乗り込んだタクシーで、加藤遼子はどこでもいい、遠くにと言った。
運転手ならぬタクシーそのものはしばらく考えた後、とりあえずメーターUPするまでは適当に走ろうと考えた。

 その50秒後、カトータキガワ少佐はガレージから引っ張り出してきた自転車で遼子を追いかけ始めた。

さっきから頭の中で呼びかけているのに返事はない。少佐は渋い顔をしている。
 この時代、携帯電話は飲むものになっている。液体の中に微小機械が充填されており、これが身体の中、具体的には脳まで達すれば、考えるだけで携帯をかけることが出来た。小さいときから飲み続けていれば、新たに飲む携帯を補給することはなく、どこにでも電話をかけることが出来た。

 さっきからそれで連絡しているのに答えがない。
もとより気が長いほうでない少佐は、鼻息一つ、荒く出すと座席から立ち上がり、全力で自転車をこぎ始めた。

一方の遼子は、(それをやってもまるで意味がないことは重々分かっているにもかかわらず)耳を塞いで、下を向いていた。それでいて着信拒否は出来ない。そんな度胸はまるでない。

想ったよりずっと優しい声。ひどく幼く見える笑顔。

あんなん、知らんわ。

 と、遼子は顔を真っ赤にして思う。前に知っていたカトー・タキガワは、あんなではなかった……様な気がする。あんな感じなのは、遼子の夢の中だけだった。

 あのへたれめ。 旅行バックを抱きしめながら遼子は想う。先制攻撃で勝ったつもりか。

あのへたれは軍隊入って宇宙に行ったら心洗われたのかどうか知らんけど、ひどく素直に、子供っぽくなっていた。
いや、自分が大人になったのかと、爪をかみながら遼子は思う。生まれたときには兄ちゃんのほうがずっと年上……7歳ほど年齢が違っていたはずだが、宇宙勤務によくある主観時間の狂いが、思ったよりずっと、年齢の差を縮めていたのかも知れない。
 頭の中でパソコンを呼び出し、タキガワの主観時間を調べる。調べて1年は短くなっていることを確認し、軍機で隠されている部分の長さを見て、もっと短かくなっているだろうと、考える。冷静に考えたこともなかった。

 不意打ちだった。遼子は高くて買えなかった菓子が翌日安売りされていた気分で、ずるいと思った。ダイエットとか年の差とか色々自分の中であきらめる理由をつけていたのに、うちの葛藤の時間返せな気分である。

 あこがれていたお兄ちゃん帰る。戦争の合間に、お見合いして結婚して、また戦争にいくために。

 遼子はその中の最初の一日を奪うつもりだった。家に帰り着く時間は22時ころ、時間から考えて帰ってきたその日には、絶対予定をいれてないだろうと思っていた。
まるで通りかかったようにふらり家を訪ねて、なんとなく顔出してなんとなく茶しばき、なんとなく心地よい時間をすごし、なんとなく満足して、さよなら言って家に帰る。家でわんわん泣く。今度こそ最後の別れだと、そう思う。
そんなことを考えていたのに。

具体的に言うと、加藤遼子の綿密な計画は最初の笑顔を見た瞬間に瓦解し、逃げ出したのである。自分の知らない女の人のことをいわれたら、きっと泣くと、確信したから。

 窓ガラスをつつかれるのに気付いて顔をあげると、ゴーグルをつけたタキガワが併走していた。


Next