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速水は、その姿を見送ると、ため息をついて、舞を見た。
後で舞からという名目で、善行が好きなお茶とお茶受けでも差入れしておくべきだろうと考える。 口を開いた。
「余計なこと言って怒らせたらどうするのさ」
「余計なことか? 私の人類がさも悪いように言われたことに対する抗議がか? 怒るのは善行ではない。私だ。
私は人が悪く言われることを良く思わない」
舞は堂々と言った。
なんという傲慢だと壬生屋は思ったが、壬生屋より舞を良く知る速水は、そこに優しさを見た。彼女にとって世界も人類も、
兄弟のようなものであることを速水は知っている。
速水は考える。
この人は分かり難い、いや、人の器が違うのだ。そして僕はそれが悪いとは思わない。
とはいえ、あまり世間離れでもこまる。この人はいずれその器に相応しい立場に必ず出世するが、
その時敵が多いのは腰巾着として困る。速水はそう考えて苦言することにした。
「でも、悪い人もいるよ」
「だがそなたが居る」
舞は速水の目を見て言った。速水が顔を赤くする間もなく、言葉を続ける。
「それで五分だ。ののみも居れば圧倒的過半数だ。私が正しい」
速水は顔を真っ赤にしてよろめいた。壬生屋はあわててそれを支えた。舞をにらむ。
「なんて傲慢な言い方でしょう。まるで世界の王のように言いますね」
「私は兄弟を支配するほど傲慢ではない」
「それが傲慢というんです……」
壬生屋は大きな声を出そうとして、しぼんだ。速水は一瞬で納得し、善行は三日ほどで納得したが、
この人物はどうにもこういう性格らしいと、今の今になって壬生屋も少しだけ分かってしまった。
声のトーンを落す。
「……でも、自分をいい人に数えなかったのは誉めてあげます」
「私は公平だ」
壬生屋は、口元をひくつかせたが、我慢した。
舞と並んで歩き出す。
「……礼は言いませんよ」
「芝村が礼を言うことは義務だ。だが余人はそうでない。好きにするがいい」
「礼は言いませんけど、貴方を悪く言うのはやめます」
「私の居ないときくらい、何を言ってもいいと思うぞ」
「……あなたって本当に人を怒らせるタイプですね」
「そなたほどではない」
壬生屋は、不意に笑った。舞はすでに口の端を少しだけ動かしていた。
お互い余りの頑固さを面白いと感じたようだった。
「でもわたくし、馴れ合いは嫌いです」
「一度でも馴れ合ったことがあったか」
「それもそうですね」
二人は速水を見た。
「何をしている」
「おいていきますよ」
速水は、顔を赤らめたまま舞の隣に向かった。
「あ、うん」
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その日の夜、速水はお茶の葉と朝鮮飴を用意した。
舞からですと言って善行に渡して関係が悪くなりすぎないように配慮するつもりだったが、しばらく考えた後、
舞と僕からですと言って渡すことにした。
いざ贈る段になって舞が善行に気があるような行為をすることが、いやになったのである。
なんとも姑息な心理だったが、速水はその積み重ねが自分を生かしてきたと思っていた。
姑息なことに少々の感情が交じっている点は、本人は気付いていない。
朝鮮飴とお茶の葉を胸に抱き、暗くなった廊下を歩いて、職員室の前に立つ。
ノックする。
「どうぞ」
善行の声だった。
失礼しますと言って横開きのドアをあけた。
「よお」
「瀬戸口……くん?」
椅子の背もたれを前にして座る瀬戸口と、善行が向かい合って緑茶を飲んで居た。
「こんな時間にどうしたんですか」
「あ、あの、芝村と僕からです。ありがとうございました」
「ああ、園田屋の朝鮮飴ですか。いいもの探してきますね」
善行は嬉々として受け取った。
速水は、恥ずかしそうに笑った。
この人物がパイロットとして腕がいいことが、中々信じられない。
よほど練習をしているのだろうと本田は言っていたが、努力家にも、見えなかった。
隣で渋い顔でお茶の葉を入れた袋を睨みながら、瀬戸口は口を開いた。
「お茶の葉のグレードがいつも飲んでいるやつより一つ上というあたりがせこいな」
「……あんまりお金なかったんです」
「瀬戸口くん……」
「はいはい。悪かった悪かった」
瀬戸口は肩をすくめた。
次の瞬間には鼻歌を歌いながら、勝手に朝鮮飴の箱をあけて3つの小皿の上に置き始める。
この瀬戸口という男はこんなことをやっても大目に見られる不思議な魅力があった。
善行は速水を見ると、笑った。
「ありがとう。丁度ですから、お茶を飲みましょう。お茶はいい。ビタミンCもとれる」
「はあ……」
瀬戸口は速水が座る椅子を持ってきて、目の前に朝鮮飴の乗った小皿を渡した。
「ありがとう」
そう言う速水の目を、瀬戸口は表情を消した紫色の瞳で見る。
「なに?」
「いや、芝村がもってきたって?」
「はい」
瀬戸口は速水が持ってきたときから考えていたことを口にした。
「あいつらが、そんな気のきいたことをするなんて、初耳でね」
「僕がお礼を買いにいこうとしたらお金だしてくれたんです」
「……へえ」
瀬戸口は、緑茶と一緒に怪訝な表情を飲み込んだ。
「あの人らしいですね」
善行は少し笑って速水にお茶を渡した。
「委員長はともかく、瀬戸口君はなんでこんな時間に?」
「お茶飲める場所がここしかなくてね。いつもは、お茶を出してくれる女がいるんだが」
瀬戸口は朝鮮飴を食べながら視線を上にあげた。これはうまい。
「どうしたんですか」
善行も粉が落ちないように飴を食べた。
「いや、部屋に行ったら、別の男がいてね。お陰で今日は宿無しだよ」
「異動するときに、寮が割り当てられるはずですが。自宅は?いや、それとも自分でアパートか何か借りたんですか?」
「帰ってもだれも居ない部屋になんか、帰りたくもないね」
瀬戸口はそう言ってお茶を飲んだ。
「この飴、うまいな」
「熊本名物ですよ。私もこちらに来てはじめて食べました。どこらへんが朝鮮なのかわかりませんが」
速水も一口食べてみたが、チョコレートの方がおいしいのではないかと思った。
顔をあげる。
「瀬戸口くんは、和菓子、好きなの?」
「知らなかったのかい? じゃあ、覚えておいてもらおうか。俺は和菓子ファンなんだ。らくがんもすきなんだけどな」
「ああ、私も好きですよ」
「本当ですか委員長?」
「ええ」
微笑む善行。
そして善行と瀬戸口はお茶をすすった。
速水はなんて年寄りくさいと思ったが、何も言わなかった。
瀬戸口を見る。
「家にだれもいないんだったら、猫あげようか? 仔猫。かわいいよ」
「猫。やめてくれ。どうも俺はうまれてこっち猫が駄目なんだ。前世が鼠かもと思う時があるぐらいさ。
……ついでに、俺は飼うなんてだめさ。甲斐性ないからな」
やけに饒舌になって猫を嫌がる瀬戸口に、速水は言葉を続けた。
家に帰ってきたとき、寂しいのが嫌なのは、速水にも良くわかる。
「そう? でも帰って来る時、鳴いているのをきくと、世界を守らなきゃって思えるよ」
「変なやつだな」
瀬戸口は笑った。速水の背を叩くと、立ち上がる。
「さて、食うだけ食ったし、女子校の体育館でシャワーも借りた」
「これからどうするんですか」
善行は、メガネについた湯気を拭き取りながらきいた。
「教室、貸してくださいよ。そこで寝ますから」
「毛布がそこにあるから、借りていきなさい」
「ありがとさん」
最初からそれが狙いだったように器用に本田の椅子の上に畳まれた毛布を持つと、瀬戸口はウインクしてドアを開けた。
何も言わずに出て行く。
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一人になった瀬戸口は、考えをまとめながら廊下を歩いた。
そのまま中扉を開け、外に出る。
空は、暗かった。星も見えなければ、月も見えない。
天空に輝く英雄の星は全部落ちたのだと、瀬戸口は思った。
至高の星を守る七つの星車もすでになく、空を見上げる者も、今はない。
瀬戸口は皮肉そうに笑うと、教室に向かって一人歩き出した。
世の中がどうなろうが知ったことかと考えていた。
遠くで聞こえる鈴の音がうるさい。
澄んだあの音を聞くたびに、永遠に失われた声を思い出す。
それは歌。可憐でいて力強い歌。
(それはすべてをなくしたときにうまれでる。それは無より生じるどこにでもある贈り物)
顔をあげればその先に、琴弓を持った女の横顔を思い出す。
(覚えている? これは、すべてをなくしたものが身につけるのよ)
瀬戸口は短く叫ぶと、青い瞳を揺らした。歯をくいしばって頭をふり、我に返ろうとする。
あれは目に入ったゴミのようなものだ。目をつぶって、開けば、ほら、元どおり。
目をつぶり、涙を一筋落すと、瀬戸口は目を開いた。瞳は紫に戻る。
鈴の音が近い。
瀬戸口は、大猫の隣を通り過ぎた。純白の毛長猫だ。
猫に道を譲るように壁際によると、瀬戸口はその猫を見た。逃げるように走る。
「……いつもとは違う猫だな」
そうつぶやいた。
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