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一方その頃。


 速水は、用もないのに街の方へ歩いていた。

変な顔をしたと言う事はきっと芝村は善行が趣味でないのだと思う。
そう思うと、少しだけ心が晴れた。

いや、図星だから怒ったとか。
そう思うと、視界が暗くなった。電柱に頭をぶつける。

 ああ、僕は腰巾着のくせに何をやっているんだ。


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 善行が変な顔をし、速水が電柱に頭をぶつけていた頃。夕日が終わり、夜が来る頃。

 ブータは、見まわりを始めていた。
夜が来る。そして夜を守るのは、猫神族の役目であった。

学校を出て道路に出て、塀の上を歩いた。
 他の猫神族が少しづつ集まってくる。

一匹のチンチラが、ブータに近寄って耳打ちした。肉球で塀の上を叩く。

「あしきゆめはさらに数を増やしています。早晩この街も落ちましょう」

 ブータはその時が自分の死ぬときだと思いながら口を開いた。
「他の善き神々は?」
「鳥神族は盟約の無効を訴え、猿神族、兎神族は人により数が減りすぎたことを理由に姿を消し、小神族は黙して語らず、 蟲神族に至っては……」

 ブータはそんなものだろうと思った。人は、自ら仲間を減らしすぎた。
「では、味方は?」

チンチラの表情が少しだけ明るくなった、舌をちょっとだけ出す。
「犬神族、蜘蛛神族は高千穂から山々を駈けて参戦しようとしております。数少ない大神の一柱が参戦したようです」
「御柱の名は?」
「白狼神族、日向国守護つきのげんはかりのみこと」
「玄乃丈坊やか。となれば蜘蛛神族はひわこ姫だな。して、数は?」
「数は……その」
「少ないか」

「……それだけです。二柱だけが参戦されます」
ブータは、目をつぶった。

その横、塀の下を、よろよろと歩く速水が通る。
チンチラが歯を見せて怒った。

「軍議を聞かれた?」
「よせ、我らの声など聞こえておらぬよ。あれは心を閉ざしておる」
「ふん、人間が」
「……よせ」

ブータが大きな手をチンチラに向けると、チンチラは歯を見せるのをやめた。
「人間の真似をしてもはじまらん。それに、あの人族には恩義を受けたことがある」

ブータは警告のつもりでにゃーと鳴いた。

 速水が電柱にぶつかる。

ブータとチンチラは目をつぶった。


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壬生屋補導の話を聞いた善行の動きは迅速だった。
 すぐ私が伺いますとお伝えくださいと坂上に伝え、上着を正して職員室を飛び出す。
向かう先は整備テントであった。

「また私か」

嫌な顔をする舞に、善行は頭を下げた。善行がアングリカンチャーチでなければ、両手をあわせているところだった。

「お願いしますよ。最近の憲兵はうるさくて困るんです。たしかこの地区の憲兵隊長は芝村の息がかかっていたはずです」
「……壬生屋は何をしたんだ」
「変な格好をして昼間に歩いていたそうです」
「それぐらいで問題になるのか」
「きょうび、学生がさぼれば反軍や幻獣共生派のレッテルが張られるんです。彼女が女性で取調べがあるとなれば、 あまり悠長にもできません」
「そんなにひどいのか。憲兵は」
「私腹を肥やしている奴、自分の趣味を満たす奴、そういうのもいます」
「わかった。行こう」
「ありがとうございます」

舞は、自分を尋ねているののみと瀬戸口、中村を見た。

「こういう事情だ、すまんな」
「みおちゃん……だいじょうぶ?」
「大丈夫にする。心配はするな」

 舞は、凛々しく髪を揺らすと立ちあがって、ののみの横を通りすぎた。階段を降り始める。
 ののみは、舞を追って階段の上から顔を出した。ポケットから何かを取り出す。
「まって」

「なんだ?」
「あのね、あの時のお礼……なのよ」

「いらぬ」
 言下に舞は辞退した。

「この身は既に芝村だ。これ以上に何の名誉の地位も必要としていない」
 やりとりを痛々しく聞いていた瀬戸口が、ついに我慢できずに口を挟んだ。

「あのな、お前さん、物には言い方って奴があるだろ?」

舞は瀬戸口の紫色の瞳を見た。堂々と口を開く。
「言い方などない。事実は変わらぬ……きけ、ののみ」

舞は、足をとめてののみの顔を見た。ののみだけに分かるような笑みを浮かべる。

「私は誇りを受け継いだのだ。その後には、もはや何も必要ない。いいな、何も必要としないのだ」

 そして前を見た。
「いくぞ、善行」

 善行は眼鏡を指で押した。
「私は一応貴方の上官なんですけどね、いや、貴方に頼んでいる時点で秩序なんか言っていられないんですが ……はい、行きましょう」

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士魂号の機体を横目でにらむと、中村は瀬戸口に笑いかけた。
瀬戸口は不機嫌そうに髪をかきあげている。

「また仕掛け損ねたねえ」
「なに、はじまったばかりさ」

 瀬戸口は士魂号M型を見上げた。
「それにしてもいけ好かない一族だ」

そして舞の背中を見送っているののみを見た。

「気にするんじゃないぞ。他人の事を考えれないああいう奴もいる」
「……たにんのことをかんがえないなら、まどからとびおりれますか」
「え?」

ののみは、髪につけたリボンが揺れるぐらいに頭を振ると、瀬戸口に振り向いて、ありがとうと言った。

そして舞ちゃんはいいひとなのよ。まどからとびおりるのと言った。


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「以前ならタクシーですぐだったんですが」
「走りながら喋ると、息があがるぞ」

「そんな歳というわけでは……」
「あがってるぞ」

 交互に両手を大きく上げて、善行と舞は走っていた。

「何か、音がしなかったか?」
「……」

舞は、汗だらけの善行を見て走りながらため息をついた。
芝村は時々器用なことをする。

「身体を鍛えよ」

善行は走りながら眼鏡を指で押した。

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 巨大な音を立てて、速水は隠れていた。
なぜ隠れたのか、自分でもわからない。

目の前を、善行と並ぶ舞が走っていった。


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夜の帰り道は恐いなと、ののみが思っていると、目の前に大きな猫が現れた。
赤い短衣を着た大猫だ。

 ののみが歩くと、猫も歩いた。エスコートするようであった。
ののみは嬉しくなって大猫と歩いた。 夜が恐いのは、どこかにいった。
ほどなく家に帰り着いた。 ののみは家の前で猫に話しかけた。

「ねこさん、ねこさん。おおきいねぇ」

 ののみがにっこり笑うと、その年老いた大猫も笑った。
笑ったように見えた。それは猫をも微笑ませる、心であった。

ののみはしゃがみこむと、その大きな瞳一杯に大猫の姿を映し出した。

「えへへ、えっとね、うんとね、はじめまして」
 大猫は深々と頭をさげた。

「うわぁ、あいさつができるんだねぇ。ねこさんえらいねぇ。そしてね、かわいぃっ、の」

ののみはブータの顔をしばらく見たあとで、ポケットから大事そうに古ぼけたペンダントを取り出した。 青いガラス玉が入ったおもちゃだった。

「うんとね、えっとね、これあげる」

 ブータがののみを見上げると、ののみはどこか寂しそうににっこり笑って、ブータの胸にペンダントをかけた。 ブータの丸い瞳に話しかける。

「ほこりをうけついだそのあとにはね、もはやなにもいらないのよ」

 ののみは、たどたどしく言った。

「だからね、まいちゃんはいらないの。ののみもね。いらないんだ」

ののみはにっこり笑った。このペンダントは誰かに対する大切な返礼なのだろうと、大猫は思った。

「おとーさんから、もらったけど、いらないの。ののみもほこりをね、もらったから。だから、あげる」

 ブータが、なにか言おうとすると、ののみは背を向けて、家に帰っていった。

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老いた猫神族は、前足で、安っぽいペンダントに触れた。

それは青いガラス玉で作った子供のおもちゃだった。少しだけ曲がって、それはまるで勾玉のよう。綺麗な空色であった。
 それが大事にされてきたことには微塵の疑いもなかった。ブータはそう確信した。

ブータは青い玉を肉球の上で転がすと、その動きに意識を奪われる。


そして、空を見上げた。空に穴は開いていないかと。

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<次回につづく>