行軍訓練。時代錯誤なこの訓練も、長距離徒歩移動の時には役に立つ。
英国最後の戦いとなったフォークランドの戦いで英国は完全武装の歩兵部隊を上陸させて徒歩で移動させている。この時、相当の脱落者を出したと聞いた。
善行は類似データと比較して、第2次防衛戦争の頃ならここまでひどくはなかったろうと思っている。
その頃は行軍訓練を重視していた。
戦闘で死ぬ兵士は少ない。 死ぬ前に逃げ出すことが多いからである。規律が残っていれば撤退という形をとる。
実際に多くの損害が出るのは、戦場に着く前だった。夜間行軍の後戦場につく頃には10%以上の欠員が出ていてもおかしくない。これが体格体力に劣る二線級部隊なら20%を超えるだろう。善行の小隊で言えば40人が32人になる訳で、実は戦闘損害より多い可能性があった。
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行軍少尉と言われた善行だが、その明確な態度に共感する者もいた。
兵は善行がどこで手を抜いても怒らないかを要領よく覚え、勝手さえ分かると不満を漏らさなくなった。
下士官は自分達の小隊が偵察任務につくと思い、班単位の行動訓練を強化した。
技量はあっても体力のないものは配置転換され、善行小隊にむいた人間が揃うようになった。
上官の一部にも面白そうに善行を評価するものも居た。
要は長距離進出出来る伏兵として使えとアピールしているんだよ。そういう者もいた。
ただこれらはあくまで少数派にとどまり、大部分は意味がない、善行はいかれていると単純化して片づけていた。
足元で黒仔猫が鳴いた。善行はその声に反応するように立ち上がった。
「視察がきますね。一時中断」
「訓練中断!」
迷彩を兼ねる野戦外套を着た兵士達が続々と立ち上がった。
そんなにいたのかといえるほど、多くの兵士達が立ち上がる。
彼らは外套の下にウォードレスを着、突撃小銃を持っていた。
何人かは狙撃用のスコープをつけている。
「休め!」
善行の声に合わせて全員が銃を降ろした。
直後にどこからともなく現われた訓練監督大尉が、じろりと善行達を見た。
「なかなかの配置だ。少尉」
「ありがとうございます」
善行は仮面を外して大尉を見た。大尉とは着任の時に酒を飲み交わしたあの大尉だった。
「行軍以外でも多少は出来るようだな」
「私が正しければ、私が勝つでしょう」
大尉は諧謔の色を見せた。 つかのま、夜に見せた人のよさそうな顔を見せる。
「少尉の活躍で戦争で勝てるならいいんだがな」
「うまく使ってください」
「小官の一存ではなんとも言えんが、努力しよう」
「お願いします。私のためではなく、ただ部下のために」
大尉は姿を消していた。すでに遠くで別の小隊に怒鳴り声をあげている。
善行は黒仔猫に礼を言うと、この猫を小隊のマスコットにしようと思った。
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「ウォードレスを着たままの長距離行軍はしんどいですな」
「そういう風に作られていませんからね。ウォードレスは8時間も連続装着できるようには作られていないし、100km歩くようにも、できていない」
善行は若宮にそう言った。
ウォードレスは全身を覆う人工筋肉の鎧である。この頃には歩兵の標準装備としてかなりの広がりを見せていた。これは着用者に卓抜した運動能力を約束するが、いくつかの欠陥もあった。 その一つは、かゆみである。
通常は首筋に投与する薬品でかゆみをおさえるが、それでおさえるにも限界があった。
それが8時間である。ウォードレスは万能ではないのだった。
「兵の経歴では陸上部や趣味が走りのものが多くなっています」
「ウォードレスで歩くことは、感覚的には走るのと同じですからね。力の加減の問題があるんでしょう。あれはただでさえ、歩き慣れていないと足をひねる」
「……ウォードレスなしで行軍する訓練をしますか?」
「いえ。すみやかに移動後、脱がせることにしますよ」
若宮は、進出点が50kmくらいにあると頭の中で計算した。
そこに何があるのだろうと、思った。
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