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時は、少し戻る。
「うわ! すっげぇぇー!」
滝川は両手を広げて、飛ぶようにテントの中に入った。
新しい士魂号が3機搬入されていたのである。確かに、装甲に身を飾る巨人が並ぶ光景というのは、中々の壮観であった。
素直な感想ということに関しては、誰も滝川には勝てないであろう。
滝川の言葉は、多かれ少なかれ、戦車学校の学生達の気持ちであった。
原が、手を口にあてて笑った。
本田がまるで我のことを誉められたように、腕を組んで笑った。
「だろー?」
「ほんとすげえよ。やっぱり実戦仕様機って違うよなあ。風格が違うって感じ!」
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ブータは、滝川が喜んでいるのを見て、一つ祝福のために歌を歌ってやることにした。
他の人族にもその元気を伝染させてやるのが筋であろう。世界は何本もの筋で出来ている。
そう、猫神族以外にも、この砦に必要なものはいくらでもある。それは例えば、元気だ。
ブータは魔法の歌を歌うことにする。目をつぶり、心の奥底にしまった歌詞を思い出す。
歌詞と共に楽しい思い出が思い出され、ブータは、優しく微笑んだ。
ブータは、声を上げて謡い始めた。
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「それはの歌か……」
まだ部隊マークを考えている善行の膝の上で丸まっていた黒猫が、耳と顔をあげて歌のほうを向いた。
尻尾を立てる。二股に分かれていた。
「どうしました? ハンニバル?」
ハンニバルは、老父の洋々とした声に反応して口の端を歪めると、一緒に唱和することにした。
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純白で美しい長い毛を持つ猫、スピキオは、いつのまにか一人沈む壬生屋の足元まで歩み寄ると、耳を立てて
丸い瞳を動かした。
壬生屋を見上げると、老父の歌に唱和しはじめる。
人に元気を譲るように。
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それは、なにかを待つ心であった。それがいつになるか分かりはしなかったが、自分の力でそのなにかに手を伸ばそうという、
心であった。
いくつもの生命を渡り歩きながら、それは何千年も待っていたのだ。そしてこれからも、ずっと待つだろう。
それは猫の心の上に浮かびあがる一つの幻想だった。
ブータが優しく歌うと、ののみが目を丸くして猫の方を見た。
「それは世界の総意により、世界の尊厳を守る最後の剣として、全ての災厄と共にパンドラの箱に封じられていた災厄の災厄。
自ら望んで生まれ出る人の形をした人でなきもの」
中村は、ののみを見下ろして声をかけた。
「どうしたとね、ののみちゃん」
「うんとね、おうたなのよ。そのかがやきはごーかけんらんなの」
「わはは、たしかに歌うように鳴いとるねえ」
ハンニバルは、善行の膝の上で力強く歌った。
「それは、夜が暗ければ暗いほど、闇が深ければ深いほど、燦然と輝く一条の光」
「それは、悲しみを終らせるために抜かれた刃。猫の形をした猫でなきもの。怒りの顔をした怒りでなきもの」
スピキオは喉を振るわせて、高らかに歌った。
「それは絶望と悲しみの空から満を待して現れる、ただの幻想。暗黒に沈む心の中に沸き上がる、悠久不滅の大義の炎。
失われそうになれば舞い戻り、忘れそうになれば蘇る、原初の感情 ただ一つのはじまりの力」
猫達は一斉に我が胸を叩いた。
「それはここに! この中に!」
「我は未来の護り手なり 我が一撃は空の一撃 空を割るは我が前脚なり」
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原は猫の歌声を聞きながら顔をわずかに緩めると、元気のいい声をあげた。
「即応コンテナを降ろして。すぐセットアップに入るわよ。故障している練習機は廃棄処分。生体部品は回収して
冷蔵庫に入れて」
「はい」
「はいデス」
速水は舞の表情を見た。舞は既に自分の機体のほうに向かっている。
速水は、その様を見て原に話しかけることにした。筋は通しておいたほうがやりやすい。
「四人だと、足りなくないですか?」
「五人よ。……ここにいないけど、岩田くんって変なのがいるから。……でも、そうね。控え目に言っても全然足りないわ。
この機体、整備性悪いから。動きさえすれば最高だと思うんだけれど」
原は、少しだけすまなさそうに言った。速水は首を振った、開発関係者ならともかく、整備の人に罪はないと思った。
「僕達、手伝います」
「お願いするわ。現状だと、三人で一機整備するのが精一杯だから、六人なら二機は今日中に組み上げて明日テストに回せるわ。
私は武器の整備をするから」
「芝村、聞こえた?」
「聞こえている」
いつもの声に、速水は原に向かって笑いかけた。
「すみません、ぶっきらぼうな人なんです」
「まあ、芝村というくらいだから。芝村って、あの、芝村でしょ?」
「ええ、はい。多分想像通りだと思いますけど」
「なら仕方ないわ。前の仕事でも、あの人達とつきあったことはあるから。苦労はわかるわ」
「苦労かどうかは、わかりませんけど」
「え?」
「いえ、僕達はどこを手伝えばいいんですか?」
「貴方達の機体は大変よ。新機下ろすより大変かも。改装をしないといけないんだから」
「改装、ですか」
「士魂号複座型練習機仕様から、改装で士魂号複座型突撃仕様に変更するわ。まずは軟鉄装甲板の硬鉄装甲板への交換と、
後部胴体の取り外しとジャベリン用後部胴体ユニットの取りつけ。コクピットの配線を取り替えて電子機器を増設して
火器管制レーダーを大型捜索レーダー兼用のAW9000に変更、無線機の強化、アンテナを立てるための穴あけ作業、
それと……初期型では一部のユニットが今の規格にあってないから、アップリケアーマーをつけて代りの防御力強化をするわ。
ミサイルサイロ周辺のブラストフレア追加に、機体番号入れ。……分かった?」
「はい」
原は、片眉をあげるとちょっと面白くない気分になった、大変さを少し分からせようとしたのに、
速水は平然としていたのだった。原は意地悪そうに声をかける。
「記憶力、いいのね」
「いい人が傍にいますから。それにしても大変ですね」
原は機嫌を直した。
「だから、大変と言ったでしょ? あ、でも明日、機体動かしてもらいたいから、12時にまでには家に帰してあげるわ。
そこから先は私達がやるから」
「はい」
「よし、それじゃあ始めるわよ」
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善行は、ハンニバルのにゃーにゃーと言う声を聞きながら、部隊マークを描き上げた。
善行が飼っている黒猫の顔の下に三八式歩兵銃が交差する、なんともしまらないマークであった。
善行は、いや、でもこれではただの猫可愛がりだなと思った。
猫を飼う人間はどいつもこいつも自分の猫イズナンバーワンと信じて疑ってない。
善行もそれは同じだが、それが愚かであることを、自分でわかる分だけマシと思っていた。
しばらく考える。
「そうだ、あの太った猫がモデルと言うことにしましょう。うんそれがいい。そうしましょう」
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「ねえねえ、これ、何?」
少年のように、実際少年だが、興味津々という感じで滝川はオレンジのバンダナをつけた森に聞いた。森は、
そんなことも分からないのかと思ったが、分からないなら尋ねるのが筋だと思い、結局答えることにした。
「即応コンテナです。最低限の燃料や予備部品、弾薬、武器などが入っていて、前線に輸送される機体にはこれを背負わせて、
戦場に送り出します」
滝川の隣で通信機器関係の整備機材を持って歩く中村が顔を出してきた。
「これさえあれば、輸送後すぐ使えるとばいね」
「無理だと思います。輸送途中で調子悪くなる機体が多いですから」
「なんて繊細な戦車」
「生卵の上に装甲が張ってあるようなものですから。取り扱いには注意してください」
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舞は、猫の歌を耳にしながら改装作業しつつ口を開いた。
「それは、悲しみが深ければ深いほど、絶望が濃ければ濃いほどに、心の中から沸き上がる反逆の誓い」
そして猫と一緒に歌った。
「あしきゆめよ。そなた達の天敵が帰ってきたぞ。永劫の闇をぬけて」
舞が物音に気付いて隣を見ると、速水が工具箱を頭にかぶって倒れていた。
驚いたのだろう。舞は顔を紅くして口を開いた。
「何をやっている」
「い、いや、はは。素敵な歌だね」
舞はまじまじと速水の顔を見た後、そっぽを向いた。
「……父の真似だ」
「お父さん?」
「父は、よく猫と歌っていた」
「……はあ。あ、いや、へ、へんな人だね。じゃない、ええーと」
「……私も最近はそうじゃないかと思っている」
舞は吐き捨てるように言った。
「私はつい先日まで日本全国的に猫が鳴いたら歌うものだと思っていたっ」
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6時間後。
善行は原に缶コーヒーを投げてよこした。隣に立って先ほどの詫びをしようかとか、三年の間に成長したねと
誉めようとか色々考えたが、結局、そのどれでもなく善行はごく普通のことを口にした。
「中々盛観ですね」
原は、どうせそう言うと思っていたわ、進歩のない人と考えながら、口を開く。
「最初だけよ。実戦で損耗が出始めた時のことを考えると、頭が痛いわ。今の内に言っておきますけど、
この人数の整備兵ではすぐに稼動機は二機以下になるわ。精神力だけじゃどうにもならない位の作業なんだから」
「……なんとか手配して三人で一機を整備できる体制を作って、実働三機を目指しますよ。どうせ、パイロットもいません。
小隊三番機は欠番にして予備機にしましょう」
「そうね。当面二機体制死守でいくわ」
「お願いします」
「話はそれだけ?」
「それだけですが、なにか?」
原は善行の脛を蹴り上げると、部下の監督に行った。
「ほらそこ、なにやってるの!」
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12時間後。
士魂号複座型は、着々と改装が進んでいる。
頭部が交換され、より大型のものに替わる。捜索距離は3倍、同時に交換された超大型火器管制装置と合わせて
同時ロックオン数144個に拡大される。
肩のデイグロウオレンジが落され、灰色の都市迷彩を入れられ、一段と地味になる。
板チョコのような装甲板をアップリケとしてハッチの上に張り、不要なハッチを溶接で塞いだ。
後部胴体が新しいものに替わり、重量バランスが変わったところで、背骨の位置がさらに50cmずらされる。
データリンクアンテナが増設され、後部胴体では収まりきれない電子機器がフェアリングに納められて取り付けられる。
重量が増加した後部胴体とのバランスをとるために、前部装甲はさらに強化された。バラスト替りであった。
近接防御兵器として足下に向けて2門のリモコン式機関銃が装備される。
中村が痺れるように言った。
「かー、いよいよ格好良くなってきたねえ」
原もまんざらではないように、口を開いた。
「突撃仕様よ。他の士魂号を支援しながら、制圧して戦線を突破する戦車」
「重突破戦車か。虎だ、虎だ」
「どうかしら。重量から言えば半分以下だもの。虎というよりは猫ね」
「たしかにコンセプトから言えば、ヘルキャットですね」
善行がまぜっかえした。原は頬を膨らませる。
「黙れこの戦史オタク」
「仕事ですよ……それにしても新しい機体を下ろしたほうがよかったのではないですか」
「いいのよ。あの子たちの士気を考えれば、少しくらい整備の手間が増えても。それに、資源小国の日本としては、
改装したほうがいいと思うわ。この国では使い捨てなんて、絶対できないんだから」
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善行は、原が成長したなと思った。
時という物は酒をうまくするだけではないと、善行は考える。
原は善行を横目で見ると、口を尖らせて言った。
「結局日本を守るために幻獣と戦うのは日本に住む人間しかいないのよ」
「違うな」
ブータは、そうつぶやいた。
「あしきゆめと戦うのは、人ではない。幻と対等に戦うことが出来るのは、同じ幻のみ。あしきゆめと戦うのは本来我ら、
善き神々と英雄達。とじめやみにあらわれて、ひらめきひかりですがたをけす、光の軍勢。あしきゆめの天敵」
ブータはみすぼらしいなりのまま胸をはって人間に言った。
「我々は帰って来る。今はこのなりだが、必ず帰って来る。闇が広がるその時には、天を見上げれば星が輝く。
闇に脅えるな。星を見よ。星は、煌くことをやめてはいない」
ブータは誓いを口にした。
「善き神々と英雄達は帰って来るのだ。そしてかならずここに帰還するだろう」
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森が92mm弾倉の上を見上げると、一匹の大猫が居た。
猫はにゃんにゃんにゃーにゃーと言った。
そして森は、言葉に押されるように首を動かした。
天幕の隙間から外を見れば、星が輝いていた。
「明日は、イイことがあるかもしれませんデス」
「田辺さんみたいなこと言わないで下さい」
ヨーコにそう言いながら、森も少しはいいことがあるかもしれないと、そう思った。
それは根拠のない思いであり、たわいもない幻想であった。
大猫は、にゃーんと自信ありげに鳴いた。
第12回 了
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