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 天候は徐々に悪くなり、嫌なことに、雨まで降りだしていた。
森は公園についた。

 雨に濡れながら、周囲を見渡す。
そして公園のベンチでじっと下を見ている、速水を見つけた。


 森は濡れた髪をもう一度オレンジ色のバンダナに収めると、深呼吸して、共通語共通語と思った。
 意を決し、自分としては大股で速水の前に立った。

しばらく待つ。気付いたそぶりはない。
 なんと言おう。こういう時は怒るほうがいいのだろうか、優しくしてあげたほうがいいのだろうか。

「速水……くん?」

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 速水は、雨が降りはじめてから随分して、雨が降っていると思った。
顔を上げ、暗いままの視界を広げる。

 舞……違う。彼女が来るわけがない。当たり前だ。
視界がまた暗くなる。

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 速水が顔を上げたために、その涙目の顔を見た森は、あまりの可愛さに一度よろめいたが、気を取り直して 速水の前に立ちなおした。

 色々と言葉を考えていたし、考えようとしていたが、肝心なときに言葉に家出された森は、言葉を呪った後で 顔を真っ赤にし、言うに事欠いて仕方がないので行動に移すことにした。

 怖い顔で速水の手を取って、引き寄せると、歩き出したのである。

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 一方その頃。プレハブ教室。

「ちゃんと向き直って人の話を聞くものです」
 説教する壬生屋。
 不機嫌そうに……いつも不機嫌そうだが……不機嫌そうに雨模様を見ている舞は、窓際の席に座ったまま、知らん振りをした。
 もっともそれでめげる壬生屋ではない。髪を膨らませ、より大きな声で説教をはじめる。
「だいたい貴方が粗忽な人だから、速水くんに愛想つかされるのです」
「なんだと?」
 舞はその言葉にゆっくり反応した。顔を向け、にらんだのである。
壬生屋は負けずに睨み返した。この性格は直してやらねばならないと信じている。
「何度でも言ってあげます。貴方は失礼で、知らないうちに人を不快にさせています」
「他人がどう言おうが知ったことか。文句がある人間は私と戦って勝てばいいだけだ。それに、速水に関しては別だ」
「何が別なのです」
「この件に関しては、私は断じて悪くない!」
「その態度が悪いと言っているのです!」
「なんだと!」
「なんだとなんだとばかり!」
 先に手を出したのは壬生屋だった。投げ飛ばそうと腕を掴んだのである。
 舞は左手の指で壬生屋の目を潰そうとし、結果として腕の束縛から逃れ、間合いを取ることに成功した。 舞は椅子を叩き蹴って壬生屋のすりあしを邪魔するように戦場を作り上げると、ファイティングポーズを取る。
 壬生屋は木刀を抜き放って下段に構えた。

 下段は不格好だが、実戦流派の多くが教える有効な構えである。

 舞は格闘の授業でも最高の成績を持つが、唯一それに近いか、それ以上の成績を上げるのは壬生屋であった。 道場の娘である壬生屋は、滝川クラスであれば5人相手にしても問題にならないほどの戦闘力を持っていた。
 戦車学校の格闘授業では髪を掴むことを禁止していない。授業がエキサイトすると、勝つために髪を掴んで引っぱる 人間は必ず出てくる。それでもなお豊かな黒髪を誇るには、大変な実力が必要なのである。それはそのまま壬生屋の圧倒的な 近接戦闘力を示していた。

 中村が腕を組みながら離れる。止めたい所だが、二人相手では歯が立たない。
「ば、また始めよったばい」
「馬鹿なやつらだ……でも、今日は本気度が高いな」
 同じく車椅子を転がして、避難してくる狩谷。
加藤はそれとなく動いて、狩谷をかばえる位置に移動した。ののみを見る。
「ののみちゃんも、おいで」
「ふぇ? ううん。だいじょうぶなのよ。ほんきーじゃねえ、ないの。ねー」
 うなずく大猫と共に並んで遅いお昼ご飯を食べていたののみは、傘を畳む音に耳をそばだてた。
 やれやれ、濡れちまった。という、声。

 壬生屋が動揺した瞬間を、舞は見逃さなかった。器用に倒れた椅子を蹴って立ちあげると、その上に座って、 また窓の外を見始めたのである。

 遅れてやってきたのは、瀬戸口だった。
ののみはごちそうさまをした後、立ちあがって声をだした。
「わぁ、たかちゃんだー!」

 瀬戸口は髪を整えながら笑ってみせた。
「よぅ。元気にしてたか?」
「うんっ」
「そうか、ののみはえらいなあ……あら、そう言えば、速水は? 俺、あいつに用があるんだが」
「うんとね、えっとね。いまは外なのよ」
「そうか、しまった。すれ違ったな。探さないと」
 瀬戸口は笑ってののみを抱き上げると、肩車した。壬生屋は舞と瀬戸口を見比べた後、瀬戸口に天誅を下すことにする。

「なにを破廉恥なことをやっているのです!」
「……はあ?」
 肩車したまま、瀬戸口は口を開けた。ののみの細い脚の間から顔を覗かせた瀬戸口が、とてつもなく好色そうに見える。

「問答無用、成敗!」
「ば、ばか、いくらなんでもこの状態じゃ目茶苦茶だぞ!」
「ふぇぇ!」

 全速で振りぬけた木刀は容易に骨を叩き折る。机の一つが打撃を受けて醜く歪んだ。

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 森は、頭をタオルで拭きながら受話器を耳に当てた。

「先輩ですか? うちです。……速水くんを見つけました。……え、はい。今はうちの家です。雨が降っていたんで……」

 森は顔が赤くなった。のろのろと着替えをしている速水を見て、見ないようにする。

「な、なったら何が早すぎるなんですか。初陣前のパイロットに風邪を引かせるわけにはいかないでしょう?  じゃ、適当に雨がやんだら連れてきますから。はい」

 森は乱暴に電話を切った。向き直る。
面倒なのは、あと一人いた。

 先ほどから大変な不機嫌そうな顔で腕を組んで、なぜだか生足を見せたがっているように見える半ズボン金髪の少年 ……それは森の弟だった。名前を、大介という。

 見た目は天使もかくやという外見の大介と、美少女でも十分通用する速水が並んでいる様に、森はくらっと来たが、 踏みとどまった。それを値踏みするように見ている彼女の弟……大介。

 大介は面白くないようだった。森が速水を連れ帰ってから、ずっと面白くない。

「で、姉さん。この子が僕の、お兄さんになる奴かい?」
「ち、違う! ご、ごめんね速水くん、こいつ、そそっかしいの」
「そそっかしいのそっちだろ。パンと一緒にシリカゲルを電子レンジ入れて爆発させたのは誰だっけ」
「なんでそんなこと言うのよ! よりんみもよって人の前で!」
「姉さんがそそっかしいからさ。大体興味ないのなら、なんでそんな可愛い服に着替えるわけさ。 僕にはそんな姿見せたことないくせに」
「な、なったらだまれす、このわるごろ!」

 速水は涙が下に落ちないように長く目をつぶっていた。視界が暗い、と思う。

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 森は、悲しそうな速水の表情を見ると、少し胸が苦しくなった。
頑張って守ってあげなくては、と思う。その表情変化を値踏みするように見ている弟。

 なんと言おう、なんと言えば、なぐさめてやれるのだろう。
「そ、そうだ、お昼たべてないよね。コンビニに行って買ってきたの」
「あ、僕の分がない」
「え? 朝、自分で買って食べるって言ったじゃない」
「あー、僕の分がない。ひどい人だ」
「あーもう! それくらい我慢しなさいよ! ほら、煎餅!」
「いやだ。何で僕が、知らない他人に譲歩しなきゃいけないんだ」
 森は泣きそうになった。いや、泣く。大介は腹を立てる。その顔を他人に見せるのが嫌だ。黙りこくる大介。
 森は涙を飲んで立ち上がった。
速水の脱いだ服を集める。
「……ちょっと乾かしてくる。それと、食べ物買ってくる」
「……いいよ、僕はお腹空いてない」
「じゃあなんであんなこというのよ」
「意地悪さ。他になにがあるの?」

 森は弟を睨み付けると、そのまま部屋を出ていった。
速水と二人きりになる、弟、大介。

 大介は姉がいなくなった瞬間、テーブルを叩いて立ち上がった。

「姉さんは、とっぽいんだ。だからと言って騙しやすいからって騙すとなると……」
 森大介は、顔を速水に寄せた。
「たぶん、君は死ぬ。覚えておいてくれていい」

 速水は無視した。そんな女のことは考えてもいない。
その態度をどう思ったのか、大介は口の端を冷酷そうに笑わせた。
距離を取って声をかける。

「なるほど、じゃあ僕も手加減はなしだ」

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第14回(後編) 了