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 ほぼ同時刻。小隊長室。
トカゲ顔というよりは、柄の悪い山椒魚だなと、善行は考えていた。

 隣には本田、それに坂上。三人で通信機の前に座る。

 受像機に映し出されたのは、金モールを下げた白い軍礼服の男だった。
準竜師。舞の従兄にあたる人物である。尊大で芝村らしい、人を睥睨した目つきですねと善行は思った。

「俺だ」
「善行忠孝千翼長であります。閣下。以前事務官を手配していただいたことがあります。その際はお世話になりました」

 階級は善行と三つほどしか変わらないが、準竜師は閣下の称号を当然のように受け流した。顔の前で手を組む。
「兵站参謀である俺が一々そういうことを覚えていると思うか?」
「たとえそうでも、お礼を言うことは無礼ではないと思います」
「無礼ではないが時間の無駄ではある。軍令部から昨日付けで命令が下った。本日付けで、貴部隊は5121戦車小隊として正式に軍組織に 組み込まれることになった。5連隊旗下第1大隊の佐藤はお前と小隊を高く買っている。 担当教官」

 本田と坂上は同時に敬礼した。
「はっ」
「よくやった。誉めてやろう。とにもかくにも、水準ぎりぎりとは言え、部隊を編成したのだからな」
「はっ」

 実際のテスト成績はかなりの数字だったが、本田は独断で悪いほうに書類を書き換えていた。
 ここで良い成績をあげて、自分の生徒達がすぐ激戦区に飛ばされると危惧したのである。
 善行は準竜師の発言に異議のある顔をしたが、この男はそういう言い回しをするのだろうと思って、本田が度々犯していた行為については見過ごした。

 準竜師は静かに言った。
「本田とか言ったな。芝村はそなたの名前を覚えておくだろう。以上だ。後は善行、お前が指揮をとれ」
「待ってください。質問があります。閣下」
「階級で呼べ。ここは殿中ではない」
「はっ、準竜師。質問があります。我々の今後の運用ですが」
「一つ教えよう、千翼長。俺は忙しい」
「失礼いたしました」
「謝罪を受けよう。無用な説明はいい。急げ」
「はっ! 承知しました。では、我が部隊の配置について、歩兵直協火力部隊として進めるよう、参謀としてではなく、 準竜師の芝村としての力添えをいただきたく」
「佐藤大隊長が実験的な編成と運用をおこなう点は承知している。……奴もそれほど無能ではない。質問はそれだけか?」

「イエス、サー。良い上官に巡り合えたことを、神に感謝します」

 準竜師は善行の海兵隊風の敬礼に、鷹揚にうなずいた。もとより善行の敬礼の使い分けなど、意に介さない。

「結構。お前達は大隊長の直轄部隊として活動して貰う。員数外の火消しとして、原則的には小隊司令の判断で行動せよ。……国のために戦えとは言わん。 死ねとも言わん。無理をしろとも、な。実際それほど、期待されているわけでもない。それなりにやれ。意味は分かるな」

「陸軍風の意味であれば」
「別に海兵風の意味でもいいぞ。おなじようなものだ」
「それは我々を野放しにするということですか」

「そうだ。新兵ばかりで何が出来る。国がどうだか知らんが、俺は兵の無駄使いを好まん。人はもっと効率的に死ぬべきだ」
「ご意見に賛同します。……が、今のは国家反逆罪に問われるかと思いますが」
「俺は常識を言っている。……他に用は?」

 善行は、どうやら僕は優遇されているようだと思った。芝村の好意というものは、まったくもって分かりにくい。だが、まあいいか。 親切なふりで殺しにかかる海軍よりはずっといい。

「お預かりしている姫君のことですが」
 準竜師はその問いかけを前もって予想していたようだった。答えも淀みない。
「一兵士ごときがどうなろうと、本職の知ったことではない。気遣いは無用だ。伝言も必要ない」
「はっ、失礼いたしました」

 準竜師は現れたときと同じように唐突に消えた。

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 発作的にののみを連れてきたものの、基本的に未熟者である森には、どうやってののみを泣き止ませるか方法がわからない。

 どこか冷たい感じで
「泣き止んだほうがいいと思います」
 と言っても、最近増えた弟を扱う感じで
「ほら、もう泣き止みなさいよ」
 と言っても、どうにもならないのである。

 途方に暮れる森。そのうち自分も泣きたくなった。
迷惑そうに抱かれているブータ。

「えー、何、このうるさいの」
「どーシタ、ですか?」

 何事かと、教室から降りてくる同僚の整備士、新井木と小杉を見つけて、森は良かったぁと思った。へたりこむ。

「泣きつづけるんで困っていたんです」
「へー」
 小柄でやせっぽちの新井木はののみを一瞥した後、隣に立つ大柄で肌の浅黒い小杉を蹴った。

「何してんのよ、あんたが世話するんでしょ?」
「ワタシ、でスか? でも整備」
「はぁ? アンタが役に立つと思ってるワケ? それと、ボク、ああいうききわけないの嫌いなの。森先輩、行きましょ」
「え、ええ。あの、じゃあヨーコさんお願い。ウチじゃもう、ぜんぜんどうしようもなくなっちゃって」
「ハイ……」

 小杉は肩を落した。いつも見せる笑顔も、少し元気がない。
「あの」
「どうしマシた?」
「これ」

 森は一度戻ってくるとブータを小杉に押しつけた。ブータを抱き上げるヨーコ。
「お願いします」
「ハイ、デす……」

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 あの骨と皮ばかりの小娘が憎い。一番憎いあの女を殺したら、次は奴を殺してやろうと、ヨーコは考えた。ブータが目を細める。
 そして、泣きじゃくるののみを見た。


 その姿が、自分の幼い姿にかぶった。
周囲には理不尽なものしかない、絶望的な世界。

 ヨーコは発作的に涙を流すと、膝をついて幼い自分のようなののみを抱きしめた。
「悲しかったデすね。コーイウ時、泣ク、いいデす。ずっと傍にいまス」
 もうなんで泣いているのかも良く分からず、びえーと泣くののみ。

 ヨーコは、自分がやってもらったことの中で一番嬉しいことをやった。
それは泣き止むまで傍にいてやることである。

 そう、泣き止んだら、何かを食べさせてやろう。あの人がやったそのように。
そう考えた。

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 風が心地よい。速水は、そう思った。今はグラウンドの脇で休憩中である。
滝川と壬生屋はほとんど汗をかいていないせいか、そよ風の恩恵を受けてはいないようだった。ただきつそうである。
 舞を見ると、舞は風を自然に受けて、回復しているように見えた。舞も多くの汗をかいていた。
 ささいな事でも一緒のところを見つけるのは嬉しい。速水はそう思った。

 舞が顔をあげた。見ればののみが、うんとねあのねと近寄って来る。
後ろからにこにこ笑う色黒で長身の女性が歩いてくる。

「あれ、整備の人ですよね、名前は確か」
「小杉ヨーコさんだろ」

 舞は近寄ってきたののみに声をかけた。
「何が大変だ?」
「うんとね、えっとね。あれー?」
「ハイ、料理をするのデス。でも、人手足りないデスよ?」

 難しい顔をする舞。
「うん。分かった。僕、手伝うよ」
 速水はにっこり笑うと、立ち上がってののみ達を手伝いに行った。
すぐさま笑いの環の中に入り、歩きはじめる。

 滝川はあきれ顔で言った。
「最近のあいつ、お人好しに磨きがかかってきたな」
「きっとこの間のことで、自分を責めているに違いありません」
 壬生屋が言う。真面目なあの人は、学校をさぼったことを今も気にしているに違いない。
それに対して、舞は知らぬ顔である。元々、人の噂話に付き合うタイプではない。

 否、舞は考え事をしていた。ののみの大きな目が充血していた、あれは泣いていたのではないのかと思った。玉ねぎか何かを切ったのであろうか。

 その態度をどう思ったのか、壬生屋は舞に声をかけた。
「貴方は何とも思わないのですか」
「なんのことだ」
「速水くんのことです。無理しているって思わないのですか?」

 舞は壬生屋を見た。

「思わない。元々、奴はそういう物が好きなのだと思うぞ」
 速水は昼に食べるサンドイッチを自分で作り、パンの耳を使ってお菓子も、代用ハンバーグのつなぎも作っているほどである。 舞は記憶を元にそう言った。

 不服そうな壬生屋。
「私は料理のことを言っているわけではありません」
「同じことだ。……好意というものは、太陽の下に行けばどこにでもある。近くにそういう人間がいたからと言って、いぶかしむものでもなかろう」

 滝川がうなずいた。めずらしく芝村にしてはいいことを言う。
「そうね、味のれんのおやじも親切だしな。驚くほどじゃねえか。朝も俺を必死に介抱してたしな。痛かったけど」

 滝川は話の途中で芝生に寝転がり、大きな陰を作る木と枝葉を見あげた。
そして思いついたように舞に声をかけた。
「……お前ら、いつも一緒だよな」
「一緒なのは通学途中から帰るまでだな」
「まあ、そうだろうけど、いや、……なあ、俺ってさ、あいつとどう付き合えばいいと思う?」
「いつも通りに。なぜそのようなことを聴く?」
「いや、あいつって、優しいけど、なんか時々分からない時があるから。なんつーか、うまく言えないけど、なんて言うか」

 舞は鼻で笑った。
「好意に触れたら感謝すればいい。太陽があって良かったと思うことと同じだ」
「相変わらず良くわからねー説明だ」
「……太陽が当たり前のようにそこにあるからと言って、その存在のありがたみが失せるわけでもあるまい」
「そうか」
「速水は速水だ。お前を揺さぶっていたあのうかつな者を、猫を5匹も6匹も世話して我らの名前をつけるような者を、 そなたは速水と言う以外になんと納得したいのだ?」
「なんだよ、難しく言いやがって。結局分からねえけど、いい奴だって言いたいんだろ?」
「人が理解しあえると思う方がおかしい。私も奴の考えは、おそらく一生理解できまい。だが、仲良くはできるだろう。それだけのことだ。 民主主義が自国内の帝国主義者や共産主義者を排除しないのと同じ理由だ。私は民主主義のそういうところが気にいっている」

 滝川は多分はじめて、まともに目をやって舞を見た。体操服姿で腰を下ろし、長い脚を伸ばして身体を休めている、普通の級友に見えた。 視線を動かして天を仰ぐ滝川。

「まあ、なんだ。結局芝村も速水も同じような奴なわけだ。いや、俺もそうなのかな。俺のかーちゃんも」
「人種は違うかも知れぬが、同じ生物だからな。同じようなものだろう」

 イライラしながら話を聞いていた壬生屋は怒った。
「私は哲学の話ではなく、もっと速水くんを心配するべきだと言っているのです!」

 滝川と舞は、期せずして同時に笑った。

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 一方速水は、料理のレパートリーを増やしたいと考えていた。
 料理が得意だと思うから、こういう役には自分から買って出るのが普通だと、速水は踏んでいた。だからこの小杉という人物は、 料理が得意なのだろう。その技を盗もうと考えている。
 そしていずれは芝村に食べさせよう。そう考えている。速水の場合、戦闘も料理の勉強も、それが舞の役に立つという点では同列である。 同列だから同じように、わけへだてなく熱心に覚える気であった。

「えへへへ、ほら、いったとおりでしょぉ?」
「なにが?」
「はい、フフフ、忙しくても、ハヤミさん、手伝うデスよと、ののみさん言うデス」
「あっちゃんはねえ、やさしいのよ」
「優しくないよ。本当に優しいのは、芝村みたいなものさ」

 ののみと速水は、見つめあうと同じように満面に笑ってみせた。

 速水とののみは、足を止めた小杉を見る。小杉はとっさに手で顔を隠した。
どこかヒステリックに笑う小杉。首をかしげるののみと速水。
「ふぇ?」
「どうかしたんですか?」
「え、いいエ。なにか、良く似ていまスよ?」
 ヨーコは縮れた長い黒髪を振ると、浅黒い肌から白い歯を覗かせて笑った。

 良く見ている。そう思う速水。
 似ているのは当然だ。この笑いはののみから盗んだものだと、速水は思った。
多くの人間を味方につける魔法の笑顔。
 速水、いや速水を名乗る者は、なにも持っていなかった。だから、生きるためになにもかも盗んでいた。
 この笑顔も、名前も、知識も、なにもかも。例外は三つだけ。汚いものでいじくられた自分の身体と、胸に下げている青い石と、 あとは舞への気持ちだけである。

 ののみは大きくうなずいた。嬉しそうに笑った。
「うん。だってなかよしさんなのよ。ねー」
「うん。そうだね」

 速水はののみにつられて笑った。
ああ、いや、舞への気持ちは別格として、この子への気持ちも誰から盗んだものではない。
 例外は4つか。いや、滝川もいる。微妙だが壬生屋や中村もいるだろう。思ったより俺は物持ちではないかと、速水はそう考えた。



<第16回 了>

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