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第16回 SIDE−D
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若宮は気合を入れてお仕えしようと、善行家に挨拶に行った。
若い方の若宮は、躍起である。男として下士官として、音に聞こえた伝説の指揮官である善行にいいところを見せたかったし、個人的には、
どうしても負けられない相手がいた。
前髪を染め、部隊指定の半ズボンを脱いで、スラックスに替える。
「これなら見間違えようもありません」
そう言う若宮に、善行は寝癖がついていますよと言った。
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それにしても、善行はひどい上司であった。
無理を言ってくるならまだしも、そういうことに限って命令ではなく、質問という形で言ってくる。若宮にとってはそちらの方がしんどかった。
軍人唯一の特権である上官を憎むことが出来なかったから。
前日も、善行は質問してきた。場所はグラウンド、夕日を見ながら善行は口を開く。
「3日で足腰を鍛えられますか? 脱落者なしで」
「はい、いいえ。お言葉ですが、戦車兵に体力をつける必要があるのでしょうか。自分は体力を鍛える暇があるのなら操縦訓練をすべきと思いますが」
「いや、それには及ばない」
善行は若宮の告げる正論を一蹴した。
「それよりもまず、僕の兵は戦車が壊れたら、走って僕の所まで戻ってこさせる必要がある。代りの戦車は僕が用意する予定だが、
人はそう簡単にいかない」
赤紙の値段が兵士の値段であると教え込まれた若宮には、それはなかなか新鮮な言葉だった。
戦車より兵士が大事というのか、この人は。
善行は腕を組んだまま返事を待った。
その心にはののみがいた。善行は考える。僕は大人だ。大人というものは、最後の最後のその最後まで、子供の前では嘘をついてもいい。
そういう特権がある。それは例えば、軍隊は正義の味方である。そんな絶望的な嘘でもいい。
動物園に行ったあの日、ののみのお願いを善行は覚えていた。そしておそらくは、一生守り続けるつもりであった。
「不満ですか?」
「はい、いいえ。良い上官を持つことは苦労することだと教えられてきました。今その喜びを実感しております。……では、
きっちりひな鳥を鍛えてご覧にいれます」
「頼みます」
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そして若宮は、はじめて戦車兵に教育をはじめた。
「走れ走れ!」
若宮は大声をはりあげて言った。
「あの人は言ったのだ。生きろと。だったら生きろ。それが部下というものだ」
アゴを出し、肩で息をしながら、滝川が悪態をついた。
「なんだよアイツ、ホモなんじゃねえのか?」
「聞こえてるぞ」
「嘘です!」
若宮は滝川を追い回しはじめた。
「まだ走れるようだな。ほめてやる」
「ありがとうございます!」
「休んでもいいんだぞ」
「遠慮します!」
「よし、良く言った。あと10周だ」
「うげえ」
若宮は舞を見た。
脚をもつらせ、転倒し、立ち上がろうとしていた。
舞はあまり体力がない。総合力で言えば抜きん出ているが、体力だけで言えば標準をかなり下回る。若宮は書類でそのことを知っていたが、無視した。
任務は任務だ。そして戦争というものは、相手の弱点を狙ってくる。
若宮が言ったのは別のことである。
「苦しいのか?」
「いや」
「そうか。苦しくなったら俺をうらめ。そうすれば、少しは楽になる」
舞は若宮を見ると、鼻で笑った。
「誰かを怨んで楽になるくらいなら、私は苦界でもがくだろう」
若宮はにやりと笑った。見所があると思った。こういうヒヨコは、磨くに限る。
「いいだろう、では走れ。あと10周だ」
そして顔をあげた。
「壬生屋、速水、あがっていいぞ……どうした」
速水は舞の後ろで汗だくになって脚をとめていたが、上を向いて、下を向いた後、若宮に言った。
「もう少し、走りたいと思います」
若宮は面食らったが、次にこの人物も隊長に惚れているのだと思った。
「部下は命令を守れ。……とはいえ、自分は隊長の命令で一時的な教育係をやっているだけであり、本来は貴方より自分の方が階級は下です。
まだ、走りますか?」
速水は何度かうなずいた。
若宮は、善行の心を思った。確かにこんな子供たちを死なせたくはないなと考える。
「分かった。走れ。ただし、あと10周だ」
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速水は、返事をするのも苦しいのでうなずくと、黙って舞の後ろを走りはじめた。
体力に関しては舞に負けず劣らず成績の悪い速水だったが、速水はこれでどうなっても死にはしないとたかを括っていた。
ただ苦しいだけだ。そんなものは、危機のうちには入らない。
それよりも、なによりも、この人の後ろをいこう。速水は思っている。
苦しいかもしれないが、身体を休めるよりも幸せで、遠くで想像を膨らませるよりも、ずっといい。
速水が心配だったのは、誇り高い舞が自分の行動で傷つくのではないかということだったが、舞はなにも言わなかった。たぶん、
あの顔は何も考えていない。
芝村はとりあえず物事を悪意には解釈しない。速水はそう考え、自分があさましく、恥ずかしいと思った。
「ごめん」
思わず出た速水の言葉に、舞は前を見ながら言った。
「なんのことだ」
「なんとなく」
舞は難しい顔をした。
「相変わらず難しいことを言う」
「そうだね。……正解はシンプルだ」
「そうだ。走れということだろう」
舞は重々しくそう言った。
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一方その頃。
走る速水達の姿を、整備員詰め所の窓ガラス越しにののみは見ていた。
靴を脱ぎ、ブータの背を踏み台にしている。
「ふわー」
原がその様子を笑いながら森に声をかけた。
「それにしても、あの馬鹿、貴重な戦車兵になにさせてるんだか」
「そうですね。……実戦に出る時に疲労困憊、というような風に、なってなければいいんですけど」
「そうね。指導ミスで殺されたんじゃたまらないわ」
ののみは原の方を見た。意味は半分くらい分からないのだが、あまり良くない話をしているような気がするのだった。
原と視線が合う。原は、冗談めかして目を大きく見開いてみせた。そのまま言葉を続ける。
「まあ、疲れていたらあがりはないかも知れないわね。ラインのことは、ラインにまかせましょう。あの馬鹿、馬鹿だけど、戦い慣れてはいるから」
ののみの足下のブータが、気にするなと鳴いた。歪んだ愛の歌だ。聞くに耐えん。
原は自分の指先を見ながら、口を開いた。
「そう言えば、聞いた? 初期作戦能力証明の交付が出たらしいわ」
「ええ。加藤さんが言ってました。どれくらいで配置につくと思いますか」
「今、その関係でトカゲ顔と連絡しているらしいわ。でも、そうね、1週間はないわ」
森は、クラッペ周りの手を休めて、瞬間速水を思った。汚れを知らないようなあの少年が、戦いの中に落されたら、どうなるのだろうかと。
「そう、ですか……」
「声かけておくなら今のうちね。どうせすぐ死ぬだろうから、あとくされなくていいかもよ」
「何言ってるんですか!」
「めー!」
森とののみが同時に声をあげた。ブータは半眼である。
少々驚く原。
「あら。……冗談に決ってるでしょ?」
「冗談にもほどがあります!」
「めー! ……めー!!」
ののみは泣きながら言った。左右を見て自分を指差す原。
「なんか、私悪役みたいね?」
「なまらにそうです」
「あの、森さん、共通語共通語」
「そういう問題じゃありません。いいですか、今後はそんな、縁起の悪いことを言うのはやめてください!」
原は指差されてむっとした、そもそもただでさえ、子供の泣き声は勘にさわる。
「あのね、私が言わなくたって、貴方が耳をふさいだって、起きちゃうものは起きちゃうの。Mの装甲の厚さが焼き肉プレートの鉄板と大差ないくらい、
貴方でも知ってるでしょ?」
ののみは立ちすくんだまま大泣きした。ある日、みんながいなくなることを、想像したのだった。原をにらんで、ののみを心配そうに見ると、
森は歯噛みしてののみを外に連れ出した。ののみはさらにブータの尻尾をつかまえて外に出る。
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一人きりになった原は、憮然として一斗缶を蹴り倒した。足が痛かったのか、足を振りながら椅子に座る。
頬を膨らませて腕を組む。
しばらく考えた後、不意に思い立った。昔、自分にも同じようなことがあった。
「そうか、あの子達、慣れてないか……」
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