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 でも、ひをふかなければならないから、ひをふきました。



翌日。

「そういえば、壬生屋さんは私服で登校したいと言っていましたね。親御さんをつれてきていましたよ」

 軍人兼補助教員扱いでもある部隊設営委員長の善行忠孝は日本茶をすすりながら、眼鏡を押した。 自分のデスクまでやってきた速水を曇りがちの眼鏡で見る。
後ろ髪をきっちり刈り上げて、丸い眼鏡を掛けた背の高い人物。彼はいずれ自らが指揮する戦車小隊の面倒を見に、 ちょくちょく顔を出している。

「なんでそれを知っているんです?」
「いえ、芝村が」

速水は女のような声でそう言った。 善行は優しく笑ってみせた。

「いえ、ではありませんよ。軍隊では上司に対し、服従の証として、はい。を先をつけます。 この場合は、はい、いいえですね。いや、この場合は否定ではありませんからつきませんか」
 善行は笑って、お茶、どうです。と言った。
速水はあいまいに笑って首を振った。

「はい。芝村がそんなことを言っていたので、尋ねました」
「なんであの人が知っているんでしょうねえ。この件は私が内密につぶしたはずだったんですが…」

 茫洋として真意のつかめない善行の表情を見ながら、速水は慎重に言葉を選んだ。
こういうタイプは危ないと考える。こういう時は俺は子供だと、侮らせたほうがいい。

「なんで私服では駄目だったんですか」
「実際、学校の皮をかぶってますが、ここも軍隊ですからね……」
善行は軽くため息をついて、いやだいやだという表情を浮かべた。
 彼自身も商船大学から選択の余地なく軍隊に入れられたという。学歴が高いので予備士官にさせられたとか。

「軍隊は規格外の部品を必要としないんですよ。交換できなくなりますから」
「はい」

「かけがえのない個性というものは、言い方を替えると交換できませんからね。ある日、そういう人が居なくなったら、 悲しいじゃありませんか。軍隊と言うものは、悲しくないようにかけがえのない個性を否定するんですよ。 軍隊は兵が死ぬことを前提にしていますから」

 黙っている速水に善行は言葉を続けた。
「だが、それに対して文句をつけた人物が居たと。それは芝村。芝村さんは頭がいいから、 これくらい分かっていると思っていましたが……いや、分かっているんでしょうねぇ。その上での今回の茶々でしょう」
「あの、どういうことでしょうか」

 善行は、真顔になった。
「一人も殺させるつもりはないと、だれかに向かってそう言っているんでしょう。あるいはその気でやれと、 私に言っているのかも知れません」



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 だれよりもつよくならなければならないから、つよくなりました。
トカゲにはゆめがあったのです。



「みなさーん。今日は授業をお休みにして、整備テントを見学しますよー」
 国語教師、芳野春香は、本人としてはかなり凛々しく言ったつもりであったが、周囲はまったくそれを理解してないようであった。
 気が抜けたサイダーのような顔をした生徒の顔を見る。

「あの、皆さん?」

 遅れてやってきた善行が教室のドアを開けて顔をだした。
「それではいきましょうか、皆さん。3、2、1。駆け足」

 生徒達は機敏に立ち上がった。

「ありがとせんせ」
「ありがとうございます」
「よくやった」
「遅刻しませんでしたね。僕、感動しました」
「……」

 そして、なれなれしく芳野の肩を叩いて走っていった。
芳野は傷ついた表情を浮かべた後、生徒達の背中に声をかける。

「私だって、たまにはちゃんと出て来る時だってあります」
屈託のない笑い声が返ってきた。





 プレハブ校舎の立つところから裏庭にまわれば天幕があった。
それはいつも遠目で眺めていた処、いつかあそこにいくことになると繰り返し教えられた場所であった。

「へへっ、嬉しいぜ。こんなにはやくアレ見れるなんて」
「私達、才能があるのかも知れません」
 走りながら喋る滝川と壬生屋の言葉に、速水が耳を傾けていると、舞が静かに言った。

「士気を鼓舞しているのだ。明日から厳しくなるだろう。覚悟するがいい」

 天幕にたどり着く。
その天幕は、元はサーカスのものだったらしい。どういうルートで手に入れたのか、その頃まだ速水は知らなかった。



善行は入り口の布を乱暴に引き上げて、笑って振り向いた。
「ここに入っているのは511のお古で練習機ですが…、いずれ新造のものが入りますよ。整備員達と一緒にね」

「いつですか、委員長」
「滝川くんの肩に、士魂徽章がついたら」



天幕の中はひやりと冷たく、そこが冷房されていることをうかがわせた。
人間より大切にされているなと、速水は愉快な気分になった。僕の扱いもそうだったけど、 人間は人間よりも大切なものがあるらしい。

 陽光が明かり取りの窓から差し込んでいた。
細い筋が、その背を照らしている。

そこには、オレンジに肩と頭部を塗られた巨人が釣り下げられていた。
 身の丈は9mほど、文字通り見上げるような大きさであった。

「我々の愛すべき不格好。廃棄された実験機の末裔」

善行は役者のような声で高らかに言った。

「目もなく、顔もなく、肩が大きく、太股ときたら胴よりでかい。練習生のゲロと小便にまみれたかわいい奴。 その名前はM侍。士魂号M型!」

戦車兵が戦車に出会うということは、それがはじめてであれば、自らが生まれることに匹敵する一大イベントである。
 士魂号と呼ばれたその機体は、3機が3機とも薄汚れ、過去の学生達の落書きも十分に消されていなかったけれども、 学生を感動させるには十分であった。
 それが大きくて、強そうであれば、おおよその学生は感動する。
無造作に置かれた抱えるのも大変な90mm砲弾の巨大さ。振り立てられた4mを越える巨大な突撃銃。 それらに君臨するオレンジの巨人。

 三機の練習機が、腕を動かし、敬礼をする。

「敬礼なさい。君達の仲間だ」

 滝川はしゃちほこばり、壬生屋はおそるおそる、速水は周囲を見て、舞は静かに敬礼した。
善行はにっこり笑うと滝川に軍用ナイフを渡した。

手を引き、練習機の足元につれていく。
 装甲に覆われた、巨大な脛。

「突きなさい」
「君もだ。君は叩きなさい」

 速水は、善行から作業用のピッケルを渡された。
目の前の装甲板に打ち付けると、手が痺れた。ピッケルを取り落としそうになる。

「よく見なさい」
「すげー、傷一つついてねぇや」
「それが、戦車というものですよ。拳銃で撃てば弾が跳ねる」

 善行は二人の女子学生を見て、笑った。
「これらは皆、貴方がたの物です」



「どうでしょう。名前をつけませんか。看板としてこの天幕にかかげますが」
「私が書こう。いい言葉を知っている」
「そうですか」
 舞は筆を取ると、白い紙の前で遠い何かを見た。

そして

「正義最後の砦」
 舞はそう力強く大書すると、整備テントの前に立て掛けた。

大爆笑が場を包む中、舞は静かに立って、速水を見た。目が合う。

 速水は、笑ってはいなかった。
舞は、そこではじめて笑った。



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トカゲはいつまでたってもトカゲさと、だれかがいいました。



「あれは面白かった。あいつ、ああいうギャグセンスあるんだな」
 滝川は上機嫌に言った。

「私は本気だと思います。あの人は自分を正義だと疑ってないような人です」
 壬生屋は、そう言ったあとで、速水を見た。

「速水くんは、どう思いますか」

 速水はこちらを見てはじめて笑った少女を思った。
「本気だけど、悪気はないと思うよ」

「そうでしょうね、本質的に悪い人間というものは、みんなそうです」

「私の兄がよく申しておりました。世の中には色々な人物がいるけれども、その中で最悪なのが、正義を名乗って横暴する人だと」

(横暴というのは、君が私服で来ることができるように取り計らったことを言うのかな。 それとも誰も殺されないようにすると宣言したことなのかな)

 速水はそう言おうと思ったが、言えば目立つと思ったので、やめた。
代りに曖昧に笑うことにした。

 どんなところにも落とし穴は潜んでいる。廃棄された実験動物が研究所を壊すことだってある。 素性が明らかになる危険は、どんなささいなことも避けたかった。

参ったな。あの娘の腰巾着をするのも大変そうじゃないか。