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第12回
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 夜は寒く、地上には敵味方の屍が折り重なり、生命の火も、ない。
楽師アーは死んだ子供の一人の亡骸を抱きながら、白い息と声を吐いた。

この世は闇だな。

いや、闇ではない。

 巨人は天蓋に手を伸ばした。
巨人の肩に止まる鳥乙女もまた、天蓋に手を伸ばした。そして口を開いた。
物言わぬ巨人の代りに物を言った。

「闇ではないわ。星が瞬いている」


 楽師の隣に鎮座していたブータは、天の伽藍一杯に星々が輝いているのを白い息を吐きながら見上げた。

ブータの丸い瞳一杯に、地上のいかなる宝石より価値がある輝きが映る。

 青い宝石を胸に下げたシオネ・アラダは、輿に乗ったまま声を上げた。
「砦に帰りましょう。ブータニアス卿、指揮を執りなさい。砦があるその限り、まだ世界は潰えてはいない」

 傍らに仕える鬼は声を掛けた。
「おでら、帰るのか」

シオネは、自らの動かない脚を一瞥すると、胸に下げた青い宝石をいじりながら静かに言った。
「そう、帰るのよ。子らの夜を守るのは我ら。昼を守るのも我ら。私達には休む時も哀しむ事を許されない。……私も神々も、 万能でも不死でもない。でも、だからと言って戦うことも、存在することも辞めはしない。善き神々や英雄が善き神々や 英雄であるのは、万能だからでも不死だからでもないから」

 シオネを守るように、赤にして深紅の鼓杖使いが、長い髪を風に吹かせながら口を開いた。美しい人神族にして、 燃え盛る炎から生まれたと言う火の一族の出であった。

「そう、我ら善き神々が神々たるのは……」

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 ブータは目を開くと、現実の現代へ意識をやった。猫というものは、意識がすぐあっちこっちに飛ぶのだった。 過去から未来へ、未来から別世界へ、猫はそうやって、毎日を生きている。

ブータの現実は朝だった。朝の登校風景だった。自分は歳をとり、自分を知る人族は、もはや一人もいない。

 年老いたブータはそれでも笑ってヒゲをピンと張ると、堂々と学校の門を通り、まっすぐそこへ向かった。

 尋常ならぬ大きさに足を止めて見る女子校生達。ブータは、人族の視線を優雅に流すと、胸を張って進んだ。 貴族どころか王族のような華麗さであった。

そして見上げた。あの時、天の伽藍を見上げたように。
 そこはサーカスのテントを改造して作られた、みすぼらしい整備テントだった。

 お月様のような丸い瞳を動かす。そこには立てかけられた看板がある。
漢らしい堂々とした文字で、人族の言葉で正義最後の砦と大書してあった。

ブータは微笑み、前脚を伸ばすと、爪を伸ばしてその看板に猫語で書き加えた。


<最も新しい> 正義最後の砦


 ブータは満足するように顔を洗うと、砦の中に消えていった。

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 学校が始まる前の時間、そのテントでは一人の少女と少年が、人型戦車の整備をしている。

 そこは、ここ最近毎日の光景であり、ブータにも見慣れたものであった。放っておけば、ずっとそんな毎日が続くかもしれない。
 ブータは尻尾を振り立てて、お気に入りの場所である92mmライフルの弾薬が集積されている箱の山の上に乗ると、 大人しく座って少女と少年を見守り始めた。

「速水、一部の神経繊維でバックロードが起きている」
 ポニーテールの少女が、人型戦車に接続した計器を見ながら言った。彼女こそは正義最後の砦の女主人であり、 この戦車のパイロットであった。

名前を、芝村舞という。

「分かった。こっちでも見つけた。こういう時は電流を弱めればいいの?」

砦の主人に付き従う見習い従者のような少年が、舞の声に答えた。
 彼の名前は便宜上、速水厚志という。正義最後の砦の女主人の威徳に負け、喜んで手下をしている逃亡奴隷あがりの 小悪党であった。

「人工筋肉か装甲で圧迫されている個所があるはずだ。繊維が圧迫されないようにしてくれ」
「うん」

 ブータは腹を見せて寝ながら、心地よい音楽を聴くように二人の動きを半眼に映した。
二人の声を聞くと眠くなるのだった。

 練習機として人型戦車士魂号の中でも最初期に製造されたこの士魂号複座型練習機仕様、ボディフレームナンバー BFn10004は、この少女と少年の専用機という感を示しつつあった。

 落書きという落書きが落され、綺麗に洗い清められ、実戦を潜り抜けた装甲の傷をのぞけば、磨き上げられていた。 中の人工筋肉も鍛え上げられ、レーダーもNBCセンサーも可能な限り完動するように整備されていた。
 肩のデイグロウオレンジさえ塗りかえれば、立派に実戦でも役に立ちそうであった。いや、 立つようにこの老兵は少女と少年によって整備されてきたのだ。

 戦車学校の隅にある捨てられたようなこのテントで、老いた猫と老いた人型戦車は、最後にして最良の時を迎えようとしている。


 テントの明かり取り窓からのぞく陽光に頭を照らされた士魂号複座型練習機仕様。
複操縦装置などの装備追加のために実戦機として必要な電子装備を外し、後席にペリスコープを装備した型である。 装甲は、一部に軟鉄が使われていることを除けば実戦機と違いはない。
 その頭横部には、六本足の幻獣が一つ書きこまれていた。撃墜一という意味である。


 入り口から明かりが漏れた。テントに新たに入ってきた者がいる。
それは見慣れぬ女性であった。年齢はどう見ても二十歳ほど。舞や速水と比べるとかなりの年長に見える。
 着任挨拶のためなのか部隊の制服でも作業着でもなく、濃緑のタイトスカートと、肩が程よく張る同じ色のジャケットを 着ていた。濃緑ということは出身は学兵ではないということかなと、速水は思った。

「ちょっと、君」
 女性は速水に声を掛けた。美声だった。少し伸びた短めの髪が良く似合う。

「はい?」
「中々いい整備状態じゃない? いい腕だわ」

速水は、舞が誉められたような気がして嬉しくなった。
 声を掛けてきた女性に、丁寧に挨拶を返す。わざわざ降りてきて頭を下げたのだった。
「はい、いいえ、僕達、戦車兵なんです。……まだ学生ですけど」
 最後は控え目に告げた。

 女性は士魂号を見上げながら、少しだけ嬉しそうに笑った。このフレームナンバーには覚えがある。 試作機から量産仕様にするとき、自分が手をかけた機体の一つだった。
 さらに目の前の少年が、可愛らしいのが気に入った。汚れのない年下もいいわよねえと、考えながら優しい声で口を開いた。
「優秀なのね。……筋肉の調子もいいわ。この状態なら、この子は廃棄しないで改装したほうがよさそう」
「え?」
「……ああ、ごめんなさい。私の名前は原素子。新しい部隊の整備班の班長になるわ」
 原は髪を揺らして手を差し出した。ごく自然に。
「新しい士魂号が来るんですか?」
原の予想とは違い、速水は動揺もせずに原に聞き返した。原は頬を膨らませる。この人物は自分で思っているよりも 気持ちが顔に出るタイプであった。

 原は差し出した手をどうしようか迷ったが、髪をかきあげて誤魔化すことにした。
「あーえーと……士魂号と騎魂号ね。士魂号の複座型を、騎魂号と言うの。実戦部隊では定着しなかった愛称みたいだけど」
「じゃあ、これとまた一緒なんですか?」
「これだけ筋肉を鍛えた機体はそうないもの。……資材は有意義に使わなきゃね」
「芝村! 芝村!」
 速水は、舞が喜ぶのではないかと、肩の上に乗るポニーテールの少女を見上げて声をあげた。そ知らぬ顔で整備を続ける舞。
「聞いている」
 そう言いながら、舞は口の端を少しだけ動かして、軽く機体を叩いた。それだけであった。叩けば士魂号は少しだけ揺れ、 弾倉の上で寝ていたブータは、立てていた耳を伏せた。昼寝ならぬ朝寝を続ける。

「……あ、でも、僕達の後輩はどうなるんですか? 次の生徒が使う機体は?」
「それは……多分もういないから。気にすることはないわ」
 原は少々ばつ悪そうに言った。言葉を続ける。

「でも、本当にいい腕。私の整備班に欲しいくらい」
「ありがとうございます」
「いけない、もうこんな時間。そうだ、部隊設営委員長のところに連れていってくれない?」
「はい。分かりました」
「じゃ、ちょっとまっててね。とりあえず連れて来た機体を搬入するから。学校に遅れることについては私が先生に お願いしておくわ」

 原はそう言い、片目をつぶって形のいい脚を少々広げると、振り向いて歩いて行った。
速水は見送ることもなく、舞を見る。
舞は、いつものように平然と仕事を終わらせていた。彼女は8時40分に仕事を終わらせ、教室に向かって歩き始める。
 少々残念そうに、速水はその様を見た。少しくらい、原と自分のやり取りを注目してもらいたいと思った。
 舞は速水の気持ちをよそに声をかける。

「私は教室に行く。そなた一人でも、案内は出来るだろう」
「……うん……あの」

 速水の声に、舞は振り向いた。
「どうした?」
「よかったね」
「そうだな」

 舞が少しだけ微笑むところを、速水は見逃さなかった。有事ではどんな人間よりも冷静に堂々と、 それでいて熱いこの人物は、普段は熱くなる必要がない分、ともすれば不機嫌そうにも無表情にも映る。
 速水は、ここ最近無意識に、舞の些細な瞳の動きや口の端のミリ単位の動きで、その心情を読もうと努力している。
 舞は喜んでいると、速水は思った。速水も嬉しかった。

「あ、僕もこれ、気に入ってるよ」
 今のところ舞と二人きりになるために絶対に必要だから。速水は心の中でそう付け加えた。
「二人で育てたからな」
「うん……うんっ」

 舞は、速水の表情にも声にも注意は払わなかった。少なくともそう見えた。もう全部の興味を失ったようにテントの外に出る。