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善行と片腕の若宮は隠れて煙草を吹かしていた。まるで不良である。
善行の場合、実際教育に悪いだろうと、いつも隠れて吸っているのだった。
場所は、オランウータンや珍しい中国の猿であるキンシコウの裏手にあたる。
「人間は避難させないでも動物は避難させるんですな。愚かな話です」
そう言う若宮に、善行は煙の上がる煙草を挟んだ手を降ろして口を開いた。
「昔、戦争の時は全部の動物を殺したそうです。餓死させた例もあったそうですよ。水も与えずにね……
それよりは人間がマシになったと、そう思いたい」
善行は二十歳の新品少尉の頃のまま、そう言った。
そのまま、今度は二十五歳の今のように、ポケットからポケットフラスコを取り出すと、喉に流しこんだ。
若宮に振って見せる。
「飲みますか」
「いただきます」
若宮は回し飲みして、片眉をあげた。
「これは大切に飲むはずではないのですか」
善行は苦い顔をする。
「あらかた空になっててね。あの後、中村君がケーキ焼くからと言って持っていったり、本田先輩が俺にも分け前寄越せと、
……まったく、芝村さんは貴方仕込みのぎんぱい術(注)を破る方法をどこをどうやって調べたんだか」
「芝村ですからな」
「まったく芝村です。いまわしい。ということで、他人に取られる前に全部飲むことにしたんです」
「はあ、学兵の世話もたいへんですなあ」
その傍で、石津萌という暗いドレスを着た少女は、下をむいたまま、じっとしている。
楽しいわけではないが、この二人の傍にいる間は、他の人間にいじめられることはないのであった。
いじめられることを考えれば、あるいは独善的であるにせよ、萌は求められれば、善行の言う事になるべく従うようにしていた。
未だ逆らったこともない。
「あのみょうちくりんな戦車はいかがですか」
「みょうちくりんと言われるようでは、戦車になりえませんね。貴方の腕が再生して繋ぎなおすまでに戦力化できるかどうか」
「……あ……」
萌の声に、若宮と善行は声をあげた。
大きな猫を抱えたののみが、ひょっこり顔を出したからだった。
「あ、いいんちょだー」
善行と若宮はあわてて煙草を食べた。そして飲み込んだ。が、鼻から煙が出ていた。がんばれば耳からも
煙を出せていたかもしれない。
ののみは走り寄って来るとただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。声をだす。
「ふえぇぇぇ。すごいねえ」
煙を一生懸命手で散らそうとする善行。萌も小さく袖を振って手伝った。
ののみはヘイゼルの瞳を抱いているブータに向けた。
「よのなかはふしぎだねえ」
「そ、そうですね。ははは」
そう答えたのは善行である。しばらく笑った後、肩を落してののみに言った。
「どうしたんですか?」
「うん、えっとね。みっちゃんがね」
「中村くんですね」
「みっちゃんがいますぐにげろっていいんちょに」
「……え?」
「さがしてつたえるとね、いいんちょがよろこぶのよ。ののみはだからさがしたの」
善行は若宮と顔を見合わせた。萌が、小さくつぶやく。
「……ほん…とう…よ……嘘は…ない…」
若宮が善行に口を開いた。
「そう言えば、来る途中で幻獣共生派のテロがありましたな」
「確かに犯人はまだ捕まってませんが」
ののみは顔を曇らせながらその会話を聞いていた。
「あのね、うれしくないですか?」
善行は顔をひきつらせながら笑った。
「いや、あー。嬉しすぎて、表情に困りました。ありがとう」
「ほんとう? えへへへ。うんっ。ののみもうれしいのよ」
善行は頭を激しく掻いた。
「たしかにここに逃げ込む可能性は高いですね」
「どうしますか」
「どうしようもないでしょう。今すぐということは、中村くんは決定的な何かを掴んだんでしょう。時間稼ぎか……」
あるいは死んだか。
善行は中村をいい兵隊だと思った。体格はともかく下士官向きだと思う。
生きてたら取りたててやりますからねと思って、善行は言葉を続けた。
「将来はともかく、今の僕の小隊は戦力0以下ですよ。今すぐ撤収です。若宮、非常に悪いのですが」
「今や退役軍人で貴方の家令です。私の主は貴方だけです」
「すまない。この子達をたのみます。先に逃げられるようなら可能な限り離れてください」
「は」
「僕は、他の部下を集めます」
「ご武運を!」
善行は道半ばまで走って笑いかけ、首の後ろを何度か叩くと、先ほど飲みこんだ煙草とフィルタを
吐き出して走り去った。
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一方その頃。
昼飯はまだかとぶらぶらする滝川の隣を、荒い息の憔悴しきった男が、走り去っていった。
「あらー。あの人目、充血しきってるよ。別れがつらい飼育係のお兄さんかな」
よくぞそこまで持って回った考え方が出来ると思われるかもしれないが、滝川はライオンのライオン丸(滝川命名)
との別れを惜しんでいたので、きっと周囲もそんな気分だろうと思っただけである。
突然あがる池の方での爆発。
しばらく考えた後、滝川はなんのアトラクションだと考えた。
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なぜだか顔を腫らして一人になった準竜師は、世の中は理不尽だと思いつつ、もう一つの目的をはたすことにした。
案内板は見つからなかったが、掲示板は見つかった。
靴下に一瞬だけ目を走らせて、その意味を匂いとともに読み取る。準竜師は歩く方向を変えた。
すぐ士魂号が見えてくる。パイロットは休憩中のようだった。
準竜師は片手を、あげた。
速水と舞は、ほぼ同時にそれに気づいた。
速水が口を半分あける。
「あー!」
「しばらくぶりだ。少年。そして、我が従妹殿」
舞は、つまらなさそうに口を開いた。とは言ってもいつもつまらなそうに見えもする。
「大胆だな。我が従兄殿。大家令は許すまい」
「見つからなければいいのだ」
職業的犯罪者のような口調で準竜師は言った。言葉を続ける。
「あの男のつまらんところは権勢と忠誠を履き違えているところだ。だから息子にも裏切られるのだよ。まあ、それはいい」
幽霊を見たような表情で、速水が口を開く。
「……あの時の芝村の一撃で死んだはずでは」
舞はこめかみをおさえた。
「そなた、その後の更紗と私のやりとりは覚えてないのか」
「ええ? でも、あんなに血が出てたのに」
「血か」
準竜師は懐から血袋を出して速水に振って見せた。
動きが止まる速水。
ため息をつく舞。
「新聞紙で人が切れるわけなかろう」
「ひどい!」
速水は顔を真っ赤にして言った。今の今まで信じていたのだった。
打算でどうこう動いていた割に、騙されたと思って傷ついた顔をしている。
準竜師は更紗も昔こうだったと思った後、十年後の自分に同情するように口を開いた。
「少年よ。覚えておくがいい。世の中には魔法はない。奇跡も、またない。あるのは人間だけだ。
魔法と奇跡を起こしたように見せかける人間がいるだけだ」
「……よく、分かりました。もう信じません」
「それがいい。結局現実はそんなもんだ」
準竜師は舞の方に向きなおした。
「さて、手短に言うぞ」
「瀬戸口と中村だな」
「そうだ。良く分かった」
「更紗に感謝していると伝えるがいい」
「……風紀委員の真似をしたか。今度からいらぬことは言えんな」
「我が砦に入った後は」
「そうか。ではな」
準竜師は、もう全ては終わったと背を向けて歩き出した。なんとも短いやりとりだった。
その背に向かって、舞が口を開く。
「最近甘くなったか?」
準竜師は立ち止まって、舞を見た。真顔のまま、口を開く。
「知らなかったか。前からずっとそうだった。そなたの父に娘を頼むと言われた、その時からな」
(第10回 後編に続く)
(注)ぎんぱい術…(日本)海軍用語で、兵士が士官の食べ物や飲み物をちょろまかして隠す方法、術。銀蝿からきている。
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