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第11回
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 血塗れた日曜に出会ってしまった。
どこかかなしいこのソング。明るく騒ぐピエロの素顔。

 ピエロの休みは幕間までの10分間。
煙草を吸って、政治の話をする現場。

 天に弧を描く身体を休め、空を見ていた。

−*−

 中村は低い声でことさら陽気に歌うと、懐から靴下を出して鼻にあてた。
首をがくがく震わせ、優しく微笑む。

−*−

 僕は知ってしまった。楽園なんかないことを。
あの舞台はまがいものだということを。

 だからどうしたと、今なら思う。

−*−

 準竜師の目にとまるように、掲示板にピンで靴下を止めた中村は、自分の背中をつつく指に気づいて歌うのをやめた。 間抜けなことに殺気がなければ凡人以下の反応しかできないのだった。

 中村は振り返った。誰もいない。下を見て、冷たい表情を作り物っぽい笑顔に変えた。
ののみがいたのだった。

「どぎゃんね。ののみちゃん」
「うん。えっとね、ぺんぎんさんをみました」
「そうか。どうだったね」
「うんとね、えっとね。寒いところにいけるからやれやれだって。あとね、おまえもたいへんだなだって」

 中村はののみの豊かな想像力に微笑んだ。
この子は小説家になるかもしれんねえと思う。
 それがとてもいい未来のように思えて、中村は自分自身を嘲笑った。
未来か。いい言葉だ。胸焼けする。だが口では嘘を言った。

「そうか。またえらくサラリーマンのごたるペンギンねえ」
「でもね、あいさつしてもらったのよ。あとね、いそいでにげたほうがねー、いいんだって。どこににげるのかな?」
「どこかねえ」

 ののみは、嬉しそうに笑った。
釣られて笑う中村。中村はののみが苦手だった。素直に笑うから。
 人には似合いの場所がある。この子と会うたびに中村は思うのだった。ここでは俺はミスマッチ、休憩中のピエロと同じ。

「えへへ。ののみのおはなしをきいてくれるのはうれしいな」
「おもしろか話をきかん奴のほうがおかしかったい」
「あとね、あとね。かばさんがぁ、くつしたをしていたのよ」
 中村の手が、とまった。どこか遠くで、この胸を貫く銃声が鳴ったような気がする。

「そ、それはまたあれねえ」
「うん。みぎあしにしてたのよ。うしろのほう」
「あいたっ」

 中村は股間に両手をあてて猛烈にうずくまった。

「ふえ?」
「ごめん、俺、ちょっと調子悪くなった。急用でちょっと出かけてくる」
「????」
 ののみは顔を斜めに傾けた。不思議そうな、心配そうな顔。
中村は股間を押さえたまま、そろそろと動いた。

「じゃ、そういうことで、こんどは委員長のところへGOだ。さっきのば話してやると喜ぶよ。きっと」
「うん。じゃない。はい」

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 中村は、腹を押えたまま建物の影に入ると、痛みの表情を能面のような無表情に戻した後、3分ほど待った。

 そう、彼は<それ>になるとき、いつも無表情になる。

それはなぜか。良心の痛みかもしれない。嘘をつく悲しみかもしれない。だが、それは心のそこから沸き上がる暗い情念、 陰火かもしれなかった。

 それは、<それ>が生まれる時に産道を通る時に発生する必然的な痛みに耐える彼なりの儀式だった。

 その狭い隧道を通るたびに、彼は思う。これでいいのか。
そしてしまいにはこう思うのだった。だからどうしたと。そうして<それ>は、いつも生まれてくる。

 中村は、にっと笑って背筋を伸ばした。もはや膨らんだズボンを隠す必要はどこにもない。

 突然手で顔を隠し、笑い始める。何が面白いのか、それは自分でも分からない。
 手で隠されたところから、涙が流れ出ていた。生まれてくるときは誰もが泣いて生まれてくる。そして声をあげた。

「新しい匂いが俺を待っているみたいじゃないか」
「因果なものだな、バトラー」
「そうか?」

 中村は涼しげな流し目でどこからともなく現われた準竜師の横顔を見ると、皮肉そうに口元を歪ませた。

「まあいい。依頼は達成した。Mr.B。ここからは、俺の好きにさせてもらおうか」
「約束は約束だ。好きにせよ」
 髪をかきあげる準竜師は言った。
中村は安心させるように笑った。

「瀬戸口には壬生屋をつけている。壬生屋は天然の阿呆だ。なんの処置をしなくても奴の任務達成を邪魔するはずだ。 瀬戸口は……、奴は壬生屋やののみを危険にあわせるようなことも、悲しませるようなこともできない」
「そう見えるのは迷彩かもしれん。瀬戸口は大家令直属だ。並の間者とは違う」
「俺達だって並みじゃないさ」

 中村はウインクした。

「俺達はソックスハンターだ。匂いを嗅ぎ分けるのは、俺達の専門。違うか?」

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 僕は知ってしまった。楽園なんかないことを。
あの舞台はまがいものだということを。

 だからどうしたと、今なら思う。

 ピエロの人生は舞台の上。あとは全部捨ててもいい、ただの現実。

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 中村は背を向けるとスポットライトが照らされたかのように顔をあげた。不敵に笑う。
次の瞬間、両手を大きく振って走り始める。
その速度は完全に見た目を裏切り、陸上選手の全力疾走を軽く越えていた。

 世間体の風、変態に対する風、常識の風、本編を読みたい読者の風、物理的な風、その全ての風を押しのけ、中村は走る。 走る。走る。

 それが己の生きる道。ああ、ここから始まるのはリタガン外伝にして、一代の風雲児の生きる物語である。否!


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*ソックスハンター本伝*(外伝はリターン トゥ ガンパレード)
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 堂々の開演である。


 中村は懐から靴下を次々と投げて水面に浮かべると、その上を駆けることで水面を渡ってみせた。 もはや設定がどうこういう話ではない。

 目指すは一つ。秘宝、カバの穿いた靴下。

甲高い音。
 中村は顔をあげた。

 抜けるような青空に白い航跡。ミサイルの上に爪先で立って、蛇のような男が、スバラシィィを連呼してくる。

 着弾。爆発。

 中村は爆風に跳躍し、身体を何度もひねりながら向こう岸に着地した。
目が細められる。再度の爆発。

 中村が立って背中を振り向くと、炎の中から踊る人間が現われた。
切れ長の目、揺れる髪。濃いアイシャドウ。


 ドキュゥゥゥン。

 セクシーポーズを取って蛇のような男は中村の前に立ちはだかった。

「その脈絡のなさ、伏線0のひどく唐突な出現の仕方。……ソックスバットだな?」
「フフフ、そのとぉぉぉぉり! ああ、スバラスィィィ、スバラスィィィ!」

 セクシーポーズを連発する蛇のような男に対抗し、中村は何故か上着を脱ぐと、シャツをびりびり破って上半身裸になった。
 わずかに残るのはカフスとネクタイだけである。赤いネクタイが、はためく。太りすぎの胸が揺れる。

 ああ、なんと言う変態。これだ、これが原作者と作者はやりたかった。
ワープロ叩きながら作者も脱ぐのである。乗ってきたぜ畜生め。

 岩田が紫色の口紅をあやしく歪めて絶叫した。
「秘宝、カバの靴下を手に入れるのはぁ、このワ・タ・スィィィ! 岩田! 岩田! ァァウ!? イワッチ!  イワッチょぉぉぉぉ!!!! ……フフフ」
 中村が揺れながら叫び返す。
「渡さん渡さん! 地上の靴下はみんな俺の物だ!」

 睨み合い。

 次の瞬間、中村と岩田は同時にセクシーポーズをとると、ほぼ同時にズボンの中に手を突っ込んだ。
 一物ならぬ赤い靴下を取り出す。お互いに右手に握り締め、そしてファイティングポーズを取った。

「決闘の赤い靴下ですねぇぇぇ!」
「考えていることは同じか。……そう、ハンターが二人で靴下は一つ。生き残るのは自動的にただ一人!」
「フフフ、燃えますね。イィ! スゴクイィ! ひさしぶりの同族狩りィィィ!」