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 目の前を壬生屋と舞が歩いていく。

 今は食堂になっている一階の空き教室に、滝川、狩谷、速水は隠れていた。

「いいぜ、行った」
「あり……がとう。滝川くん、速水くん」
「へへ。いいってことよ」
 速水はなぜ隠れるんだと思った。意味が良く分からない。
その速水の表情をどう思ったのか、狩谷は眼鏡を光らせて言った。

「僕を軽蔑しているんだろう」

 速水は途方に暮れた。自分勝手といえば舞も自分勝手だが、あれは自分のための自分勝手ではないと、思う。もっとも、 最近それが本当に客観的判断なのかどうか、自信がない。
いや、客観的判断だ。彼女はいつでも、困っている人に優しい目を向けている。それだけは天地がひっくり返っても揺るがない。

 滝川は分かった風に頭をふった。うなずく。
「いやな女がいるんだろ。分かる分かる。うちの女、変な奴ばっかりだからな。なんですって木刀女と偉そうな女だもんなあ。 あ、でもあれはあれで女と思わなきゃイイヤツだぜ?」

速水は頬を膨らませた。滝川は速水を見る。
「なに、その顔」
「なんでも」
「いいけどさ。あまりにも馴染んでいたんで今まで気づかなかったんだけど」
「なに?」
「リボン」

 速水はあわてて髪のリボンをとった。
そう言えば舞に抱きしめられた、客観的にはとっちめられたとも言う時に、つけたままだったことを思い出した。

 な、なんて男らしくない。
動物園からこちら髭とか胸毛とか男らしさに強く憧れている速水は、自己嫌悪した。

 右に自己嫌悪する狩谷、左にリボンを握って自己嫌悪する速水。

「なんだよ、おれが悪いのかよ」

 はさまれた滝川は、途方に暮れて上を見た。


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 一方その頃、女子校の廊下を歩きながら、坂上は本田に喋りかけた。

「一応終りましたね」
「片付いた気がしねえなあ。あいつら、まだゼンゼン子供なんですよ。坂上先生。まだまだ教えてやらないと」
「……貴方は、今度編成される教導団に転属願いを出していたのではなかったのですか」

 本田は、胸から転属願いを出すと女子校の生徒が運ぶゴミ箱の中に放り投げた。
「やめた。俺、士官より教師が向いているらしい。……前鶴校長の言う通りだ」
「その人は?」
「俺の昔の先生ですよ。坂上先生」

 本田は笑った。

「俺は、引き鉄引いて一瞬で殺し殺される軍人やるより、一人の人間を何年もかけて育てる教師のほうが面白いと思いました。 だからもう軍人はやめです」
「……生徒が死ぬ所を近くで見ることになるかもしれませんよ。つらいことだと思いますが」
「滝川に逃げるなと言っておいて先生が逃げられるわけないでしょう。さて、焼肉代、半分出しますよね?」
「仕方ありませんね」


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シーンは変る。整備テント、士魂号の胸元まで続く作業足場の上。

 原は岩田との話を打ち切って、入り口を見下ろした。

「あ、パイロット達が戻ってきたらしいわね。ふふ。勲章なんかつけちゃって」
「フフフ。派手に祝福すべきでしょうね」
「それなに」
「自爆装置です」
 岩田は起爆装置を、そう言った。起爆装置自体にも火薬は入っているが、爆発力自体はさほどでもない。

「……何に使うのよ」
「万が一私のギャグが面白くなかったらこれを押して笑わせます」
「なるほど」
「こんな風に」
「え?」

 岩田は原がとめる前にボタンを押した。
閃光。

 煙を吐いて原と岩田は倒れた。


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 舞と壬生屋に遅れて到着した滝川が、周囲を見回した。
「え、何、あの光」

 舞は、冷静に口を開いた。
「岩田と原が爆発した」
「はあ?」

 上を見れば作業足場で誰かが立ち上がった。真っ黒な顔の原だった。
黒焦げのなにか、多分岩田の黒焼きを執拗にふみつけている。

そしてあわてて階段を駆け降りた。

 オレンジのバンダナをつけた森とすれ違う。
「原先輩、どうするんですか?」
「こんな黒い顔、人に見せれるわけないでしょ! 作業続けておいて!」


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 岩田は、むっくりたちあがると、今は黒い消し炭になった服を払いながら、鍛えあげられた肉体をみせた。
背中も腕も、傷痕だらけだった。

「その身体、なにがあったのよ」
「鍛えたんですよ」
「は?」
「ギャグのために。憧れの職業になるために」

 岩田は、そういうと、舞や速水の周りをくるくる廻った。

「卒業おめでとうぅぅぅぅ、ござぃぃぃぃ、ますぅぅぅぅぅ」
 三周ほどまわったところで、舞は脚をだした。転ぶ岩田。口から血ならぬ万国旗を吐く岩田。

「見事……」 がくー。
 こめかみを押える舞。
「そなたは神楽の家令だろう」

 岩田は急に上体を起した。
「良く私達の違いが分かりましたネ?」
「特にそなたは、見飽きるほど見たからな」
 岩田は優しく微笑むと、堂々と長い手を差し伸ばした。

「フフフ、今の僕は、失業と書いてフリーです」
「……そなたにまともなことを言っても無理か」
「フフフ、いえ、ギャグについては真面目に聞きます」
「それがまともではないと言っている」

 岩田は奇声をあげながら立ち上がった。踊るようにスキップ。テント中を跳ね回る。

「おおう、この喜びをなんと表現すればよいのか。闇の中で見たシリウス。夜の中で見た青い月。不思議の側の大河に映る銀河!」

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 速水は舞の隣に立つと、ああ、やはりここが一番だと思った。
 飛び跳ねて走る岩田を横目に、速水はおそるおそる舞を覗き見る。

「岩田君と知り合いなの?」
「腐れ縁だ……私の父は色々とくだらないものを残したが、その一つだ」
(奴も僕の敵なのか)

「フフフ、それは違いますよ」

 遠くで岩田は、声を大きくして大猫に言った。

「それは違う。姫君を守るために王は魔術を掛けられた」

 岩田は謡うように言った。

「愛はどれだけ離れようと、光り輝く黄金のすばる。世界の違いなど、蚊ほどのものでもない」

ブータは眠そうな目であくびをして答えた。

 韻が踏まれていない。20点。

 岩田は猫の顔を真剣に見ながら言った。

「魔術法則第一。魔術はエネルギー保存法則を破れない。同、第二、魔術は物理法則をねじまげられない。 第三、魔術は物理力を行使できない。第四、魔術は主観にのみ効果を及ぼす。されど魔術は最強なり。魔術に不可能はなし」

 ブータは腹を見せて転がった。

 声が大きいだけだ。15点。

「魔術はただびとが使い、ただびとがふるい、ただびとが紡ぎ出す嘘のようなもの。世界は、嘘で満ちている。 魔術は使われたのだ。姫よ。Aの守護法陣は、貴方を守るだろう。ラボのセキュリティ関係予算が削られた時から、 それはすでにはじまっていたのだ」

 岩田は前髪を揺らして、優しく大声で言った。

「だが嘘に満ちていても、世の中に一つだけ信じてよいものがある。それは全ての損得を抜きで君の幸せを願う者がいることだ。 それは君を守ることで未来が守られると信じている。王は未来を護るだろう。世界の壁も死すらも越えて、魔術は必ず使われる。 それはただの人間で、ただの人間の集団で、ただの人間が作った物だが、ああ、結局現実なんてそんなものだ」

 ブータは丸い瞳をあっちこっちにやった。
うむ。だが心だけはこもっていよう。31点だ。

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 速水は、岩田を見て、舞を見た。説明を求める。

「……なに、あれ?」
「ほっておけ。猫相手に芝居をしているのだ。生まれつきの道化に、我らの理屈は通じぬ」

「……そうなんだ」

 ああ、結局現実なんてそんなものだ。

 速水は、考える。
 どこかできいたフレーズだ。どこかで聞いたやさしい言葉だ。
どこで聴いたのか。とてもとても大切なフレーズだったような気がする。

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「姫よ。魔術は、貴方を守るだろう」

 備品調査のため、整備テントに立ち入っていた加藤が見たのは、そう言う岩田の姿だった。

 岩田の真剣な顔、真剣な声。その目が余りに真剣すぎて、加藤の心はざわめいた。

 その声は、猫ではない誰かに向けられたものではないのか。
そう考えたのだった。それは誰か。

 岩田は、怜悧な瞳で加藤を見ながら言った。

「だから今を嘆くな。胸を張れ。それは見えなくとも、貴方の傍にある」

(あんたは……あんたはやっぱり、あの人やの?)
加藤の心の声を聞いたのか、岩田は、にやりと笑って姿を消した。

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一方その頃。職員室。

 瀬戸口は面白くなさそうに背もたれを前にして椅子に座り、善行の前で日本茶を飲んでいる。

「お前さ、男殺しだろ」
「それを言うなら女殺しではありませんか」

 善行は湯飲みを傾けて日本茶をすすった。ああ、芝村さん達から貰った茶葉が切れる。また番茶に逆戻りですねと考える。
その様を、面白くなさそうに見る瀬戸口。
「いいや、男殺しだね。お前さん、絶対男に好かれる性質だ。あーいやだいやだ。お陰で俺は相棒を取られたぞ」
「酔ったようなことを言わないでください」

 芳野からタオルを借りて顔を拭いている原が、善行を横目で見た。
「確かに男殺しね。いつも色々な男、はべらしているもの」
「部下ですよ」
「どうだか」
「俺は違いますよ。整備長」

 化粧がとれると、原は子供っぽい。原はこっちを見ようとしない善行をあざけった。
「そうね、彼は筋肉質が好きだもの」
 善行は、眼鏡を指で押した。素子の嫉妬は際限がない。

「逃げるの?」
「ちょっとお茶の葉を買って来るだけです」
「そういって大陸に行ったこともあったわね」


第13回(後編) 了