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 髭を揺らし、ブータはひしめく神々に言った。

「善き神々よ、子らの夜をまもるものは誰か」
「それは、我ら」

 青い瞳のブータの胸の下にゆれる光の勾玉が、燦然と青く青く輝きだした。
「そう、我ら。……絶望のまなかで我らは、一番大切なものを取り戻したな。……今からでも遅くない」
 善き神々は、それぞれが顔をあげて青い瞳を輝かせた。明日ここで死ぬかもしれないが、何よりも大切な誇りは守られた。 神々は、シオネを愛したことを思い出していた。それは誇り。あの女を愛したことが、神々の誇りであった。

 ブータは鳴いた。猛獣のごとく。

「人族にも盟約を覚えていた者がいた。その一事をもって我らは再び戦おう」
「志は引き継がれた。優しさは地に残った」
「愛もまたここに」

 神々は我が胸を叩いた。神々のごとく。
ブータは誇り高く言った。

「よかろう、では滅びよう」

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 そして善き神々はあるべきところに帰った。
すなわちそこは神話である。猫は、竜と戦うだろう。

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 それから20分後。

 滝川は、今までと違うまぶしさに目を醒ました。

 太陽だった。日はまた帰ってきたのだった。いつもの通り。
 目を細める。心配そうな速水と舞が、顔を覗き込んでいた。

「どうしたの、こんな時間に?」
 速水は、優しく言った。

 滝川は夜の残滓で、速水を見た。絶望の中で舞う光を大切そうに胸に抱いた、悪しきもの。
「速水、意地を見つけたら、意地を通せ。善いとは、ただそれだけだ」

 舞は思ったことを口にした。
「遺言のようだな」
「遺言って、なに?」
「死にあたって残す言葉だ」

 速水は舞を見た。昔の速水なら、死んだら終りなのに何か残すの? と、尋ねたろう。
 だが今の速水は、僕は舞に何かを残せるだろうかと考え、次に血相を変えて滝川を揺さぶった。
「滝川、滝川!」
「痛い痛い、何すんだよ!」
「速水、滝川は健康だ」
「え?」
 手を離されて滝川は頭を校庭にぶつけた。涙が出るほど痛かった。

 舞は滝川の脈を取るのをやめ、速水を見た。
「ようだな、と、だ、は違うぞ。遺言だ、ではない。遺言のようだな、だ」
「そ、そうか、良かったね、滝川」
「良くねえよ! あー、痛かった」

 滝川は起き上がった。もう猫も鳥も、兎も、いなかった。

 それは最初からなかったのだ。目を閉じて、また開けば、元どおり。
滝川はそれを理解すると、一筋涙を流した。


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「寝るなら、ちゃんと家で寝たほうがいいよ」
 速水はそう言うと、舞を目で追った。全ての興味をなくしたように、舞は整備テントに向かおうとしていた。

 倒れている滝川を見つけて、誰よりも早く助け起したのは舞だった。脈を計り、瞳孔の動きを確認したのも舞。そして、誰よりも早く去るのも舞だった。

 今の速水は知っている。もう大丈夫な人間に、舞は興味を示さない。次に助けなければならぬ者が、多すぎるのだった。一つが大丈夫になったら、 また次へ。そうして、これから先もいくつものいくつもの世界の危機を歩いていくのだろう。
 速水が知る、ただ一人からなる世界の守りは、倣岸不遜な少女の瞳の中にあった。それが歩くその限り、世界はまだ、終っていない。 世界が捨てたものだとは、絶対に言わせない。

 僕にそう思わせる、あの人はいつも一人だ。誰の助けも、許しも必要としていない。それを不幸にも思っていない。
速水はそれが寂しかった。自分がどう思われているか考えると、悲しくなった。


 前を歩く舞は、足をとめた。
振り向く。

 速水の目の前、3mの所に少女がいた。輪ゴムで髪を結わえ、世界を征服するような稀有壮大な茶色の瞳が印象的な、線の細い少女だった。 それは言うのだ。黄金の朝日の下で。

 舞は言った。
「何をしている、整備をするぞ。ついて来い」

 そして速水の表情の変化を見た後、難しい表情をした。この人物は不思議なことがあると、戸惑わないで難しい顔をする。
「私は何か珍しいことを言ったか?」
「え、え。いや、そんなことはないよ」
「私もそう思う。……朝は短い。急げ」

「うん」
 速水は表情に困って、とりあえずうなずいた。うなずくことだけは、間違いなかった。
自分の気持ちと表情はどうすればいいか分からないが、ついて来いと言われれば、どこまでも行くだろう。それがなぜか分からないが、 そうしなければならない確信はあった。それが間違っているかどうかは分からなかったけれど。


 正義最後の砦。

 舞は不敵に笑うと、堂々とその看板が掲げられた整備テントの中に入った。
速水はその第一の直参として続いた。

 それは砦の女主人とその従者の帰還であった。
小悪党が正義最後の砦に入るとは恥ずかしいと、舞に従う速水は思う。
 恥ずかしくないように生きよう、と思う。舞が生きるその限り、正義最後の砦の看板は誇らしく飾られるだろう。ならば、 毎日恥ずかしい思いをしたくないではないか。
せめて小善人になろう。速水はそう思った。

 砦の中には鳥が多く、それらが舞と速水を待っていた。

「最近、鳥が多くなったね」
「鳥の巣になるには格好の条件なのだろう」
「そうか」

 速水は、明かり取りの窓から差す光の帯が飛ぶ鳥達を照らすのを、美しいと思った。
光の中へ歩きだす舞の後ろ姿は、誰よりも偉そうに見える。

 そして士魂号に触れた。今日もまた整備をするのだ。いつものとおり。
 そう思うと舞は、不意に父を思い出した。高いところに昇るのが情操教育にいいと、娘を連れて電柱の上で腕を組む父が機嫌良く歌っている。 幼い舞はというと、高いのが恐くてしがみついては泣いていたのだった。

 思えば遠くに来たものだ。昔、私は燕が飛ぶ姿をみて、反撃の時だと信じていた。

 舞は不意に笑うと、整備タラップを昇りながら歌を歌った。
速水には、舞にあわせて鳥達が唱和したように見えた。
「それは最弱にして最強の、ただ一つからなる世界の守り。それは万古の盟約にして、人が決めたるただ一つの自然法則。それは勇気の妻にして、 嵐を総べる一人の娘」

「それは黄金に輝く草原を、青く輝く銀河の下を、永劫に旅する伝説のもの。全てをなくしたその時に、それはその者の胸に燦然と輝きだすのだ」

「それって、何?」
 まぶしそうに舞を見上げ、速水は聞いた。
逆光に照らされた舞は、腰に手をあてて歌うように言った。
「それに名前をつければ、話が終る」
「だから、なに?」

 舞はしばらく黙った後、口を開いた。

「知らん。だが、それはある」
 舞は堂々と言った。そう言い抜けるその様は、まこと格好良い。
 速水は頬を赤らめると、また惚れ直したと思った。

「そうか。じゃあ、それを探さないとね」
「そうだな」

 舞はここまで正確に父の真似をして自分を笑った後、新しく自分のエピソードを付け加えることにした。

「私とそなたなら確率は倍だ。二人だからな」