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 自習と言っても、外で遊べるほど自由という訳でもない。
 とはいえ、勉強するほど熱心でもない部隊は、必然的に集まって雑談に華を咲かせることになる。
 距離をとろうとする整備士の中で、森だけがやけに熱心に会話に入ろうとしているのが意外であった。

 話の最中の一コマ。
「何の色が好きか、か?」
 舞は、その途方もなく平凡な質問に少し考えた。笑ってみせる。
「皆好きだな。秋には秋の、春には春の、似合う色がある。だがそれでも一つだけ選べと言われれば、やはり私は青を選ぶだろう」
「芝村の色ですね」
 壬生屋が言う。芝村家の紋章は五木瓜だが、これを飾るのは青地である。芝村縁の部隊は、だから青地や青筋を使ったイグニシアを多く使う。

 舞はかぶりをふった。
「いや、元はそうではない。青になったのは、一匹の婿を入れてからだ」

 舞は、どこか遠くを見た。頭の中から心の中に、話を蘇らせる。

「我が一族は昔、カラスを婿にしたことがある。自らを青と名乗る黒いカラスだ」
 瀬戸口が面白くなさそうに口を開いた。
「かわいそうな話だ。カラスの嫁にされるなんてな。芝村らしい悪趣味だ、俺はその人に同情するね」
「可哀相かどうか、そなたは本人に聞いたのか?」

 舞は真顔で言った。

「人やカラスの幸せなど、本人以外にはわかるまい。それともう一つ、我らの先祖も芝村だ。芝村は寛容だが、気に食わない相手を生かすほど 鷹揚でもない。カラスをくびり殺したという記録がないことは、最低でも悪くはなかったということだ」
 周囲が静かになった。

 舞はない胸を張った。堂々と。
「私は、我が一族は信じる、我が伝承を。カラスを婿にせし媛、冥王の妻となりて夜に君臨する。めでたしめでたし」

 処置無しという風に瀬戸口は上を見上げた。
「不条理ギャグのような話だ。めちゃくちゃだ。どこがめでたしめでたしだ」

 舞は凛々しく口を開いた。
「冥王が悪いと誰が決めた。死神に良心がないと、なぜ言いきる。漢字二文字で物の全部を分かったことが言えるのか」

 そして堂々と言った。
「明日の世界を守るのは、魔王と呼ばれる者かも知れぬぞ」

 爆笑。速水と舞とののみ以外の全員が笑った。岩田は、微笑と言っていい笑いだった。

 やりとりの一部始終を、ブータは隅の方で耳を立てて聞いていたが、ここで口を開いた。義を見て立たざるは猫なきなり。
「英雄は、英雄だから英雄なのだ。それでいい。他に必要なことは、なにもない。英雄は、英雄以外のなにかから、あがきながら生まれて来る。 それがルール。英雄は猫からも人からも生まれる。男からも女からも、魔王からも盗賊からも。世界が求めれば、それは誰からでもどこからでも、 絶望と悲しみの海より一代限りの存在として生まれ出る。……その通りだ。人族の者よ。その通りだ。拳聖ジョニーは不良だった。 魔王シャスタは詐欺師だった。道真公は法螺吹きだった。だが、知る通り、運命を決める宝剣は彼らを選んだ」

 ののみは瞳を見開くと、そのまま口を開いた。
「うんとね。まいちゃんのいうとおりなのよ。ひーろーはひーろーだからひーろーなの。ひーろーはひーろーでないものからひーろーになるのよ。 だってひーろーだから。ひーろーはどこからでもうまれてくるのよ。かなしいのはめーだから」

 ブータはうなずいた。
 ののみは喋り終えた。瞳をとじる。

「そうか、じゃあののみが正しいな」
 瀬戸口は素早く宗旨を変えた。岩田が立ち上がった。
「フフフ、裏切りですネ!? それはイィ! 僕は仲間を歓迎します!」
「殿方はみんな不潔です」
「見えねえなあ。なんでそーなるんだよ」

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 瀬戸口は一人で教室を出た。顔は、まったく面白くない表情。
自分でも訳の分からない怒り。

「くそ、なーにがカラスの婿だ。押し掛けたのは小梅の方だろうが」
 瀬戸口は一人悪態をついた。

「そもそも、婿になったのは鬼だ。ミッチーじゃない。ふざけるな。ああ、もう、なんでこんなに腹が立つんだ」

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 休み時間。
皆がばらばらに席を立つ。
 その時、たまたま残ったのは、速水と森だった。否、森は速水と話すチャンスを狙っていた。森を見る速水。速水も、さすがにトイレに行く舞には ついていけない。少し残念そう。森の視線に気付いて、速水は笑ってみせた。
「どうしたの?」
 森はオレンジのバンダナを胸元に抱いて、くしゃくしゃにしながら言った。
「これはその、さっき話が途切れてしまって、だからその、どうでもいいことなんですけど、速水君は、どんな色が好きなんですか?」
「僕? 僕は、そうだな」
 速水はしばらく考えた後、口を開いた。

「僕は、青が好き。決して手には届かないだろうけど、だからかもしれない。青が好きだ。笑う時も、悲しむ時も、多分死ぬ時も、 青のことを考えている」

 森の怪訝そうな表情を完全に無視して、速水は自分の心を優しく見つめた。
 あの人は口だけの女ではない。漢字二文字で何が分かると言うのなら、あの人は、速水という偽りの漢字二文字だけで、僕を判断したりはしないだろう。 いや、ずっとそうだった。それが何よりも僕は嬉しかったのだ。

 速水は歌うように言った。

「今まではずっと、青色なんて嫌いだった。上から塗りつぶしたいほどに。でも、でも今は、嫌いじゃない」
 貴方が好きだと言うのなら、僕も好きだ。
 その者、青の厚志と称すると後の時代に簡潔にそう書かれるその少年は、だれよりも澄んだ瞳でそう言った。絶望も悲しみも遠いどこかに置き忘れ、 ただ現実を認めているが、だが現実を納得していない瞳。だが優しい瞳。寂しそうな瞳。

 その少年は、意味が分かっていなさそうな森に微笑んだ。
どこか照れるように、されど後悔していない笑顔。

 この少年は美しいと、鈍感な森は今頃思ってしまった。
かわいいとは思ったことはあるが、それ以上観察していなかった。
森の心臓が高鳴る。呼吸がとまる。

 速水は笑顔を森に向けた。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、いや、なったらむずかし、あの、……」
 森は共通語共通語と思って両手をばたばたさせた後、顔を引き締めた。そっぽを向く。

「なんでもありません。失礼します」

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 世の姫君が百万あれど、恥を知るものただ一人……

 岩田は上機嫌に歌いながら、まだぶつぶつ言う原の前に立った。
顔をあげる原。目の前にはコーラの缶が見える。

「なによこれ」
「フフフ、これは毒です。歯が1日で溶けるという。ということでさしあげます」
「ありがと。貰っておくわ」

 岩田は電波を受信したように顔をあげた。天を見る。
「それがいいでしょう。神族は覚悟を決めました。明日たとえ滅びようと、誇りは守られるでしょう」

 ため息をつく原。あの馬鹿、今頃きっとどこかの女といるわ。
「あなたがうらやましいわ。自由だから」
「人は、誰でも自由ではないノンノンノン」
「あら、珍しく会話になってるわね。ひょっとしてなぐさめてくれているの?」
「いえ。慰められることを貴方は嫌いです」

 原は笑った。
「そうね。たぶんそうだわ。少なくとも後輩や友達にはそう言ってきた」
「イエスイエスイエス」

「それで、岩田君はもし自由になれたら、どうするの?」
「フフフ、私は自由を得たら、そうですね。人を笑わせます」
「いつもと変らないじゃない」
 岩田は美食家のように、口の前で長い人指し指をひらひらさせた。

「フフフ、大きく違います。笑顔には色々な種類があり、笑いの質には色々ある。それに、人間は悲しい時だって笑う」
「……そう言われればそうね」
「ソウデス!」
 岩田はそれがなによりも重要なことのように、力説した。

「私は、世界中の人々の真の笑いを見たいのです」
「なるほど。でも力技に頼っているようじゃまだまだね」
 岩田は口の中から小さな万国旗を出した。
笑う原。

「力でねじまげてやりますよ。勢いと火力がギャグの神髄です」
「ちょっと、旗をだしたまま喋らないでよ……まったく、どうしたの? 珍しいじゃない。貴方の方から話しかけてくるなんて」

「フフフ、良い事があれば、人は饒舌になるのです。あるいは悲しいときも」
「良い事があったの?」

 岩田は、採用のお知らせを開きながら口を開いた。
「それは、もう」

 岩田は原を見下ろしながら口を開いた。

「私は岩田です」
「知ってるわよ」
「漢字二文字で物の全部を分かったと、なぜ言えるのです。同じ言葉でも、そこには違いがあるかもしれません。明日の世界を守るのは 魔人と呼ばれる者かもしれません」

 岩田は言った。

「思うのですよ。思うのです。ならば僕は、この悪党の子は、未来を守ることができるのではないかと」

 ため息をつく原。
「いまいちね。もう少しがんばらないと、私の真の笑いだって見れはしないわよ。……修行しなさい」
「ヘヘー」
 岩田は平伏して腰を左右に振った。原は、少し笑った。

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<第17回(前編) 了>