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「俺は青い薔薇の味方だ」
「私もです」

 そのやり取りを聞いて凍るのをやめた加藤の胸に去来したのは、自分に贈られた青い薔薇の事だった。

 青い薔薇の味方 =加藤祭の味方 =うちが好き?

 加藤は胸に手を当ててドキドキしながら、横目で岩田を見た。
岩田は踊っている。

(いや、タコはタコでも、うちが見たタコはもっとええかっこやったわ)
 いや、同じタコである。さっき変身シーンまで見ておきながら、加藤の乙女回路は記憶を一生懸命改ざんしようとしていた。軟体動物ならまだしも、 変態動物にときめいたら、人として駄目駄目である。

 岩田は長い舌を出しながらくるくる廻った。加藤は岩田を見ないようにしながら、違う違うと思った。

 岩田はめざとい。
「フフフ、今理想と現実を一緒にしようとしましたね?」
「な、何言うてん、自分のさぶいギャグに凍ってただけや!」
「ソウデスカ、あそれ、ソウデスカ」

 顔を真っ赤にする加藤。違う、コイツは違う。
「そんなつまらんギャグは罰金や。金払ってや」
「普通、芸を見た方がお金を払うんじゃナイですか」
「大阪ルールや。これ、請求書」

****請求書****
基本料金   300円
特急料金     0円
サービス料金 200円
税金(Tax) 75円

合計     575円
***********

 岩田は真面目な顔で一瞥して考えた後、大きなガマグチを開いて575円取り出した。加藤の手に置く。

 目を点にする加藤。

「請求書まで用意してるとは中々デスね? いいでしょう! そのネタは今度使わせてもらいます。フンフンフン」

「あ、いやその、実際に払わんでも」
 岩田はもう加藤の言うことなど聞いていない。
そのまま、鼻歌を歌いつつ、力いっぱいスキップしながら去っていった。

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 加藤は手の中にある575円を見て、後味の悪い思いをしていた。

 お金が欲しいと思うことは、無意識にも浅ましくなることなのだろうかと自己嫌悪する。

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 一方そのころ。
 壬生屋と瀬戸口は、ブータを抱くののみを挟んで対決していた。

 瀬戸口は髪をかきあげながらうんざり顔である。壬生屋を指差す。
「あのな、おまえさん。この場合優先させるのは隊内で起きそうな殺人事件の阻止じゃないのか」
「だからといって、隊内で起きる破廉恥を私は許しません」
 瀬戸口の指を握って逸らそうとする壬生屋。この光景を見上げるののみとブータ。

 顔をしかめる瀬戸口。
「どこが破廉恥だ。いつ俺が速水に破廉恥なことをした」
「何を訳の分からないことを言っているんです! 速水君は殿方でしょう!」

 瀬戸口と壬生屋は同時に埒のあかなさにくらくら来た。続いて同時に天を見上げる。気を取り直して対峙する。

「とにかく」
 二人同時に声を上げ、無言のやり取りの後、瀬戸口が先に口を開いた。
「恋愛は俺の自由だ」

 下を見ながら口を開く壬生屋。
「恋愛に名を借りた不埒な行為は認めません」
「何の権利があってそんなこと言うんだ」
「悪い人は、みんなそう言って自分の行為をごまかすのです」
「あのな、だから、いつ、どこで、俺が、破廉恥なことをした」
「先程、あなたは東原さんを、か、肩車などして走っていたではありませんか」

 まさか自分が関係するとはののみはブータの顔を見た。
「うんとね、えっとね、しつもんです。かたぐるまははれんちさんですか?」
 ブータは、難しい問題だ、哲学問題だと答えた。

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 一方その頃。
 善行は原から逃げおおせていた。小隊長室に隠れていたのである。

 傍らには純白の長毛猫。スキピオ。
善行は、行儀よく座る猫に目をやり、軽くため息をついた。

「僕は、部下に遺言を書かせようと思ってたんですよ。この調子じゃ、どうやら明日になりそうですがね」

 スキピオは鈴を鳴らした。高慢そう。高慢そうでない猫も少ないが。
善行は無視して言葉を続ける。
「それと、まったく、なんてことするんです。貴方でも礼儀くらい分かるでしょう」
 朝、加藤と話していた時の行為について、善行は純白猫に注意した。

「建前と糞は驚くほど良く似ている」
 純白猫スキピオは、そう返答した。

「それは美しくも、良くもない。臭いし、吐き気がする。砂をかけられて当然だ。お前達の糞のような建前には飽き飽きだ。気に食わない。 気に食わないなら食い殺そうが糞しようが、それは猫の勝手だろう」

 眼鏡を取り、眼鏡を拭く善行。
「猫のルールを人間に適用しないでください」
「そのまま返そう。なおのこと私が糞をひねって文句を言われる筋ではない」

 善行は、どこかで教育を間違えたのかと思った。昔は白い毛玉みたいで、かわいかったのに。
 スキピオはバカを諭すように口を開いた。

「"それ"を信じるなら戦えばいい。口で言えばそれが実在するのか。馬鹿が。食い殺されろ、忠孝。戦えばそれは事象になる。 そこにそれがあるという、証拠になる。戦いもせずにそれを証明することは誰にもできない。今のお前は糞と大差ない」

 スキピオの姿が、神々のように光輝いた。
言葉を紡げばリューンがささやく。そうだ、そうだ。

「猫はそうかもしれない。でも僕は人間だ」
「物理法則に種族差はない。実在と虚構を交ぜるなと言っている。目を開け。その性能の悪い目は、夜は見えないかもしれないが、 だからと言ってあきらめるな。気に食わないものがあるなら戦って死ね。世界にその足跡を残せ」

「足跡を残して、どうなるんです。死んでいるのに」
「死ぬのは自分だけだ。お前が一人じゃないのなら、意味はある」
「"それ"が、いつか誰かの手元に戻ると?」

「そうだ。それがまだ世にある証拠はある。それは少年の戦いにあった。そこで彼が尊厳をかけて戦う以上は、それはあるのだ」

 猫は誇り高く言った。

「間接的証拠だろうとな、証拠は証拠だ。あとはその積み重ねだ。あとは足で稼げ。お前には二本しか足がないが、替りに猫よりは気長だろう。 倍歩け。それだけだ」

 ためいきをつく善行。
「なにか、あったんですか。寡黙な貴方がこうも話すのは珍しい。だいたい、私が貴方の力を忘れるころに、しゃべるのが普通なのに」

 スキピオは諧謔に溢れた笑顔を見せた。

「俺の戦いで、遺言だよ。運命を定める宝剣も照覧あれ。猫は"それ"の新たな証拠となるだろう。シオネの思いは地に残った。 俺はそれを信じた。よかろう、では新たな証拠を我が血で残すのみだ。猫に建前はない。だが誇りはある。愛もまた、ここに。我が胸の中に。 他にいるのか、この俺に。小判はいらないぞ。俺はもう輝いている。この上なにを欲しがる」

「メザシとキャットフード」
「茶化すな」

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 同時刻。

「ひゃ、ひゃめてよ、ひゃだ」(や、やめてよ、やだ)
「芝村の恐ろしさを身に染みて知るがいい」
 速水は舞に捕まって、口元を左右に引っ張られていた。

 速水としては、至近で舞の胸元のリボンが揺れていたり、ほんのり石鹸の匂いがしたりする方がよほど恐ろしかった。夢に見てしまう。 夢の中で舞を見たら、休めなくなる。

 横を中村と若宮と原が通って行く。

 中村が声をかける。
「おい、お楽しみのとこ悪かばってん、そろそろ教室戻るばい」

 舞は手を離してそっぽを向いた。
「私は好き好んでこのようなことをする女ではない」
「いや、楽しんどったのは速水のほう。まあ、そらよかばってん、隊長は見らんかったね」
「いや、知らぬ。どこかに隠れたと思うが」

 原は己の掌を拳で叩いた。
「逃げたのよ。あいつ、いつもいつも逃げてばっかりなんだから」
 若宮は原に敬礼した。
「隊長のユーモアです。許していただければ幸いです」
「何年あいつにつきあってるのよ。あいつがユーモアと生まれた瞬間から生き別れた事くらい、知ってるでしょ?」
「は?」
「仕事上の女房で、館山からの付き合いで、なのにそんなことも分からないの?」
 原は若宮の見分けがつかない。そもそも二人いることも知らない。ただ、こんな奴に自分が負けているかと思うと、悔しかった。
 若宮は背筋をのばした。
「女房というのは光栄であります!」
「馬鹿!」
 原は涙顔で若宮のすねを蹴った。装甲に覆われているので、原が痛いだけである。そして、走りさった。残される若宮、中村、舞、頬をさする速水。

 中村は腕を組んだ。首をかしげる。
「はー。女は分からんねえ」
「私は女だが、全部の女がああいう不可解な行動をする訳ではないぞ」
「そうね、そりゃ悪かったね。おい、若宮」

 若宮は、呆然と原が走り去った方向を見ていた。
「可憐だ……」
「は?」

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 昼休みを挟んで、午後。

 今も逃亡を続ける善行を除いて集合したクラスメイトは、それぞれの席で教壇に立った坂上を見ていた。
 生徒と教師の信頼関係と言うべきか、ある種の気安さがある。

 坂上は口を開いた。
「四限目は自習になりました。2時過ぎに検査から芳野先生が戻ってくるので、五限目からは国語、英語になります」
「はい、先生」
「どうぞ、滝川君」
「もう走ったりしなくてもいいんですか」
「そうですね。今日明日は休んだ方がいいという小隊長の判断です」

 その言葉を聞いて、瀬戸口が手を組む。
「つまり、いよいよ実戦ってわけだ」
「そうです」
 坂上は感情を込めずにそう答えた。感情をこめて不安に思われてはいけない。とはいえ、急に明日から戦場です、では不親切に過ぎる。 二日前に告知というのは、坂上としては熟考の末の行動だった。

「できることは皆やりました。十分とは言えませんが、やれることはやっています。後は待つだけです。恐らく、明日は終日休みになるでしょう。 では、私は席を外します」
 思ったより、部隊は平静だと坂上は思った。私語もない。
まあ、よほどの間抜けでない限り、善行が集合撮影するという時点で感づいてもよさそうだから、実際多くの者が予想していたのだろうと考える。

 それにしても。
 階段を降りる時、やった自習だとはしゃぐ滝川達の声を聞きながら、坂上は思う。初めてクラスに皆が集合した時、あの時は全員が間抜けだと思った。 今はそうではない。

 成長した。皆、成長した。後は一人でも多く、家に帰ることを願うだけだ。