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シーンはまた変わる。

 原に背を押されることを嫌がった速水は、正確に言えば舞に平然とされるのを嫌がった速水は、裏庭からプレハブ校舎裏を 通って本校舎へと、急ぎ足で職員室に向かった。

「ねえねえ、委員長って、やっぱり新品少尉? あ、いや、学兵では新品百翼長というんだっけ?」
「新品ってなんですか?」

「軍隊では、任官1年目のことをそう言うの」
「どうなんでしょう。でも、落ち着いていると思いますよ」
 速水は、原と善行が仲良くなってくれるといいなと思った。
そうすると敵が一人減る。

「落ち着いている新品百翼長か。ふふん。やっと私の時代が来た感じね」
 原は、髪を掻きあげるとさわやかに言った。
「来るといいですね」
「あら、その反応、結構いいわよ。年上をからかってるみたいで」
「頭をぐりぐりしないでください」
「美人にやられるなら本望と思わなきゃ」

 速水は、頭を原の腕と胸に圧迫されながら、この人はこの人なりに、仲良くしようとしているんだなと思った。

 本校舎に入る。やっと速水を解放して、原は服装を整えた。略帽を被る。
「スリッパは?」
「表にまわればあるかもしれませんけど、僕たちそこを使ったことないんです」
「あら、そうなの?」

 ハイヒールを脱ぎながら、原はそう言った。
速水の靴と自分の靴を綺麗に並べ直す。

「おまたせ」
「いえ、ありがとうございます。すぐそこですよ」

 ノックする。
「速水です。委員長はいますか」
「いますかではなくて、いらっしゃいますかですよ。どうぞ。速水君」
「はい」
 速水は、原が変な顔な顔をしてるなと思ったが、それ以上は考え付かなかった。
そのままスライドドアを開ける。

「新任の整備班長だそうです」

 善行は日本茶を飲んでいるところだったが、手をとめて、湯飲みを戻した。
眼鏡を指で押して、速水に口を開く。
「ありがとうございます。もう教室に戻ってもいいですよ」
「はい」

 原は厳しい顔。
 速水は、確かに善行は新品って感じじゃないかなと思いながら、職員室を出た。

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 背後で速水がドアを閉めた後、善行と原はしばらく動きをとめて、速水の足音が聞こえなくなるまで待った。

 足音がしなくなると、原は大股で善行の前に近づこうとしたが、床で滑りそうになるので、またタイトスカートが ずりあがるのを気にして、普通の歩幅で善行の席の前に歩み寄った。表情は、厳しいを通り越して冬の嵐という感じであった。

「私の事、覚えているかしら」
「ええ」

「髪を切ったわ」
「そのようですね」

 原は、怒りで顔を真っ赤にすると机を思いっきり叩いた。
善行はそれで湯飲みが倒れないように、持ち上げる。そして戻した。

「手が痛みますよ」
「何よその態度!! 私はね、貴方のそういう取り繕った顔が大っ嫌いなの」
「奇遇ですね。僕もそう思ってるんです」

 善行は冷ややかにそう言った後、席に座ったまま傍らにある旧式の電話機に手を伸ばした。

「……なにしてるのよ」
「人事部に。お互いのために部署変えを陳情しますよ」
 原は善行から受話器をひったくると、荒々しく電話機に戻した。
善行の机に尻を乗せると、善行のネクタイを握って顔を寄せる。

「私の経歴にも傷を負わせるつもり?」
「迷惑はかけませんよ」
「ふっ、じゃあ何? また逃げるつもりなんだ? 貴方はいつも、逃げてばかり」
「……逃げてはいませんよ。僕はいつだって、逃げる勇気もない」
 善行は眼鏡を取ると、半眼の中に原の姿を映した。

「私、技術将校になったわ」
「そして僕は、学兵部隊の小隊長になりました」

 原と善行はお互いの唇が当たる距離でそう言った後、どちらともつかずに顔を離した。
原はスカートの裾を直し、善行は胸元を正した。

 善行は眼鏡をつけて指で押し上げる。
「相手が僕だからと言って、仕事の手を抜かないでください。前線に立つのは、貴方が連れていたあの子たちですから」
「頼まれなくたって全力でやるわよ。……人の命は、貴方との喧嘩の道具じゃないわ。復讐するつもりなら、直接刺しに行く。 誰の力も借りない」

 善行は、原が顔を赤らめるまでじっと見つめたあと、口を開いた。
「貴方が正しい。誰も彼もがそう動くのなら、この世に戦争は起きなかったでしょう。だがこの国の上層部は、 全ての銃後の人間は、すぐそれを忘れるんですよ」
「私がそんな女だって思ってた? ……馬鹿にするのもいい加減にして」

「すみません」

 心の底から頭を下げた善行に、原は腹を立てた。本気で謝っている様に腹を立てたのだった。心のどこかで、 まだ善行に特別視されていたいと思う自分に気付いて、原は怒りに顔を歪める。
そのまま、怒りに任せてドアを開け、外に出ようとした。
しかし一度大きく深呼吸。大人としての義務を果たそうとする。
「着任挨拶終り、部下は4人連れてきた。仕事に戻るわ」
「ご苦労でした」

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 原が姿を消すと、本田と黒猫が、向うの机から顔を出した。
善行は、残った日本茶を平らげた。

「おいおい、ありゃ、オメーの前カノかぁ?」
「なんで隠れるんですか、先輩」
「いや、普通隠れるだろ。で、いつ付き合ってたんだ」
「隠れませんよ。それとハンニバルに変なことを教えないでください」

 善行は、まだ机から半分顔を覗かせている本田にため息をついた。ハンニバル、おいでと言う。黒猫はそっぽを向いた。
 善行は頭の片隅から記憶を引っ張り出してくる。

「……もう5年前になります」
「昔から年下趣味か」
「……昔は釣り合ってたんです。相手が歳を取らないだけでね」
「原って言ったっけ、あいつもそうなのか?」
「違いますよ。見れば分かるでしょう」
「育ってないのがいいのか」

善行は黙って指で眼鏡を押した。
焦る本田。
「嘘だ、嘘。さ、俺。授業に行ってこようかな」
「新しく機体が搬入されているはずです。テントに送って早くなじませてやってください」
「分かった」

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 時は少し戻る。

 速水は原を残して職員室から出ると、急いで教室に向かった。
プレハブ校舎の階段を駆け上がり、教室の扉を開ける。

「すみません、遅れました」
「聞いています。席についてください」

 教室では中村が、朝なのに黄昏れていた。前回の余韻に浸ってシリアスモードになっていたのである。 遠い目をする中村を、ののみは不思議そうに観察している。

 速水が席につくのを見届けた坂上は、サングラスを指で押した。

「それでは、転入生の紹介です」

 怪しい音楽が流れてくる。昔のピンク映画の情事シーンで流れていたような曲だ。
教室にいた全員が、顔を見合わせる。

 ドアが、開いた。
ドアにもたれかかる長いシルエット。
シルエットは、蛇のようにうねりながら、長く脚を伸ばし、セクシーポーズを取って登場した。


「フフフ、登場です」
 岩田は、足の先までくねらせると、突然奇声をあげた。
「アアゥ! 僕のことは岩田と呼んでください。いや! イワッチ。イワッチがイィ! スンゴクイィ!  ……いや、ワタマンでもいい、エクスタシーだから」

 全員が冷たい目つきになる中、舞だけは、表情を硬くしていた。
中村は、静かに口を開いた。
「お前、もっと後に出てくる予定じゃにゃあや?」
「予定は予定です。決定ではありません! そう、前回の登場は今回のための伏線なのですよ!」

 坂上は、しばらく動きをとめた後、口を開いた。

「そろそろいいですか。岩田君。貴方は、クラスが違います。貴方は隣です」
「フフフ、それがどうしたのです? 私にとっては、そんなものは神聖にして不可侵、美の極致にして悦楽を感じさせる、 そう、まるで真綿の上に乗ったヤキイモにかけたシロップのようなギャグの前には、いささかの、そう、 いささかの価値もありません!」

 そして岩田は、奇声をあげた。長い舌を見せながら蛇のように身をくねらせた。
坂上は岩田の髪を掴むと、スリッパを脱いで、それで2、3度頬を叩いた。

 岩田は、派手に血を吹いて倒れた。動かなくなる。ののみは舞に抱き付いて泣きそうな顔で岩田を見た。恐いのだった。
 ののみを横目に、滝川は机から身を乗り出して、白目をむいた岩田を見下ろす。こちらは恐いものみたさであろう。 声をあげた。
「……死んだ。先生、死にましたよ」
「そのうち生き返ります。ちょっと連れて行きますので、芳野先生の指示で動いてください……お願いします」
「は、はい!」

 芳野先生は足をつかまれて引きずられて出て行く岩田を見た後、右足と右手を同時に動かしながら歩き出した。 教壇に立つ。

「あ、あの。皆さん、覚えてますか? 副担任の芳野春香です」
 今度は全員が笑った。

 机を何度も叩く滝川。
「先生、それ、面白すぎ」
「見事だった」
 舞は腕を組んで言った。舞は顔をほころばせたののみの表情変化を見ていたのだった。

「あ、あの、先生結構本気だったんだけど」
「何言ってるんですか、家政科の先生ですよね」
「国語です!」

「今のギャグばい。先生」

 また皆が笑った。

 笑いの中、芳野は、ののみを見て微笑んだ。
ののみは笑い返した。小さいなりの処世術か、いつも微笑み返しをしてきたのだった。
芳野はののみのほうだけを見ながら口を開く。


「大丈夫、あれはね、ギャグって言って、おしばいなの」
「うんとね、えっとね。でもあのひとはこころがね、からっぽなのよ。からっぽはめーなのよ。さびしいから」

 中村は頭を掻いた後、一応ライバルのためにフォローを入れることにした。
「気にしなすな。ヤツは頭が竹なだけたい」
「それを言うなら、ピーマンではありませんか?」
 ツッコミを入れる壬生屋。中村は口の端を笑わせた。
「いやいや、ピーマンには種はいっとるけんね。竹は割っても、なんもはいっとらん」

 芳野は、手を叩いた。
「……さ、少しだけ時間も空いたことだし、国語の勉強しましょ?」
「えー、でも俺、射撃の訓練のほうがいいな。実弾訓練」
「国語も大事よ。滝川君」
 芳野はそう言いながら心が痛んだ。国語よりも射撃の訓練のほうが、最終的にこの子達を生かすのではないかと、 いつも考える。実際本田先生からは、露骨に授業時間の一部を実地訓練に譲れと言われているのだった。
 でも、と芳野は考える。自分は戦闘のことなどなにも教えられない。いつまでも戦争が続くとは限らないし、 それに命を賭けるのであれば、賭けるに足るかどうか、この国のことを、もっと知ったほうがいいに決まっている。

「ののみはねえ。ちゃんとひらがながかけるようになったのよ。こくごすきーなの」
「え、ほんと? すごい!」
「本当だ。練習していたからな。うまくもなる」
 驚く芳野に、冷静に論評する舞。

 中村は何が面白いのか腕を組んだまま身体を前後に揺すった。
「まあ、そういうことだけん。滝川我慢せいや。女にゃ男は勝っちゃならん」
「俺の言葉もギャグだって」
「お前のはイマイチそう聞こえんばい」

 速水は、例によって他人ではまったく分からない非常に微妙な違いで、舞が何かを考えていると読み取った。 舞の言葉を借りれば、練習していたから、うまくもなる。……それで隣の席に小声で話しかけた。

「何か、問題でもあるの?」
「いや、坂上が転入生と言っていたが」
「うん、そうだね」
「普通、ホームルームに隣の奴を紹介するか?」
 速水は今までちゃんと学校に行ったことがないから、どこがおかしいか分からない。だが、 舞がそう言うのならそうだろうと思った。
「そうだね。でも、そうなると?」
「岩田は、実際我々のクラスに来る予定だった人間をどうにかして身代わりになったのではないか?  拉致するとか、殺害したとか……どうした?」
 速水は、内心を悟られないように努力した。この人物と付き合いが日々伸びるたびに、 速水は正体を知られることが恐くなるのだった。
「う、ううん。でも、その生きるためならともかく、人間がそんなことするかな」
「奴はやる。それに、普通の人間もやる可能性はある。人間は趣味で人を殺すことも出来れば、趣味で自分が死ぬ時もある」
 速水は自分を実験していた変態達を思って、それもそうかと思った。
誰も彼もが、この人や、ここの人間のように優しくはない。

「どうしよう」
「坂上は入れ替わっていることに、岩田が岩田の名を告げた時に気付いているはずだ。奴にまかせるしかあるまい。 助けが必要になれば呼ばれるだろう」
「うん。分かった」