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 舞がいなくなったテントで、速水は舞の言葉を反芻して拳を握ると、身を翻して嬉しそうに一人で踊った。

「二人で育てたからな。……二人で育てたからな。二人で育てたからなだって」

 ブータは半眼で寝転がりながら、若いな、坊主。と思った。

 速水は士魂号複座型を見上げた。巨人は何か思ったかもしれないが、表面上は人型戦車としての威厳を守った。
「ということで、今後もよろしく」
 子供という物を持つとこういう気分になるに違いない。速水は、そう考えた。

 押し殺した笑い声。速水はびっくりして振り向いた。
原と見知らぬ女性が立っていた。バンダナを頭に巻いた女性がそっぽを向いている。

「見、見ていたんですか?」
「踊りながら今後ともよろしく、くらいからね。……アハ。ごめんなさい」
 原は、歯が見えないように口に手をあてて自分も嬉しそうに笑うと、速水に近づいてその手を取った。その形のいい胸に、 速水を抱きしめそうな勢いだった。

「私ね、この機体の開発を手伝った事があるの。……だから……だから大事にしてくれて、嬉しいわ」
 速水は赤面して、何も言えなかった。その前の言葉を聞かれていたら、恥ずかしくて倒れていたかもしれない。何よりも、 本人の、舞の耳に入ることを速水は怖れていた。
「ね、森さん」
「こっ恥ずかしいのでやめてください」
そっぽを向いたまま、オレンジのバンダナを頭に巻いた女性は言った。すましているが、実際少々恥ずかしいようだった。
 原は肩を落しながら、握ったままの速水の手を見た。ああ、なんて綺麗な指。まだ汚れを知らないのね。そしてこれから あれやこれや覚えるの。
「もう。いつもそんな調子なんだから」
「あの……手、痛いです」
 原は、速水の手を引っ張っていた。手を離す原。
「あら、ごめんなさいね。お姉さん失敗。なんちゃって」

 露骨にため息をつく森。振り返る。
「小杉さん。搬入して」
「ハイでス!」
 マイクからの音と思われる、女性の声と共に、大きなテントの入り口をめくりあげて、コンテナを背負った一機の士魂号が 歩いて来た。複座型練習仕様と比べれば、背中が出っ張っておらず、より人型に近いように見えた。 歩きもどことなく軽快である。

 速水は、口を半分あけて見上げる。
「単座を見るのははじめて?」
「教科書では見ました」
「胸部の取り付け位置以外は複座や練習機と同じよ」
「でも……教科書と肩が違いますね」
「511中隊の戦訓で急いで開発されたものだから。肩の自由度を高くした軽装仕様なの。 今後は標準型装甲に替えて量産されることになると思うわ」
「そう、なんですか?」
「ええ、予想よりずっと近接戦が多いみたいなの。市街戦だからかもしれないけれど」

 速水は、原の顔を見た。
「この機体、芝村は……えーと、さっきすれ違った女の子は見ませんでした?」
「見えたと思うわよ。でも、目に入ってないというか、興味なさそうに歩いていたけれど」
 それは芝村らしいと、速水は思った。あの人は自分に直接的な危害がない限り、猫のラインダンスを見ても 平然としている人だと考える。

「そうか」
「急いでいたのよ。きっと。さ、じゃあ委員長のところへ連れて行って」
「はい」
「森さん、後はよろしくね」
「わかりました」
 オレンジのバンダナを頭に巻いた森は、何が恥ずかしいのか、上下つなぎの作業着のまま、速水の視線から逃れるように 離れていった。
「新井木さん、続いて搬入して」
「OK!」
 マイクに声が近すぎたのか、割れた音で、そう返ってきた。
原と森は慣れた感じで耳を塞いで、手を離す。

 原は、速水の背にまわると、その背を両手で押しながら歩き始めた。
「じゃ、いきましょう」
「は、はい」

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一方その頃。

 職員室の自分の席で、部隊設営委員長こと善行は、ペンを持ちながら腕を組んでいた。
目の前には白い紙。その隣には試しに描いた色々な部隊マーク案が並んでいる。

 いずれも善行手書きである。器用なところのある人物であった。

 窓際でお茶を淹れる本田教官が、紫色に染め上げた髪を揺らして善行のほうを向く。
「エンブレム、まだ決まってねえのか? そろそろ発注かけねえと間に合わねえぞ」
「何もかも準備不足で実戦に狩り出されるんです。せめて小隊のエンブレムくらいはしっかりしたものにしたいと思いましてね ……」
「お茶、いるか」
「ええ。基本は髑髏マークにしようかと思っています」
「海賊かよ」
「強そうでしょう。それに海賊マークなら、海兵隊ゆかりであることが分かると思いますしね」

 本田は、細かいことを考える奴だと思いながら、善行の分のお茶を淹れつつ善行が連れてきた飼い猫である黒猫を見た。 本田が触ろうとすると飛んで逃げて、善行の膝の上に乗る。尻尾が二股に分かれていた。

「ほい。お茶」
「ありがとうございます」
「そいつ、名前なんて言うの?」
「ハンニバルですよ。生徒には内緒にしてくださいよ。僕の威厳に関わります。今日連れてきたのは、 石津さんのアパートから家に一度帰る時間がなかっただけですから」
「テメーに威厳なんかあるのかよ」
「少しですが」

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一方その頃。

 舞は、いつもの通りの堂々とした大股で、プレハブ校舎に向かっていた。
プレハブ校舎の前では、一人胴衣姿の壬生屋が、竹箒を持って周囲を掃き清めている。

 長く美しい黒髪を揺らして、壬生屋は丁寧に頭をさげた。
「おはようございます」
「芝村に挨拶はない」
 少々頬をひくつかせる壬生屋。背筋を伸ばすと、舞より背が高いところを見せる。
「……その言い方、私以外の人にしたら不快になると思いますよ」
「私は事実を言った。事実が不快であれば、仕方がない。そういうものだろう」

 壬生屋は、竹箒を持つ手を休めて、ため息をついた。

「和を乱してはいけません。これはお姉さん役としての忠告です」
「年齢で姉、妹が決まるわけではない」
 舞は、叩き込まれた知識にあわせて正確に言った。日本が導入した中国の古典文化では、義理の兄弟姉妹の決定においては 年齢は二次的要因でしかない。
「それに、和というのは事実を隠蔽して作る物なのか? ……共に和すとは、そういうものか?」
「要らない騒ぎを起す必要はないと言っているのです」
「私は、手間を惜しんで真に仲良くは出来ないと思うぞ」

 舞に言いくるめられ、壬生屋は唇を噛んだ。いつもなら怒髪天を衝くところだが、今日はその元気がなかった。 これでも舞の実力に関しては少々見るべきところがあると思っているのである。それに、舞はどうやら手間を惜しんでいないと、 今更ながら思い立ったのだった。
 この人物は、どんな小さなことでも壬生屋の言動に対して正確に応対しようとしている。なんて分かりづらい好意だろうと、 壬生屋は心の中でため息をついた。やはり姉として教育をしてやらねばなるまい。

「だから、私以外と言っているんです。今のは一般論。誰とでも仲良くする必要はないでしょ?」
「誰とでも仲が良い方がいいに決まってる」
「時間がない時もあるんです。今のようにね。遅刻しますよ」
「そうだな。そなたも教室に行くのだろう」
「え? ……私、ですか?」
「そうだ。私が遅刻しそうだということは、私と共にいるそなたも同じだろう」
 舞は言外に一緒に行こうと言った。一々難儀な表現しか出来ない人物であった。
だが壬生屋は何を思ったか顔を赤らめて周囲を見る。
「あ、でも、まだ掃き清めていません」
「私は掃きすぎて地面に穴があきつつあると思うぞ」

壬生屋が下を見ると、実際一個所を掃きつづけたせいか、地面がへこんでいた。
さらに顔を赤らめる壬生屋。
「……ちゃんと後で、埋め戻します」
「それは休み時間でもよかろう。ではいくぞ」
「私もすぐ行きますから、先に行ってください」
「分かった」

 舞はそのまま階段を上がっていった。もとより人の言葉を疑うような人物ではない。
ため息をつく壬生屋。私、自爆してしまいましたと思う。

 それにしても、今朝は瀬戸口の姿が見えない。
かれこれ30分も待っているのに、何故来ないのだろう。
やはり、教室に泊まるななどと自分が言ったせいだろうか。それとも風邪かもしれない。
 教室に泊まるという破廉恥な行為も、行くべきところがないからだと、壬生屋は思った。

 私は、その行くべき所がない人を、さらに追い出したのかもしれません。
壬生屋はそう考える。あの人が、普通と距離感が違うのは寂しさのせいかもしれないと。

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またシーンは飛ぶ。
 一方その頃、瀬戸口は学校を休んで私服姿で歩いていた。
熊本駅裏からしばらくの距離にある、住宅街を歩き回る。
 このあたりには名士が多く、学生が平日に私服姿で歩いていても憲兵に拘束される心配はない。法の下の平等は、 どこまで行っても建前だなと、瀬戸口は心の中であざけった。

 遠坂

そう書かれた表札のところで足を止める。
「ここ、か」

 瀬戸口はどう侵入するか考えたが、正攻法でいくことにした。
チャイムを鳴らし、息子さんの友人ですと、なんとも人好きする声で告げる。
「動物園で落した落とし物について、お話があるとお取り次ぎください」

 しばらく、待つ。
応対しようとするメイドを押しのけて、総髪の少年が出てきた。
明らかに焦っている。

「やあ」
 瀬戸口は、遠坂に笑いかけた。

「お前さん達の活動について、少しばかり聞きたいことと、それに提案がある」