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でもトカゲにはゆめがあったのです。こわれもせず、ふうかもせず、めをつぶればいろあざやかによみがえる、そういうゆめが。





(君が守ろうとしているのは、くだらないことなんだよ。やっぱり自由は、自分の為に使った方がいい。悪い事は言わない、 おせっかいはやめるんだ)

 速水はそう言おうと思って、教室で一人読書をしている舞の前に立った。
そして不意に、自分がやっていることこそがおせっかいではないかと思い至って自己嫌悪した。

「どうした?」
「ううん。あー、いや、ちょっとききたいことがあって」
「ふむ。私が答えられることであればいいが」
 速水は、昔おとぎばなしできいた生き物の名をきこうとちらりと思ったが、それを抑制して本題に入ろうと思った。 逃げては駄目だと考える。
「複雑そうだな」
 舞は本を閉じて、速水を見上げた。

「いいだろう。芝村は戦おう」
「…あ、いや、戦うとかそういうのじゃなくてね。あの、最初の日の最初の授業のとき、本田先生が面白い話をしていたとき、 笑ってなかったよね」
「雪国を暗謡していた」
「は?」
「小説だ。知らないか」

「ああ、ええと……」
「私の父は言っていた。退屈な話を聞くときは暗記した小説を読み返しながら聞くといいと。父はもっぱら電話帳を暗謡していたが、 私はあそこまで暇人でもない」
「……この場合は、小説を暗記していることを誉めるべきなんだよね」
「安心するがいい。授業の内容は全部覚えた。実用的でない話題の時だけだ。そういうことをやるのは……なんだ、その崩れた顔は」

「ああ、いや、予想がね」
 頭の中で組み上げた舞の人物像を修正しながら、速水は少々顔を赤らめた。
 自分が今まで生き残ってきたのは卓越した人物観察眼のおかげだと思ったが、単に運がよかっただけらしい。 そう考えると俺はさほど不運でもないのか。

「なんの予想だ?」
「ああ、いや、なんというか。自分の運の良さについて考えてたんだ」
「相変わらず、複雑なことだ。確率に理屈を求めるときりがないと言うぞ」

 速水は笑った後、やっぱり自分の柄ではないと思いつつも舞の事を案じて口を開いた。

「そうだね。それよりも、みんなが君の悪口を言っているよ。変だって」
「好きなように言わせればいい」
 舞の答えは、簡単だった。
速水は、注意したほうがいいよ。と続けるのをやめて、舞を見る。
 舞は肩にかかる髪がわずらわしかったのか、あの日からポニーテールにしていた。 細い首とうなじが見えて、 速水は顔を赤らめて目をそらす。

「なんで?」
「良く調べてもいないのに他人の悪口を言うのはどうかと思うが、それで言論統制するのは、もっとどうかと思うぞ」

 そして舞は、すまして言った。
「私は、だれも何もしゃべれない世界より、めいめい勝手なことを言う世界を選ぶ」

ああ、この人は自分を変えようなどは夢にも考えてない人だ。自分が変るより世界が変わるほうを当然と考えている。 速水は、 呆れた後、感動した。究極の自己中心型だ。地軸が頭の上を通っている。 俺が世界にあわせようと努力しているのが変に見えるくらいだ。
 それをどう思ったのか、舞は顔を曇らせた。

「まさかそなた、自分と同調しない人間を全部殺そうと思っているのではあるまいな」
「まさか」

舞は、ふふんと笑うと、上機嫌ですまして言った。

「そうだろう、それがいい。自由には不便もあるが、結局のところ、それでも自由がいいのだ。……夜がくれば朝がくるように。 人は夏には冬のことを、冬には夏のことを思い描く。私は人間が卑小である故に、それを愚かだとは思わないが、 だが夏に夏の文句を言うよりも、花火大会に出掛けたほうがよいと思う」
 速水の顔を見て、舞は、凛々しく言った。

「私は思う。世界のあるべき姿は、今より少しだけいい世界だ。その世界は、相変わらず私に陰口を叩くだろう」



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「まったくあの人は勝手過ぎます」

 言えば目立つと思ったが、速水は、顔をあげて口を開いた。

「僕は思うんだけど、世界のあるべき姿は、今より少しだけいい世界だよ。その世界では、 相変わらずあの娘は変なままだと思うけど」

 個人的には痛く感激した言葉の受け売りだったが、滝川や壬生屋にはあまりきかなかったようだった。

交互に迫られる。
「何言ってんだよ」
「そうです!」
「芝村なんだぜ」
「ああいう人が、和を乱すんです」

「でも」
「でもも、何もない、実際見ているだろ?」
「あの人は意地が悪いんです。本質的に」

 速水は、それ以上舞の弁護をすることが出来なかった。
二丁の機関銃のように滝川と壬生屋が交互に悪口を言ってきたのだった。

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 速水は、その日、たくさん訓練した。
正確には、気付いたら沢山訓練していた。
考え事をしていたのだ。 もう夕方だった。 雲行きはずいぶんあやしくなっていた。

なにが一番得なのか。俺はそう思わないが、あの娘は相当嫌われている。そして軍隊で嫌われるというのは、 自らの命を縮めることに等しい。弱み探しに根掘り葉掘り調べられるのも厄介だ。 いっそあの娘から離れるか。

……糞。

 訓練というのかそれとも別というべきか、サンドバックを叩くのをやめた速水は、汗の中で額を壁につけた。肩で息をする。



 自分は幸運だった。
自分と同じ背格好の奴が死んだ。名前を奪った。身分も。死人には必要ないものを貰った。
いいものを拾ったと思った。
 本人にとっては不幸だったであろう学兵徴募も、だれも速水厚志を知らないところにいくということで、 俺にとっては好都合と言うべきだった。

これ以上何を望むんだ。復讐か。いいや、俺は生き残りたい。ただそれだけだ。

速水は、目をつぶった。

 あの娘をかわいそうだと同情できれば、哀れむことが出来たなら、そのまま、目をそらすことも出来たろう。
 それが一番簡単な良心のごまかし方だった。自分は哀れんでやっているから、ここで目をそらしても、許される。 そう思い込む。今まで見てきた大部分の人間は、そうだった。
自分もそうしようと思っていた。生きるためだ。

 だが、その娘は不幸そうではなかった。
だから目を離せなかった。

 幸せと幸運はイコールではない。すくなくとも、あの娘にとっては。不運で不運で不運でも、 あの娘は幸せに生きることも出来るだろう。

 運命に挑む瞳の少女。自由が好きだと言った。それを盲信しているようでもなかったし、 不利益を受けているようにも見えた。 それでも好きだと言った正義最後の砦と書く少女。

俺はどうだ。幸せと幸運は、イコールなのか。今は幸運だ。だが俺の気持ちは幸せなのか。

「夜がくれば朝がくるように……か」

それを堂々と言うことをうらやましく思うとは、俺は変態だったのか。