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/*/ 「それは世界の危機に対応して出現し、世界の危機を消滅させて、また消えていく存在。ありうざるべきそこにある者。 夜明けを呼ぶ騒々しい足音。人が目を閉じるときに現れて、人が目を開く時に姿を消す最も新しき伝説。世界の最終防衛機構」 舞は手を伸ばした。その先に沈みゆく夕日が見える。 「それは世界の総意により、世界の尊厳を守る最後の剣として、全ての災厄と共にパンドラの箱に封じられていた災厄の災厄。 自ら望んで生まれ出る人の形をした人でなきもの」 舞が、高らかにサビの部分を歌い上げようとしたその瞬間、こちらを覗いている速水と目が合った。 舞の顔が、赤くなった。 「い、勇ましい詩だね」 「ああ、いや、最初から」 舞がにらみつけると、速水は己の身をかばうように手を動かした。 「あの詩だけは好きなんだ」 「……格好いいのは詩ではない。歌う者の心だ」 舞はそう言った後で、静かに言った。 「あれは嘘だ。誰かが言い始めた、ただの嘘で、子供だましだ。私は知っている。パンドラの箱に最後に入っていたのは、 確定した未来情報、運命という最悪の災厄だ」 舞は横顔を見せた。それは幼く見えた。年相応の顔だった。 長い長い沈黙の後、舞は、静かに言った。 舞は、思い出に向かって言った。その横顔が、年齢不相応な遠い何かを見据える物に戻った。 「あの人は、悪意でそれを言ったのか」 舞は、かぶりをふると凛々しく口を開いた。 「違うな。……私はそう思う。嘘はどこまで言っても嘘だ。現実は何も変らない。だが、嘘は、嘘とは、本来、 そうであったことにしたい真心や願いだ。だから夜が暗ければ暗いほど、悲しみが深ければ深いほど、人は嘘をつきはじめる。 せめて心の中だけでも明るくしようと、そう思うからだ」 「私は思う。箱に閉じ込められ、出してくれとささやきながら出番を待ち続ける、災厄と戦う災厄の災厄を。世界の総意により、 世界の尊厳を守る最後の剣を自ら任じた災厄を狩る災厄を。その決心を」 舞は堂々と言った。 「私は嘘を教わったのではない。私は真心と願いを聞いたのだ。だから私もまた、永遠に来ない明日の嘘をつきつづけようと思う」 舞は速水を見た。 「私は変に見えるか?」 速水は気の利いた言葉が心に浮かぶまで、一生懸命首を振った。 「僕は神話や伝説が好きなんだ。それを現実に見れて、よかったと思っている」 舞は、少しだけ笑った。 深入り決定だ。速水はそう考えた。 「もうこんな時間だよ、帰らない?」 舞は、教室を出ようと歩き始めた。 「一人で帰れ。子供は早く休むべきだろう」 舞は、立ち止まって、速水を見た。 「私のほうが、背が高い」 舞は速水に向かって歩くと、速水の心臓が下手に踊り出すほど顔を近づけた。 速水は顔を赤らめたまま、背筋を伸ばした。 「私の勝ちだ」 舞は、上機嫌ですまして言った。 「夜寝ないと背が伸びない。ゆっくり休むがいい」 舞は、ちらりと嬉しそうに笑った。 夜。 大猫ブータは、赤い短衣をはためかせて、その看板を見あげた。 正義最後の砦とあった。 低い低い雲が立ち込めていた。 目の前を、大きな猫と小さな猫達が通り過ぎて行った。まるで泣いているかのようであった。 そして思った。芝村は、何のために書いたのだろう。誰が何のために暗い夜にこれを見あげる必要があるのだろう。 芝村が、芝村のために、暗い夜にこれを見あげる必要があったから、書いただけなのだと思った。 風変わりな少女はこれを見上げては、黙って整備テントに入っていくに違いない。 |
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