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 一方その頃、公民館から戻ってきて、これから訓練をすると言う舞と別れた善行は、 ついに待望の小隊付き戦士(下士官)がつくということで、足取りも軽く職員室へ向かっていた。

 回ってみる。

隣をすれちがう女子校の生徒達が、のけぞった。

善行は我に返ると、生徒たちになんでもないですと手を振って職員室へ急ぐ。

 この頃の善行以下の5121小隊は、女子戦車学校に間借りしていた。
5121とは第106師団隷下の第5連隊第1大隊第2中隊第1小隊の意である。
先年の八代会戦で損害を受け、今は大隊ごと再編成のため後退休養という形になっていた。
 通常の再編成であれば戦車学校を卒業したルーキーにこれまでのベテランを加えて部隊内教育を施し、再編するのであるが、 5121小隊の場合、先代の部隊が小隊長以下全滅し、まったくの0から部隊を作ることになり、 他の部隊でもベテランは極端に不足していたために、これまで融通を受けることもなく、 基幹要員すら新人がまかなうと言う事態に陥っていた。
 そのため、部隊内教育は不可能ということで、特に学校の中に部隊を置くことを行っているのである。

 実際はそれよりさらに悲惨で、新人は学校から入るところから、教育を担当する戦車学校は実戦部隊に衣替えして 教育はおろそかにするなど、善行の周囲は悪化する一方であった。

 そんな中でも、彼は部隊の練成に邁進している。自棄でもなく、事態を勘違いするでなく、淡々と任務を片付けていた。

 世間からは少々変人呼ばわりされている彼であったが、今や現場で真面目に仕事しているのは、 ひいては日本を支えようとしていたのは、そういう人間ばかりになろうとしていた。


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 今回補充されるのは歩兵だそうだが、兵科が違ってもベテランには違いない。
これでなんとか陣容を整えることが出来るようになるかも知れない。善行はそう考えてまた顔をにやけさせた。

「善行」
「はい?」

 呼びとめられて、振り向く。

「ああ、本田先輩ですか」

 立っていたのは、本田教官だった。赤いレザーのスーツに紫の髪、とても軍人で教師とは思えなかった。  もっともこのつっぱりが過ぎて、出世は遠のくは配置では隅に追いやられているという事実もある。

「ですかじゃねえだろうが。どうだった?ああ?」

 とはいえ、善行はこの女教官が嫌いではなかった。教官としては間違いなく腕がいいと思っていた。

「小隊付き下士官を二人手に入れましたよ」
「ほんとか?すげえじゃん」

オーバーに喜んで見せる本田に、善行は微笑んだ。

「ええ、ただ、歩兵科ですがね」
「ないよりましだ。それに、どうにかする方法考えてんだろ?」
「それは……まあ。元々歩兵科なのは、私も同じですからね」
「それを言うなら俺もだ。それに歩兵じゃねえだろ」
「海兵ですね。はてさて、栄光の連合艦隊が私を覚えていてくれるといいんですが」
「生き残れたらまた潮かぶれるって。あー、んでな」
「なんでしょう」

 本田は頬をかいた。善行と並んで職員室に入り、それぞれ椅子に座る。

「こっちも報告がある」
「良い方ですか、悪い方ですか」
「両方だ。どっちを先にきく?」
「悪いほうからお願いします」

 そういうと思ったのか、本田は古証文を読み上げるかのごとく、しかめっ面で口を開いた。
「練習機で使っている士魂号Mな、今日また壊れた」
「またですか」
「ああ、それも今度は深刻でな。腰がいかれてる」
「本当に下半身の故障が多い機材ですね……分かりました」
「これで稼動可能なのは1機になった。他から応援してもらって整備してもらってるが、何分人型じゃな……勝手が違う。」
「今、整備員をかき集めています。M型の開発スタッフだった者やメーカーからの出向も含めて、どうにかしてみますよ」
「511の整備班から応援は求められないか?」
「悲鳴をあげると思います」
「そうか……」

本田の落胆する様を見ながら、善行は日本茶を煎れた。
本田にもすすめながら、自分でお茶をすする。

「それで、いいことは?」
「速水な、あれはいい」
「芝村さん抜きでもいい成績でしたか」
「ああ、文句なしだ」

善行はしばらく考えた。

「芝村さんが功を譲っているとばかり思っていたのですが、なるほど、芝村さんは奥ゆかしいと言うより 正直な人だったのですね」
「あれなら単座にのせてもいいぞ」

善行は日本茶をすすり、口を半分あけたあと、湯気を吐いた。
本田の方を見ずにしゃべりはじめる。

「いや、やめておきましょう。滝川君はメンタルが弱そうです。降ろされたと思われてはいけない」
「戦力を集中したほうがいいってか?」
「まあ、それは否定しませんけどね……今言ったのも本当ですよ」

 本田は日本茶には手をつけずに、善行の横顔を見た。

「……俺の生徒の一部を、囮に使うなよ」
「芝村さんと速水君を守るために、ですか」
「オメーの場合は、最高の戦力を温存するためにだ」

「……大丈夫ですよ。そこまで戦狂いってわけでもありません」

 本田が何か言おうとするところでノックの音がした。
本田はそれ以上の追及をしそこねる。

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 職員室にやってきたのは、中村と瀬戸口とののみだった。
全員が通信学校出身組である。

中村が代表して口を開いた。

「どぎゃんでした?委員長」
「上々でしたよ。……みんなそろってどうしたんですか?」

 瀬戸口は左手で頭を軽く掻いた。右手でののみの頭に手を置いてやる。

「別々の用事ですよ。たまたま中村と一緒になっただけです」
「なるほど。じゃあ中村くんから」

中村はなるべく熊本弁を廃してしゃべろうとしていた。
「委員長に一応報告をと思っていまして」
「なんですか?」

「今度の日曜にですね、動物園から動物を避難さすっとですが」
「ええ、新聞で読みましたよ」
「その手伝いをしないかと、クラスの連中に声を掛けました」
「なるほど、ありがとう」

善行はしばらく考えた。

「今度の日曜と言えば明後日ですね。みんな参加するんですか?」
「はっ。親睦を深める狙いもあります」
「なるほど。いい考えですね」

 善行は日本茶をすすった後、中村を見た。
「私も参加できますか?」
「もちろんです」
「ではお願いします。 それと、本田先生」
「ああ? 俺は動物臭いの嫌いだぞ」
「いや、それではなく、士魂号M型の公道使用許可ってありましたっけ」
「あれも士魂号なんだからいちおーナンバープレートつけられるけどな。でも途中で故障する確率が高いんじゃねえか?」
「分かりました。では中村君、私も参加します」
「はっ。それでは失礼します」

中村が一歩下がったのを見た後、善行は口元を笑わせてみた。
ののみがにっこり笑ったのに反応したのだった。

「なんでしょう」

善行はののみに言ったはずだったが、瀬戸口が口を開いた。
「報告します。この子が授業中に昼寝していました……ほら」
「ごめんなさい」

ののみはあやまった。頭を下げた時に、キュロットスカートと上着の合間から白い背中が見えた。

善行は思わず笑った。
 上官としてどういう態度をとるべきなのか、そういうのは一時棚において、大人として振舞うことにする。

「でも眠いのはしかたないですよね。分かりました」
「それだけですか?」

探るように尋ねる瀬戸口に、善行は微笑んだ。
 内心は隊内規則の平等な適用について考える。 子供は特別扱い。だがそれを言うなら滝川くんも速水くんも子供だ。 クソめ、平気で子供を送りこむ上層部と芝村に呪いあれ。隊内にののみの扱いを見て平等でないとかいう奴がいるのなら、 そいつはくびり殺してやる。僕の大人としての良心のために、誓ってそうしてやる。
 善行は眼鏡を指で押すと、口を開いた。

「それだけです。それが何か?」
「いえ。ありがとうございます」
「ごめんなさい」

 瀬戸口はしゃがみ込むと、ののみの視線になって笑って見せた。

「な? 正直に言えば許してもらえるんだぞ」
「うん……」
「正直が一番だ。よし、じゃあ遊びにいこうか」

 ののみは善行を見た。
善行は笑って見せた。 ののみも嬉しそうに笑う。そして瀬戸口を見た。

「うんっ」
「では委員長」
「ご苦労でした」

 善行は瀬戸口の真意を分かり、自分を恥じた。最初は点数をあげるために小さいことをあげつらい、 次に子供をダシに隊内規則を骨抜きにするつもりかと思ったが、実態は子供のしつけであった。
 ああ嫌だ。軍隊というものは人間性をなくさせる。


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 自己嫌悪と体制に対する不満の嵐で内心で揺らす善行を横目に、本田は瀬戸口とののみを職員室から追い出した。

 横目で善行を見ながら、米を炒って作ったまずい代用コーヒーを飲む。
本田の場合、善行と違ってまずいという理由で宗旨替え出来なかった口であった。

 会話があるわけでもなく、二人きりの時間が過ぎる。

沈黙を破ったのはドアの音だった。
 本田は猫のマグカップをおき、ドアを見た。

「坂上先生、どうしたんですか、急いで」
「先ほど、北警察署から連絡がありました」

 自己嫌悪から立ち返った善行が顔をあげる。
坂上はハンカチで汗を拭きながら口を開いた。

「壬生屋さんが補導されたようです」

善行は変な顔をした。