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第15回(前編)
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 それは、なにかを待つ心であった。それがいつになるか分かりはしなかったが、自分の力でそのなにかに手を伸ばそうという、 心であった。
 いくつもの生命を渡り歩きながら、それは何千年も待っていたのだ。そしてこれからも、ずっと待つだろう。 それは人の心の上に浮かびあがる一つの幻想だった。

<人族の母親が息子に伝えた話から、序文>


 それは、なにかを待つ心であった。それがいつになるか分かりはしなかったが、自分の力でそのなにかに前脚を伸ばそうという、 心であった。
 いくつもの生命を渡り歩きながら、それは何千年も待っていたのだ。そしてこれからも、ずっと待つだろう。 それは猫の心の上に浮かびあがる一つの幻想だった。

<猫神族に伝わる古い伝承>


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 時は、少し戻る。

 猫が怒っているような声に聞こえなくもないドライヤーの作動音。
 大猫ブータはドライヤーの風に吹かれながら、汚れを落され、再び輝き出した黄金に燃える毛をブラッシングされていた。

「ねこさんねこさんはきれいだねえ。しろくてきんいろであかくてもえてるの」

 泡で汚れた上着を脱いで、髪をラフに束ねたののみは、にこにこ笑って言った。ひっかかれて細い腕には 赤い筋のような傷が走っていたが、気にしていない。それでも優しく振る舞える人物だった。とても痩せていたけれど。

「きれいだねえ。うれしいなあ」

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 ブータはののみの手で、その身をののみの私物であるかわいいドライヤーで乾かすと、その身を映す鏡で、 新たに染め直されたように見えるチュニックを見た。

 そのチュニックは火の色をしていた。
 燃え上がるようなテスタロッサだ。汚れて灰色がかっていた面影は、もはやどこにもない。
その肩につけていたマントをユリウスに貰ったときも、そういえばこの色だった。
ブータはそう思った。

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 目はその生を現すという。
 だから、猫の目は、猫の生を現している。ころころと変り、過去も未来もない。

 ブータの瞳は、細くなり、太くなり、そしてまわった。

 記憶が飛ぶ。

 この頃多い派手好きが打ち立てた壮麗な宮殿で、ブータは遠い未来と同じように、面白くない顔をして行儀良く座っている。 そして口を開いた。

「無毛のお前はともかく、私は、美しい毛皮に覆われている。マントなどいるか。こんなものがなんの役に立つ。 どうせくれるというのなら、猫用の剣でも兜でもくれればよかろう」

「さてな」
 借金大王にして助平親父として全ローマ市民達に愛された男は、腕を組んで面白そうに親友である大猫ブータに笑ってみせた。 ブータの言う通り、無毛であった。
「これからその時が来るかもしれんだろうが。運命って奴は、読めんから運命なんだ」

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「運命だな。ユリウス。運命だな」

 ブータはラテン語で言った。

「運命を定める双面の剣は、時に味なことをする」

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 鏡に映るブータの瞳は、細められた。

 また記憶が飛ぶ。

 満開の桜の樹の下で、古い切れ切れのマントを短いチュニックに直してもらったブータは、それを着せてもらって、 桜の樹の主人である少女に深々と頭を下げた。

 首を横に振る少女。目は、見えていないが、見えていた。
「……貴方に伝えなければと思っていたの。死んだあの子が、貴方に伝えてくれと」

 少女は優しく笑って、死んだあの子の声色を真似た。

「ありがとうねこさん。僕の友達よ」

 瞳の形がかわる。ブータの丸い瞳は、涙を落した。
そしてブータは、バルカラルの言葉で言った。
「エステルヴァラオームイスラボート」

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 鏡に、青い二つの光が映った。それは猫の額の下にうるんでいた。

「ねこさんのめのいろはきれいだねえ。あっちゃんもおなじいろなのよ。くらければくらいほどあかるくひかるの」

 髪をラフに束ねたののみは、にこにこ笑って言った。ひっかかれて細い腕には赤い筋のような傷が走っていたが、 気にしていない。それでも優しく振る舞える人物だった。
 ののみは髪をふると、ブータに顔を寄せて言った。

「あれー、でもまえもこのいろだったかなあ」
 ブータは、最後の最後のその最後に、わしを裏切りつづけた宝剣は、わしに振り向いて笑ってみせたと思った。 静かに口を開く。
「うしなわれしものはよみがえる」
「はえ?」

 ブータはにゃーと優しく鳴いた。

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 プレハブ校舎一階の前を、岩田が両手を大きく振りながらスキップしていると、岩田は電波を受信したかのように横を向いた。 最近食堂のように使われている空き教室に顔を出す。

 ののみが、いた。傍らの大猫が耳を立ててこちらに注目している。
岩田は、長い舌を見せながら言った。

「なぜか今日はシオネクローン9番ですネ!」

 岩田は、舌を出したまま首をひねった。岩田を見ないように、聞こえないように耳を塞ぎながら、別人や、 やっぱり別人やとつぶやく傍らの加藤。まわる岩田。

「くろーん?」
「いけない!」
 岩田はくるくる廻って注射器を取り出した。

「フフフ、猫にやられましたね? 化膿をしてはいけません。注射しましょう」
「……それ、きらいなの」
「ククク、僕はこれで人を刺すのが大好きです。イィ! その脅えた表情イィ!」

 おびえて後ずさるののみの横にいた大猫が、ののみをかばうように静かに前に出た。
黄金と赤の毛をした、見事な長毛種だった。どこまでも青い瞳が印象的な、堂々たる猫。

 猫が牙を剥く前に、加藤がハリセンで岩田の横っ面を叩いた。微動だにしない岩田。
「いくらアンタでもやっていいことと悪い事があるで。おびえてるやないか」
「フフフ、私にやって悪い事など、何もありませんよ。なぜなら私は世界の支配者!」
 岩田は縦に腰を振りながら恍惚の表情になった。
「イワッチイワッチ、アァァウ!」
「あんたは絶対違う」
 再びハリセンが炸裂する。まわりながら派手に吹き飛ぶ岩田。ガラス窓に頭を突っ込む。

 動かなくなった岩田を見た後、ののみを見て、加藤はののみを抱えて逃げ出した。
ののみはブータを抱えあげた。加藤はブータとののみを抱えて走り出す。

 岩田が血を流しながら追ってきた。速度を上げる加藤。

「フフフ、僕が突っ込んだのを見て、さらに突っ込むのが貴方の仕事でしょうぅぅぅ!」
「うわぁ!」
 乙女とも思えぬ声をあげて加藤は全速で逃げた。

 七色の光をあげて派手にころがる岩田。そして二度三度転んだ。
頭をふってあっちこっちを見る岩田。

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「それはかまどの女神が鍛え上げたる不滅の剣にして、人民を守る最後の砦」

 ブータは前脚を伸ばすと歌を謡い、七色に輝くリューンの防壁を張った。

 防壁にあたって岩田が弾かれ、また弾かれた。