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第16幕
翌日になると何もかもがあわただしかった。
辞令を渡され、大陸行きを命令される。 それが終わるとすぐさま部隊へ向かうことになった。
大陸に行くまで一月しかない。異例のあわただしさだった。
「優秀な成績故の繰り上げ卒業だな。おめでとう」
「ありがとうございます」
校長代理と握手をしながら善行は腹の中で苦笑した。
この代理はどこまで知っているのだろう。どちらでも同じか。知っていればそう言うしかないだろうし、知らなければそれはそれで、そう言う以外に理由を思いつかないわけだ。
式典も何もない、一人だけの卒業だった。
善行は校長室から出ると、四角い窓から青空を見上げる。
帽子をかぶって、目深にかぶりなおした。
眼鏡を指で押す。
「帽子を上に投げるのです。ミスター。いえ、少尉」
後ろからそう声がした。直立不動の姿勢をとった若宮だった。
「ここは天井が低すぎます。それに、私は慣習と言う物が嫌いだ」
卒業の時は帽子を上に放り投げるのが慣習である。卒業式ともなれば何百も帽子が宙を舞い、美しい光景になる。
「自分は少尉、いえミスターが少尉になる瞬間を見たいのです」
若宮は、下士官用の礼服をきっちり着こなしていた。見れば靴までピカピカでつばのない帽子には金鵄章までつけている。
善行は笑った。
少尉と言われたら私が上官だと言ってそのまま去るつもりだったが、ミスターと言われたらそれは僕を育ててくれた母のような人物だ。 どんな願いでも聞かねばなるまい。
「分かりました。ご指示に従います」
「お願いいたします」
善行は若宮の方を振り向くと、照れくさそうに帽子を上に投げた。
そして落ちてくる帽子を空中で掴んだ。 恥ずかしさを笑顔でごまかした。
若宮が非の打ち所がない見事な敬礼をする。
「おめでとうございます。少尉」
「ありがとう。戦士。他の誰に言われるよりも、僕は君に言われるのが嬉しい」
「はっ」
若宮は嬉しそうに笑うとその後で小言を言った。
「……僕はおやめください。自分というのです。教えたはずですよ」
「親しい人物の前では僕と言うことにしているんです」
若宮は表情に困った。はじめてしてやったと善行は思った。
「さようなら、戦士。そしてお元気で」
「何を言っているんです。自分も御伴いたします」
「なんだって?」
若宮は確かに荷物と言うには少々量が少なすぎるずた袋を一つ足元に置いていた。
「今日、辞令がでました」
「……そうか、僕と親しくしていたのが疑われたのか」
「形は、異例の出陣をする貴方の支援です。……実体もその通りになるでしょう」
「すみません」
「いえ、そろそろ戦場が懐かしいと思っていた頃です。少尉に出会わなくても、いつかは異動願いを出していたでしょう」
「……それでもすみません」
若宮は善行と共に歩くように言った。
「何をおっしゃっているのです。それよりも、急ぎましょう。この時間だとぎりぎりになる」
「列車はまだ時間があると思いますが」
「その前にすることがあるでしょう」
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することとは、記念写真だった。
いらないという善行を、無理やりひっぱり、若宮は写真屋に入った。
「ここは海軍がよく利用している写真店です」
「だから私はいらないと言っているでしょう。それともこれまで育てた雛鳥の写真をコレクションでもしているんですか」
「その通りです。さあ、少尉も自分のコレクションになってください」
善行は礼装して写真に写った。純白の軍服にカトラスという剣を携行していた。
撮影を受けながら、結局、剣技の訓練はしなかったなと善行は思った。
銃の訓練もまともにはしていない。指揮官が求められるのは、もっと別のものだった。
それは指揮だった。
だから指揮官というのだろう。善行はそう考える。銃を撃ちながらまともな指揮などできない。指揮官の場合、実技としては地図が読み取れて、他の兵士と共に動き回れる体力があればいいわけだ。海軍陸戦隊の人員として見るなら、あとは船酔いに強ければいいということになる。
この国では小隊とは言え、諸外国と比べれば倍以上の人数がある。
アメリカのように小人数であるがゆえに小隊長が兵士と同じ火器装備を持つことはなかった。それよりも部下を指揮することを重視する。
実際面倒見る人間が多いので、とても自らは戦っていられない。
これは兵員の数に対して慢性的な士官不足のために起きた現象だが、元を正せば戦術教義のためであった。
写真撮影中に若宮を見ると、若宮はなんとも嬉しそうな寂しそうな顔をしていた。
善行は声をかける。
「戦士、君も来い。一緒に写るんです」
「少尉の写真です」
「だったら内容について僕が決める権利もあるはずです」
「それもそうですな……分かりました」
若宮は背筋を伸ばして善行の後ろに立った。
「敬礼はいい。休め」
「はっ」
写真が撮られる。
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館山駅前の立ち食い蕎麦屋で蕎麦を食い、午後2時過ぎには列車に乗った。
「なぜ飛行機には乗らんのですか」
「……急ぎ過ぎる必要を感じません」
若宮は窓の外を見る善行を見て、その気持ちを慮った。
「はっ」
沈黙の時間が過ぎる。
若宮は口を開いた。
「そういえば、駅前のヤシの木をご存知ですか」
「ありましたね。それがどうかしたんですか」
「あれは元々、館砲にあったカナリーヤシを移植したものです」
「なんで学校のものが、あんなところにあるんですか」
「戦争末期に一度学校が統合されたと聞いています。その時に贈られたものです」
館砲といい、館山海軍砲術学校などというが、実際は海兵隊の総本山である。その名は陸軍への遠慮と言ってよい。海軍は若宮のように陸軍から多数の教官を招聘して防備部隊の編成を行っていた。とかく仲が悪いと言われる陸海軍だが、こうした協力例は歴史上でもあちこちに見られる。
もっともこう言う話もある。 創設当時手本であった英国に習い海兵隊とした海軍陸戦隊は明治十九年の海軍陸戦隊概則で名前を海軍陸戦隊とした。が、これは昭和22年、陸軍の横槍で再び海兵隊の名前に戻ってしまっている。海軍が陸戦部隊を持つのは好ましくないと主張したためだった。陸戦部隊を持つのは陸軍だけ。名にこだわりを持つ奇妙な主張であった。
以来海軍は海兵隊の名目で、第二次防衛戦争の頃から善行のような海軍予備学生を半年から九ヶ月訓練させては、海兵団に配属、戦場へ送り出していた。実体が同じであれば大した問題ではないと考えたようであった。
善行は、うなずくと少し苦笑した。
「舞鶴までは7時間近く掛かります。無理に話をするより、休んだほうがいいですよ」
「そ、そんなに掛かるのですか?」
「ええ。私は溜まった本でも読むことにしますが」
「はあ」
「読みますか?」
「どんな本でしょうか」
「造船学と強度計算の本です。ああ、まって数学パズルの本もあります」
「いや、あー、大変ありがたい本ではありますが、自分では少々尻がむず痒く、いや失礼いたしました! いや、なんというか」
「読むと良く眠れますよ」
「貸してください」
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若宮は本を読み始めて10分で轟沈した。だらしなく寝ている若宮を尻目に、善行はどこで反逆するかを考えていた。
素子に電話するかどうか考えて、やめる。
僕をかわいいと言った彼女を巻き込むのは本意ではない。
このまま終わらせよう。
そう考えて、少し寂しく思った。
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三ヶ月ぶりで東京についた。
ここから新幹線に乗り換え、京都へ、そこから舞鶴へ向かうことになる。
「戦士、何を買っているんです?」
「駅弁であります」
「数が多いが」
「二人分であります」
「二人で十五個は多いでしょう」
若宮は、にっこり笑った。
「三個片付けていただければ後は十分と思います」
「五個は片付けますよ」
善行は言った。
その通り、新幹線では周囲の客が目を剥くほど二人は食べまくった。
瞬く間に駅弁の箱が積まれて行く。
善行は見かけによらず大食いである。反面、作戦行動中はほとんど何も食べなかった。
指揮をしていると胃が痛むのだった。代りに、酒は良くやった。 |