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 一方その頃、ののみは女子トイレにたどり着いていた。
覗き込むように顔をだす。本人としては舞の真似である。誰かが困ったときに姿を現したつもりであった。
「みおちゃん。だいじょうぶ?」
「……ごめんなさい。大丈夫。大丈夫」

 涙を手で拭きながら言う壬生屋。笑ってみせた。ののみも笑顔を見せる。
「うん。かなしいのはめーなのよ」

 壬生屋はその無邪気な笑顔を見て、心が和んだが、同時に心が揺れもした。
瀬戸口は嫌なことがあったりすると、ののみの所にやってきては、心を休めているのではないか。そう思ったのだった。

 それは、なにか嫌だ。

瀬戸口が心を休めるその場所が、この娘の所というのは嫌だ。と思う。
自分は嫌な女だと、壬生屋は思った。なんだか自分がどんどん醜くなっているような気がする。ここは変な場所だ、最近は舞のほうが正しく、 自分がおかしいのではないかと思う時すらある。

 表情を曇らせるののみ。壬生屋の瞳を覗き込んだ。
「どー、したの?」
「う、ううん。なんでもありません。私はすぐ行きますから、先に教室にもどってください」
「うん。じゃない、はい。……うんとね、えっとね。そういうときはねぇ、ねこさんのうたをきくといいのよ。そのかがやきはごーかけんらんなの」
「あはは。ええ、そうします」
 その言葉があまりに幼く、かわいらしかったので、壬生屋は思わず笑ってしまった。
ののみも笑った。

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場面は、戻る。

 まさに不承不承壬生屋の所へ謝りに行った瀬戸口を見送った舞と速水は、期せずして視線を交わした。
すぐ視線を外す速水。不思議そうに眉をひそめる舞。

最近速水はよそよそしい。
 私が何かしたのか?

不満があれば言えばいい。と、舞は思う。が速水は何をするでもない。
ただ悲しそうに微笑むだけだ。舞は性格的にそういうのは好きではない。否、大嫌いである。だから手を伸ばした。速水の首筋を掴んで引き寄せる。

「最近のそなたはよそよそしい。思うことがあれば言え。私はそういうのが嫌いだ」
 速水は反射的に振り払おうと舞の手に触れようとして、震える手をひっこめる。

今、舞に触れれば気持ちが折れる。速水はそう思った。
気持ちが折れる。今度折れれば、多分相手が結婚してようとなんだろうと抱きしめて、そして自分だけのものにしたいと思うだろう。 相手は世界そのもののように大きな眼差しをした人なのに。卑小な自分がそれを一人占めしようなど。まして偶然拾われただけだ。 偶然同じクラス、同じ機体にいるだけだ。その上でこのように思うなど、それは愚かで、惨めすぎる。

「よそよそしくなんかないよ。どうして?」
 速水は、舞を見て、言った。誰よりもこの人に愚かと思われるのが嫌だ。惨めな姿など絶対に見せられない。
 その気持ちに反するように、舞は見たまま言った。
「ならばなぜ泣きそうな顔をする」
 嘘を見破られた。嫌われた。速水はそう思った。嫌われた嫌われた。そういうのが嫌いだと言われた。
その通り。君はいつだって正しい。僕だって僕が嫌いだ。何よりも釣り合わない僕が嫌いだ。嘘で言いつくろう自分も嫌い。 君は神話や伝説から出てきたような心根をしていて、僕は現実の汚泥そのもののような心をしている。

「困ることがあれば言え。そなたの敵は私の敵だ」
「困ってないよ。でも、ありがとう」
 舞は首筋から手を離した。ため息。

「ならばいい。だが困ったときは我が名を思い出すがいい。そなたに味方がたくさんおろうが、そういうものは多ければ多いほどいいだろう。 そしてその中でも、私はもっとも勇猛に戦えると思っている」
「ありがとう。その言葉だけで十分だよ」
それで残りの一生を生きていける。速水はそう思った。
 汚泥には汚泥の使い道がある。現実にある最低の汚泥でも、神話や伝説の味方ができるかもしれない。

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一方その頃。

 面白くも無さそうに、瀬戸口は廊下を歩いている。

速水があの人の生まれ変わりと、なぜ今まで気づかなかったのか、そんなことばかり思っている。
 青い目に、黒い髪。細い身体。みんな同じ。

やはり男だからか。瀬戸口は苦笑した。
まあ、野山を駆け回る元気な脚が欲しいと言っていたからな。ある意味当然だが。
 速水が生まれ変わりではない、つまり勘違いの可能性を、瀬戸口は考えなかった。考えたくないのだった。
 違ったらまた長い時を待ち続けなければならない。それを考えることは瀬戸口には怖すぎて、頭を振って追い払う。
 怖い、怖い、だから、確認することもできない。

向こうからほとんどしない足音。瀬戸口は足を止める。

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同じ時。

 面白くも無さそうに、壬生屋は廊下を歩いている。

なぜ瀬戸口のことが気になるのか、そんなことばかり思っている。
なぜ、瀬戸口なのだろう。壬生屋はもっといかめしい顔が好きなはずだった。愚鈍でも心優しい者が好きなはずだった。人は見かけではない。
そう言って周囲から笑われた後はずっと黙ってきたが、気持ちが揺らぐことはないはずだった。
 自分の好みとは違う。紫色の瞳に、明るい髪、全然丈夫そうでない身体。何もかも違う。

 奇麗なものに惹かれてしまうのは、やはり自分が女だからか。壬生屋はそう思った。
 自分が浅ましいのは女だからか。男に生まれれば良かったのか。
そうすれば、舞とも仲良くなれたかもしれない。瀬戸口とも、なにか、喧嘩以外のこともできたかもしれない。そう考えて、壬生屋は自分を苛める。 自分が大切なものを裏切っている、そんな気分になるのだった。

あるいは舞のように、自分の意見を公言し、周囲との摩擦を恐れず、周囲に嫌われるのを無視して生きれば、こんな嫌な気分にはならないのだろうか。
自分の生き方は、間違っているのか。壬生屋はそう思いたくなかった。そう、姉代りとして舞に教えなければ。思うことを言えば笑われると。それは悲しい。悲しい。

向こうからかかとを打ち付ける足音。壬生屋は足を止める。

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瀬戸口と壬生屋は同時に顔を上げた。

 瀬戸口は壬生屋の目が赤いので、激しく動揺した。
 壬生屋は瀬戸口がそこにいることで、激しく動揺する。

「あー、なんだ」
「その」

二人は期せずして声をあわせた。
「や、やあ」

 間抜けもいいところであった。廊下を旅するストライダーウサギが、スライディングする間抜けさである。


 二人は下を向き、上を向き、どちらが先にしゃべるか無言の応酬の後、瀬戸口が負けて口を開いた。

「何がどう悪いのか分からないが、あー、とにかく悪かった」
 言葉とは裏腹に、自分を心底心配そうに見る瀬戸口に、壬生屋はそれだけで許してしまいそうになった。だが口に出た言葉は、 壬生屋自身がびっくりするほど底意地の悪いものだった。

「どうせ、誰かに言われて来たんでしょう?」

 顔をこわばらせる瀬戸口。考えて、なぜか顔を赤くする。
「ああ、そうだな。速水に言われた」
 まったく速水なら言いそうなことだ。壬生屋はそう思った。
うらむべきか、感謝すべきか、複雑な気分。

「減らず口が叩けるくらい元気ならいい。……じゃあな」
「逃げるんですか?」
「なんだと?」

 壬生屋は引き留めるならもう少し別の言葉があるだろうとか、誰かとめてくださいとか思ったが、意識とは裏腹に表情は冷たく、こわばった。

にらみあう二人。
 瀬戸口は急にののみに会いたくなった。あと、速水にも。
我慢できず、背を向ける。この女を見ていると、自分が一番大事にしているイメージが叩きこわされそうで、嫌だった。

「やはり逃げるんですね」
「ああ、そうしとくよ。喧嘩は嫌いなんだ」
「意気地無し」
「おれもそう思う。……それに、なんだ。木刀、どこかに置き忘れてるだろ」
「え? あら?」
「武士の魂って奴だろ? 木刀もっている時に相手するよ」

 壬生屋はばかにされた、と顔を真っ赤にした。言い放つ。
「貴方など、素手で十分です」

 壬生屋の顔を、青い瞳をまじまじと見て、瀬戸口は静かに言った。
「やめとけ。胸、もまれた事もないんだろ?」
 壬生屋は反射的に胸を隠した。瀬戸口は何が面白くないのか、頭をはげしくかきむしって、本格的に走り去った。


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瀬戸口は思う。

再会はなった。

あの時とは、違う。
望みどおり美しい外見、良くまわる口。声をかける勇気。力。

なんだってある。もう、二度と誰にも貴方の陰口は叩かせない。
なのに、なのになぜ。こんな気分になる。

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速水は思う。

あの人の傍で無邪気に笑っていれた時は終ったのだ。
もう、前のようには戻れないと、そう思う。

自分がどんな気持ちだったのか、分かってしまったから。

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