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 シオネ。シオネ。偉大なる魔法の女王。
だれよりも悲しいのに、それでもなお優しい俺の姫君。
七つの世界に咲いた一輪の薔薇。バルカラルを照らす純潔の宝石。

 なぜ醜い鬼を恋人に選ぶのか。陰口をたたかれても、優しく笑って無視をしていた。誰よりも勇気にあふれ、誇り高い、笑うと子供っぽい俺の姫君。
 貴方は目が見えないから見た目など関係ないのにね、と笑って言うけれど、俺はそれがたまらなく悲しかった。

 もっと俺が、美しければ。
 もっと俺に、力があれば。
 もっと俺がうまく喋れれば。
……もっと俺に、勇気があれば。

 だがそれも、もうどうでもいい。
 なにもかも、どうでもいい。

 それでも俺が死ねないのは。貴方が最後に言ったからだ。

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 その日、残酷な運命は猫の口から彼女の最後の言葉を俺に伝えた。

 運命は言った。生きて。そしてまた、会いましょう。

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 綺麗な紫色の瞳を揺らすと、瀬戸口は顔を上げた。
視線の先には、ポニーテールの少女に優しく微笑む速水がいた。

 ここは教室で、瀬戸口は無気力な学生だった。
椅子に座り、永遠に来ないであろう再会を待っている。

 瀬戸口はしばらく考えた後、速水の横顔を見て、その後力尽きたようにひっくりかえり、やっぱりウソだろーと思った。

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第16回 SIDE−A
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 初めて会った日のように胸に青い光だけをひっさげて、それは言ったのだ。そこまでだと。

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 時は昔。遠い遠い昔。忘れるほどに、いくつもの身体を渡り歩く前の話。

 デクと言われるその鬼が、シオネ・アラダを見たのは、殴り倒される1分30秒前だった。
 デクは最初、誰がシオネか分からなかったので、村娘に訊ねた。
近づくと娘は走って逃げた。デクは、娘に急用ができたのだと思った。
 次の女性に声をかける。女は泣いて、おびえ続けた。
デクは、女には悲しいことがあったのだと思った。

 しばらく話を聞いて回るうちに、デクはこの村がとても悲しいところだと思った。
自分の居た村もひどいところだったけれど、地上はみんな、こうらしい。
 外の世界には友達が居るかもしれない。淡い期待を持っていたデクは悲しくなった。
 悲しいので声をあげて泣いていると、軍隊が来て光る矛をかざすので、デクは逃げ出した。矛で刺されると痛いことくらいは、 生まれた村でデクも学んでいた。

 そうして山を歩き、兎を食べようと走り、捕まえた兎がかわいいので食べるのをやめ、懐に入れて腹を空かせて歩いているとき、 デクは巨大な洞窟に立ち寄った。
 山腹の中に穿った穴に、空を飛ぶ船が一つ。

 そこで、猫と犬と蜘蛛と燕とペンギンと、その他多くの生き物を連れて旅する少女に出会ったのだった。その細い肩に、世界の命運と良心を、 全部背負って明るく振る舞う少女に。

 少女は何も持ってなかった。だから、鳥たちが羽根を一枚づつ献上してつくりあげた服を着ていた。 その胸を飾るのは、 綺麗なクジャクの羽根ではなく、地味で黒いことを恥じて最後まで羽根を渡すのを躊躇したカラスの羽根であった。
 少女は誰よりも堂々と、カラスの羽飾りを胸につけていた。子供たちから贈られた木の実と共に。

 カラスはこれに感激し、太陽の中に身を投げて炎の鳥になると、黄金にも青くも見えるカラスとなって、少女の回りを回り始めた。 以後、カラスはすべての神族の中でもっとも忠節にはげむことになる。その胸の羽根は、闇が深ければ深いほど、青く青く輝いていた。 この時から黒をさして青とも呼ぶことになる。

 裸足が痛いのはかわいそうと、一際大きな白い狼が少女を乗せていた。その仔である白い毛玉のような仔犬を大事そうに、少女は抱えていた。

ああ、この人は、親切そうだ。この人にシオネがどこにいるかたずねようとデクが思っていると、少女の方が先に口を開いた。

「そこまでよ。もう好きにはさせないわ」
「あ、あああああ、おで、ききたい」

 少女はまばたきした。後で聞くとゴミが目に入ったのとは違うそうだ。
「シシシシ、シオネアラダ。どこいるか」
「シオネは私」
「お、おであんた殺す。お、おおお、おつかいだから」
シオネは、何を思ったかにっこり笑うと、デクを見上げた。いや、この人の青い瞳は何も映さないと、デクは後で教えられた。

「そう。でも、今はだめなの。ごめんなさいね」
「わわ、わがまま、いけない」
「そうね。わがままはいけないわね。じゃあ、こうしましょう。私が私のおつかいを果たしたら、殺されてあげるわ。それでどうかしら?」
「待つ。いつぐらい」
「そうね。 6つの世界が平和になったら。 その時には」
 デクは考えて、おつかいには急げと言われていなかったことを思いだした。
「わわわわ、わかった。おで、待つ」
「ありがとう」

そのときシオネが見せた子供のような笑顔を見て、デクはつられて笑った。

 そしてシオネは腕を青く輝かせて、デクをぶっとばした。
デクにとって生まれてこっち、一番ひどいぶたれ方だった。

彼女はそして、笑って言った。
「これで、国々を襲ったことは許しましょう」

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前夜。

 瀬戸口は自分でも訳が分からなくなるほど走り、訳の分からないことを口走った。
 忘れていた。忘れていた。あの瞳。あの口振り。
胸にぶら下げた青く輝く宝石は、あれはカラスの羽が絶技によって形を変えたもの。
 黒より生まれ、最強と言われたオーマの忠誠を集めたのは、ただ一人ではなかったか。


「そこまでだ」
 ゆっくりと歩み寄りながら、シオネ・アラダは静かに言った。

「そこまでだ。……ここからは好きにはさせない。舞から手を引け」

「正体をさぐられても、いいのかい?」
 瀬戸口の脅しに、速水は笑った。命を掛けた決断をする時に笑うその癖も、同じ。
何も持っていない。なんの義理もない。だがそれは血を流しながら嘘を言うのだ。
私が世界を守る。世界は良くなる。絶対に。
 誰よりも幸薄い、世界から見放されたような者がそう言うのだ。
猫神族やカラス神族でなくても、嘘を信じる気になろう。それは希代の詐欺師であった。

何千年もそれは心の中で待っていたのだ。復活の時を。

 デクは、瀬戸口は顔を手で覆って泣いた。
あの人は約束を守ったのだ。たとえ死んでも。

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そして、今。

瀬戸口はショックでひっくりかえったまま、うめいた。

 しかし問題は、相手が男で復活したことだった。

確かに約束したときは性別まで決めていなかったし、自分も一度は女の身になったけれども。しかし、しかし……

 ひっくりかえってうめく姿が面白いのか、ののみが顔を覗き込んで笑った。

しばらく考え、考えても仕方ないと思う瀬戸口。急に立ち上がる。
「怪獣ぐっちー!」
「わー!」
 ののみは嬉しそうに大きな声をあげて、何故か瀬戸口に抱きついてきた。
瀬戸口が襲い掛かるというよりも、抱きしめて欲しいように見えたのだった。

調子が狂ったと頬をかき、瀬戸口はののみを抱き上げた。速水のほうは見ないようにする。
「怪獣が出てきた時は逃げるもんだ」
「そーなの?」
「ああ、そうさ。今度からちゃんとやるように。でないと怪獣が失業する」
「たいへんだねぇ」
「ああ、大変なんだ」

 背中に殺気を感じ、瀬戸口は背筋を伸ばした。
壬生屋の木刀が、瀬戸口の肩越しから伸びてきている。
「そう、貴方は女の敵です。滅しなさい」
「……あのな、どうしてそういう結論になるんだよ」
「いやらしいのです!」
「そういう想像するほうがいやらしいんだ!」
「おだまりなさい!」
 瀬戸口は背中を見せたまま、壬生屋の袈裟斬りをののみを抱いたまま避けきった。
続く斬撃を身をひねるだけでかわす。紫の瞳が青く輝く。

 血走った紅い瞳を見せて舌打ちする壬生屋。
「……うまくなりましたね」
 ののみを下ろして髪を整える瀬戸口。
「命懸けだからな。昔とった杵柄かもしれないが」
「意味が分かって言っているのですか!?」
「男と女の関係だろ?」

 からかわれた…!
壬生屋が顔を赤くして次の斬撃を食らわせるより速く、瀬戸口は速水の影に隠れた。

瀬戸口は速水の綺麗な青い瞳を見ながら言った。
「助けてくれ、速水」
 顔を背け、舞の方を見て微笑みながら、速水は静かに言った。
「どうしようかな」
「……俺達は味方だろ? 約束は守る」
「そうか、じゃあ仕方ないね」

「何を殿方同士でこそこそやっているのですか!?」
「じゃあ俺が何したら怒らないんだよ! 一人でじっとしてろってか!?」
 速水の影に隠れて威勢良く言う瀬戸口。

 速水が仲裁のために動くより先に、壬生屋は顔をこわばらせ、下を向いた。
確かにそうだと思ったのだった。壬生屋は、瀬戸口一人で教室に寝ていたことを知っている。寂しいのが嫌いだと言うことも、知っている。

 とはいえ、自分と喋ればいいなどとは、はしたなくて言えない。
そこで壬生屋の思考は止まる。これ以上何も考えることができなくなるのだった。

 壬生屋は瀬戸口が好きなんだな。速水はその表情を見て、はじめてそう思った。
以前は分からなかったが、今なら分かる。これは本当の好きだ。嘘ではない。
 速水はそんな壬生屋の顔を見て、うらやましいと思った。
自分に正直でいることは、勇気がいることだ。舞のようにどころか、僕には壬生屋のようにも振る舞えないと思う。僕には勇気がない。

 速水は、瀬戸口ではなく壬生屋の味方をすることにした。
首だけ動かして瀬戸口の方を見る。
「……謝ったほうがいいんじゃないかな。瀬戸口君?」
「俺がかい? おいおい、どう見ても俺が被害者だろう」
「事実においてはそうだが、今ここだけ見て表情を見ると、そなたのほうが悪いようにも見えるな。世の中は複雑だ。 簡素で単純な芝村には分からぬこともある」
 舞がそう言って混ぜ返した。もっとも本人としては至って真面目な発言である。
「状況を整理すれば、前後の関係はよく分からないが、今、ここの状態だけ見るとそなたが悪いように見える。だがそれが真か偽かは分からぬ。 あとの判断はそなた次第だ」

 瀬戸口は舞を無視した。瀬戸口にとって舞は恋敵である。恋敵といえるかどうか自分でも自信がなかったが。

 瀬戸口は速水を背中から抱きしめながら速水の耳元にささやいた。
「ほんとに俺があやまるのか?」
「僕なら謝るけど、どうする?」
 前を見たまま、速水は言った。速水はまだ瀬戸口に警戒していた。
肩をすくめる瀬戸口、名残惜しそうに手を離す。

「分かった、分かったよ。俺の負けだ。さあ、その木刀で好きなだけ殴ってくれ」

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 壬生屋はふてくされたような瀬戸口を見ると唇を噛み、そのまま豊かな黒髪を翻して走り去った。
 不覚にも溢れた涙を手の甲で押えていた。

 その姿を見送り、しばらく黙る速水、舞、瀬戸口。

最初に口を開いたのは自分を指差した瀬戸口だった。
「これも、俺が悪いのか、やっぱり」
「難しい」
と腕を組んで舞。
「僕は、そう思う」
壬生屋の気持ちは分かる。そう思って速水は言った。
 本当の好きは、訳の分からない行動を起こさせる。瀬戸口が悪いわけではないことは速水にも十分わかっているが、今この時は、 速水は壬生屋の味方であった。
「瀬戸口くんは追った方がいいよ」

苦い薬を飲んだような瀬戸口。もっとも嫉妬深いところまで同じと思うと、嬉しくもあった。
「あー、そのなんだ。そう言えばののみは?」
 舞が口を開いた。
「壬生屋を追った。あれは誰よりもうまく事をおさめよう」
 速水が意外そうに顔を舞に向ける。
「芝村よりも?」
 速水はどんなことでも舞が一番だと思っている。舞は首を振った。
「我らより年少だが、こういうことは年齢で決まるものでもあるまい。それに私は正直ではあっても傲慢ではない」
「……それが傲慢って言うのさ」
 つぶやく瀬戸口。
「価値観の相違だ」
 そう言う舞。