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第9回
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 壬生屋は、胴衣を着ていた。白い上着に朱袴といういでたちで、その服装なら大層似合っていた。
 長い艶のある黒髪。あまり高くない鼻。少々薄い眉毛にゆで卵をひっくり返したような顔、有り体に言えば 日本顔の壬生屋未央にとって、胴衣は幼い頃から着慣れたものであり、同時に最大の魅力を引き出すものであった。



 ただ。立っていた場所がいけなかった。

壬生屋は、鉄格子を握った。

そしてゆさぶった。



 壬生屋は、留置場に居た。

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「助かりました」
 警察署まで走ってきた善行と舞が引き取りに来たと告げると、心底ほっとしたようにその憲兵は口を開いた。
年を取った憲兵だった。歳をとりすぎて前線にもついぞ呼ばれなかった人物だった。
 憲兵は顔をしかめて、口を開いた。

「実は昨日から頭痛でして」
「はあ、ご苦労様です」
 憲兵に対し、善行は話が見えないと思いつつもうなずいた。
憲兵はこめかみを押えながら、口を開いた。
「そしてわめくんです。高い声でね」
「はあ」
 善行は、壬生屋のことだと思った。
憲兵は悲痛そうに顔をしかめた。
「留置場で音が乱反射して、ああ、黒板をひっかいたようなですね、音がするんです」
「ああ、それは頭痛に痛い……」
「そうなんですよ。勘弁してください。私が何をやったというんですか……」
「申し訳ありません」
「この御時勢です。軍人が華やかな格好をして出歩けば、耐乏生活を強いている国民の皆さんに なんと言って申し開きすればいいのですか」
「まったくおっしゃる通りです。すみません」

 善行は深々と頭を下げた。こういう時、責任者は頭を下げることしかできない。
その隣で、舞は腕を組んだまま堂々としている。

 憲兵は、善行を少々気の毒に思った。隣の舞と、さきほど拘禁したあのキンキン声の娘を思う。 きっと右も左もわからぬ学兵をかかえて、いつも下げないでいい頭を下げているに違いない。

 とはいえ、役目は役目だ。
「かさねて注意をお願いします」
「まて。あれは、従軍僧侶だ」

 善行は渋い顔をした。内心このまま謝り通したほうが面倒がなくていいと思っていたのだった。 芝村さんをつれてきたのは失敗だったかと思う。

 憲兵が目をしばたかせる間に、舞は組んだ腕を解いて口を開いた。

「従軍僧侶には課業の迷惑にならない限りにおいて宗派に応じた服装が許されるはずだが」
「いや、あれは胴衣では……」

 舞は、静かに口を開いた。
「弓を射る宗教だ」
「ああ、なるほど」
 憲兵は、少しだけ笑った。頭痛も少しだけ遠のいたようだった。
「そう言うことなら小官も見たことがあります。野球をする宗教です」
「野球はいいゲームだ」
「弓道もきっとそうなのでしょう。わかりました。この書類に書いていただければ結構です」
 前から用意していたように、憲兵はある程度まで書き込んだ書類を善行に渡した。

「お嬢さんにも知られているような抜け道なら、もっと別な方法をこさえないといけませんな」
「現実を無視した省令や通告を出すほうが悪いのだ。そなたらの働きはよく知っている。かつて軍のクーデターがおきた時、 首相救出をおこなったのはそなたら憲兵だ」
「古い古い話ですよ。旧軍の頃です……しかし、お嬢さんは……ああ」

 相手が誰かに気付いて頭を下げようとする憲兵を、舞は手で制した。

「感謝をするのは私だ」

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 壬生屋は長い黒髪が膨らむほど頬を膨らませた。
「なんでなんで私がこんな目にあうんですか!」

「うるせえ!わめくな!」
 隣の部屋にいるらしい不良娘が、叫び返した。
壁を叩く。 ハンマーか何かで殴られたように壁が揺れた。打たれた壁が青く輝く。

「わめくなと言っている貴方の方がうるさいです!」
「なんだと!?」
 壁が揺れまくった。

「女性ならもう少し言い方を考えなさい!」
 壬生屋もまけじと鉄格子を揺らした。

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 留置場に面した廊下を歩きながら、舞は口を開いた。
「ゴリラが争っているような感じだな」
 耳を押える憲兵と、すみませんすみませんと連発する善行。

 舞は迷うことなくまっすぐ壬生屋が収容されている部屋へ向かった。
その隣の部屋に収容されているオレンジ色の髪の毛の不良娘と、一瞬だけ目が合う。
次の瞬間には双方が無視した。

「壬生屋、迎えに来た」

 鉄格子を揺らすのをやめると、壬生屋はびっくりした顔で舞の顔を見た。
「芝村さん。それに、委員長」

 善行は眼鏡を指で押すと、ためいきをついた。
「おとなしくしてください。まったく……後で小言と説教です」

 善行の隣の憲兵は、少しだけ笑った。
「これで頭痛が少しでもおさまるかと思うと嬉しくてしかたありません」
「すみません」
「いえ……では外までお見送りしましょう」

壬生屋は、5時間ぶりに外に出られた。
 連れられていく途中、先ほどまで口喧嘩していた相手を見ようと小首をかしげる。
相手はオレンジ髪の不良少女だった。背は、高い。

 不良娘は腰を下ろしたまま、壬生屋をにらんだ。
「もう来るんじゃねえぞ、こんなとこには」
「それを言うならお互い様です」
 オレンジ髪の不良は、鼻で笑った。

「彼女は?」
「ここの常連です。悪い娘ではないと思うのですが、喧嘩っぱやくて」
 質問する善行に、憲兵は笑ってみせた。私には同じ歳頃の子供がいるんですと、憲兵は付け加える。

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 速水は警察署の前にいた。
正確にはそこに間借している憲兵詰め所の付近をうろちょろしている。

ホテルではなかったことを心底安心しながら、今度は別の不安で心を一杯にしていた。

 善行達が出てきた。
速水は慌てて隠れようとしたが、その前に善行に気付かれた。

「どうしたんですか、速水くん」
「あ、いえ、心配で」
 口走って速水はしまったと思ったが、善行は不思議に思わなかったようだった。
優しく笑ってみせる。
「大丈夫ですよ。無事に壬生屋さんは保護しました」
 速水は一度目を閉じて、開いた後、顔を真っ赤にした。
「え? あ、ああ、よかった」

 舞は歩き出した。口を開く。
「変な反応だ」
「クラスメイトを心配するのがそんなに変ですか」
 即座に切り返す善行に対して、舞は何も言わなかった。説明が面倒くさいと思ったことは確実であった。
 舞は、速水が応答するまでの間と、壬生屋の件について話があったとき、速水がいなかったことを知っている。

 速水はさすが芝村だと思いながら、曖昧に笑ってごまかすことにした。
本当に少しだけ、善行が舞に不快感を表明するのを嬉しく思う。そして自分は悪党だなと思った。
 速水は、まだ頬を膨らませてついてくる壬生屋を見た。

「よかったね。変なこと、されなかった?」
「おかしなことを聞く人です。わたくし、潔白ですから、そのような目に逢う訳がありません」
(じゃあ僕は、いや俺は潔白じゃなかったのか?)
 速水は自分の過去を思って目を細めたが、この娘は考えがたりないのだと思うことにした。優しく笑う。
「そう、よかったね」

 少し前を歩く善行は指で眼鏡を押しながら頭をかいた。器用なことをする。
「よくありませんよ。まったく、なんですか。その格好は。私服での外出禁止令をどう考えているんですか」
「許せ。それは、私の言ったことだ。女は好きな格好をしてもいいと言った」

 そう言う舞を善行は見て、ため息をついた。
「……それは知っていますけどね。それが学校の中だけだってことくらい、少し考えれば分かりそうなものでしょう」
「今や、従軍僧侶の身だ。通学中もその格好でいい」

そう言う舞を善行はにらむ。 まったく、女と言う者は……いや、おしゃれをしたいというのはあの歳頃では当然の欲求か。 では悪いのはだれだ? 政府か、軍か。ええいクソめ、なぜ官僚と軍の象徴である芝村が個人の権利を擁護して、 それに反対する僕が軍を擁護する。逆だろう、普通。これでは僕があんなに嫌がっていた上意下達の典型的軍人じゃないか。

 舞は、涼しげに善行の視線を受け流した。その対決を止めるように、壬生屋は口を開く。
「わかりました。わたくし、だれよりも早く来て着替えることにします」

口を開こうとする舞を、壬生屋は睨む。
「これ以上の助太刀は無用です」
「分かった」
 女同士で通じるところがあるのか、速水から見ると不思議なぐらいに短いやりとりで、二人は会話を終らせた。
 舞は口をつぐんだ。

 そのやりとりを見ながら、速水は善行と舞が不仲になるのは良い事だと思いつつも、あまり悪すぎても困ると思い、口を開く。

「委員長」
 善行は、自己嫌悪と体制批判の嵐で動きを止めていた。歯をくいしばる。
「委員長」
「はい、なんでしょう」
 善行は顔をあげた。結局戦争が悪いのだと結論をつけた。
「僕からもお願いします。悪気があったわけじゃないんです」
 善行は、遠い昔、半島の山中を部下達と共に駆けたことを思った。
今の部下ときたら子供で、さらに半分は女性だ。半島の山野で死んだ部下を、瓦礫の上で死んだ部下を思う。 せめて半分でも生き残って居たらと。

「私は、怒っているわけじゃありませんよ」
 半分でも生き残っていたら、この子たちを戦場に送り込むことはなかったろうか?

速水は、善行の心を誘導するように優しく笑った。
「心配していたんですね」
 善行は自分の気持ちを隠して速水を、舞と壬生屋を見た。
「でなければ駆けつけません……自分を大切にしてください。簡単に見えて、軍隊というところではこれほど難しいことはない」
「分かりました」
 速水は即座に言った。壬生屋の袖を引っ張る。壬生屋は、その手を振り払うと頭をさげた。
「……ご迷惑をかけました」

 そして舞は、いつもの通りであった。腕を組んだまま。何も言わない。
速水は少々肝を冷やしたが、善行は芝村をそういうものだと理解しているようだった。
別に怒るわけでもなく、背を向ける。
「では、この件は終りです。憲兵にもいい人がいたことを、感謝しましょう。解散です。各自帰ってよろしい」

 舞は善行の背中に口を開いた。

「人間の大部分は善良だ」

善行は、笑った。
「……芝村さんからその言葉を聞くとは不思議ですね」
「だから我らがのさばるのだ。善行」
「なるほど」

 善行は背を向けたまま手をひらひらさせて別れを告げると、そのまま歩いていった。