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第6回
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 それはおおきなドラゴンでした。
なんねんもとしをかさねたトカゲだけがたどりつく、おおきなおおきなドラゴンでした。

それははじめ、ただのトカゲでした。
それはちいさな、よわいトカゲでした。
 でも、そらをとばなければならないから、そらをとびました。
 でも、ひをふかなければならないから、ひをふきました。
 だれよりもつよくならなければならないから、つよくなりました。

トカゲにはゆめがあったのです。

それはよるをまもること。

 トカゲはよるおそくまでおきれません。だからトカゲはトカゲをやめようとがんばりました。
くるひもくるひも。くるひもくるひも。

 トカゲはいつまでたってもトカゲさと、だれかがいいました。
でもトカゲにはゆめがあったのです。こわれもせず、ふうかもせず、めをつぶればいろあざやかによみがえる、そういうゆめが。

 そして、いちおくねんがすぎて、におくねんがすぎて、さんおくねんがすぎて、よんおくねんがすぎて。ごおくねんがすぎたころ。
 だれもトカゲをトカゲとよぶものはいなくなりました。トカゲはながいながいくるひのはてによくりゅうとよばれるドラゴンになったのです。

 ゆめは、こわれませんでした。

                         <絵本:ドラゴンのはなし>

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「俺は本田だ! 先生と言え!」
「銃を撃つのはやめてください」
「撃たせろ!いや、撃たせてくれ! ここで撃たなければギャグが! ギャグがぁ」

 坂上はスリッパを脱いで派手に本田の頭を殴った。

「はっ、俺は?」
「授業がそろそろ終るところです」

何人かしかいないクラスが、笑いに包まれた。

 速水は、本田という教師が、かなり無理しているなと思った。
戦時下で子供に銃の撃ち方を教える教師の心情を思った。どうにかして精神の平衡を保とうとしているのだろう。

 そして周囲を見た。
気になる人物がいた。

少女であった。
 ギャグにも笑わず、さりとて退屈しているようにも見えず、もの憂げにも見えず、ただ、その瞳はどこか遠くを見ていた。

 尊大に見えると言うよりは絶大に見えて、夢を見ていると言うよりは、ずいぶん現実的だった。
 夢を見ていてもおかしくない歳頃。だが、その瞳には夢なるものを完全に否定する現実感が漂っていた。 普通ならば所帯じみて見えるところがまったくそう見えないのは、ああ、多分、口では目茶苦茶なことを言っているからだろう。

その名前を舞という。芝村をやっているということだった。
 すなわち彼女にとって姓は稼業なわけだ。なんて変った人だろう。速水は思った。
今にしてもそうだ。普通は笑う。さもなければ怒り出す、無視する。無視もせず笑いもせず、無視もしていないとは、 どういう頭の構造をしているのだろうと思った。

 それは伝説上の生き物のようだった。まだ母親が居た頃を思い出す。なんと言ったっけ。



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おぼえておきなさい。
 何を?

「おい、何してんだよ。授業、終ったぜ」

 速水はクラスメイトの少年に声を掛けられて我にかえった。

「あ、ご、ごめん」
 速水の声は女のような声だった。背も低い。
声を掛けたクラスメイトの少年は、鼻の下を指でなぞると、嬉しそうに笑った。
自分よりちびは、はじめてだった。

「へへ、気にすんなって。でもお前、そんなにとろくて、よく戦車学校に入れたな」
「そうだね。自分でも拾いものだなって、思ってるんだ」
 頼りなさげに笑う速水に、さして身長の変らない少年はにっこり笑った。

「ま、気にすんなって。そんなのはそのうち直しゃぁ、いいんだよ」

少年は親しげに速水の肩をバンバン叩くと嬉しそうに言った。
「そうそう、俺、滝川陽平。よろしくな」
「僕、速水厚志。……よろしく」
「じゃあ速水。そろそろ昼だぜ。お前、ここはじめてだろ? 売店の場所教えてやるよ」
「ありがとう……でも」
「でも?」
「でも、お金ないんだ。あまり」
「なぁにいってんだよ。おごってやるって」
「あ、ありがとう」
 滝川は、本当にかなり上機嫌だった。
今までどこにいっても末っ子扱いだったから、弟が出来たようで嬉しかったのだ。
 その夜、滝川はおごりすぎて夕食時に金欠に悩むことになるが、この時はまだそこまで予見はしていなかった。

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それははじめ、ただのトカゲでした。





「でもさ、お前、あの女はよしたほうがいいぜ」
 売店の前で強化プラスティック混入牛乳を飲みながら、滝川は、兄貴分を気取った。
速水は、牛乳には手をつけずサンドイッチを食べながら滝川を見た。
「なんで?」
「芝村だから」

 滝川は、真顔で言った。
「お前も見たろ、本田センセーのギャグの時の態度。あれだけじゃない。あいつ、いつも訳の分からんことを言っているんだ。 あいつだけじゃない、あいつらの周りはみんなそうさ。気持ち悪ぃ」

(神話の中から出てきたような人に、汚い人間の理屈が通用するとは思えないけどな)
「とにかく、あの女はよしといたほうがいいって」
 速水は、曖昧に笑ってごまかすことにした。
滝川は嫌いではなかった。親切になれていないせいか、親切にされたことを速水は良く覚えていた。

芝村の腰巾着をやるのは、これはこれで大変そうだな
そう考える。

「そうかもしれないね」
「ああ、そうだって。へへ、それにしても、俺達ラッキーだったよな。チビだから戦車兵になれたんだぜ」
「まだ戦車学校の学生だよ」
「なったも同然さ。そう言ってたぜ。よほどのことがない限り、卒業できるって」
(それはようするに、兵士が不足しているということか。十分でない技量の子供を即戦場に送るくらいに)
「え?」
「そうか、よかったね。給料、貰えるよ」
「バカ、戦車にのれるんだ。そっちが重要に決まってるだろ? あぁ、格好いいぞぉ。俺達が乗るの、人型戦車だもんな。 あぁ、超辛合体バンバンジーやゴージャスタンゴみたい」
「?? チョーカラガッタイ、ゴージャス丹後?」
 滝川は、祈るようなポーズを解いて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
夢の世界から襟首つかまれて現実に引き戻されたような表情であった。

「……アニメだ。アニメ」
「そうなんだ。ごめん、僕、あんまりそういうの見たことないんだ」
 速水は小さい頃のうろ覚えのアニメを思い出した。良く覚えてなかったが、面白かったような気がする。 もっと良く覚えておけば良かったと思った。
 滝川は速水の表情を見てなにを思ったのか、頭をかいた。
「そっか。そうだよな、戦時中だからな。いいって、気にするなって、今度見せてやるよ」

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それはちいさな、よわいトカゲでした。





「まったく、あの人は勝手過ぎます」
 壬生屋と呼ばれるそのクラスメイトは、豊かな黒髪の少女であった。制服がまったく似合わないのを自分で分かっているのか、 しきりに胸のリボンのあたりを気にしていた。

「芝村のこと?」
「はい。……まったく」

 速水は、軽くうなずいて離れようとしたところで、襟首をつかまれた。

「聞いてください」
「あ、うん」

引き戻された速水は、あいまいに笑ってみせた。

「それがひどいんです。私の格好を見て、似合わないって言うんです!」
「ああ……なるほど。じゃない、そうなの?」
 壬生屋の目から火が出そうだったので、速水は、言葉をかえた。
壬生屋は怒りの矛先をもとに戻して、語気を荒くした。

「そして明日から好きな格好をせよ。なんて、一体何様のつもりでしょうか!?」

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 でも、そらをとばなければならないから、そらをとびました。





「あれは、女だ」

舞は、静かに言った。
「私の父は言っていた。女は、自分に似合う服を選んでもいい」

そして付け加えた。
「細かい規則については既に上と話をつけている。あれは自由だ。そう言った」

「女はって言うけれど、芝村は服をえらばないの?」
「私はもう選んでいる。そなたとあまり変らない、この灰色の服だ」

 舞は、自らの制服を指差した。

「似合うかどうかわからないが、私が選んだのはこの生き方だ。つまり芝村舞は、武器をとって弱者を守るだろう」

「僕が言っているのは、生き方じゃないよ。ふーく。服のこと」
「同じ事だ。私服を着ても戦車兵はやれる。だが、私の生き方は制服を必要とする。それだけだ。あとはそれぞれの自由だろう」

速水はその言い方が少々癪にさわった。この人は自分を特別扱いしていると思った。

「……えらいんだね。君は」
 舞は速水の顔を見つめた後、口を開いた。

「本当に偉いのなら、戦争を終らせている。私がやっているのは、愚者の最善というものだ」