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 なんだか得体のしれない男たち――手にそれぞれ武器のようなものすら持っている――を前に、萌は早足で駆け抜けようとしたが、 阻まれて肩をつかまれた。気持ち悪い汗ばんだ手。

 手が震える。怖い。怖い。

「……呪……う……わ」
 必死にそこまで言った萌は、髪を掴まれて一度頬を殴られた。殴った本人である浅野は、ひどく歪んだ笑顔を見せた。

「はぁい。呪って呪ってーえへへへ。おい、あの糞女が来るまで適当に廻すぞ」
「憲兵が先に来るんじゃないか?」
「そん時はそん時だ。どうせ悪くても、最前線送りだ。つまりこれより悪いところはないってこった」

 萌は声も立てられず、そのまま引き立てられた。
もう駄目だ。もう駄目だ。

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「隠れろ」
「え?」

 来須は顔を出そうとする速水を路地裏に押し込めると、二十人ばかりの徒党を見た。
徒党を組んでいるということは悪党だな、と考える来須。

 不思議と悪い奴らは徒党を組み、善き者は単独行動をしたがる。
というのが来須の経験則である。この場合は間違いなさそうだった。

 速水に見られると厄介だなと来須は思うが、速水は押し込まれた瞬間に顔を出して、黒い服の少女が髪を掴まれて殴られるところを見てしまった。
 速水の顔がこわばる。来須は発作的に速水の手をつかむ。

「まて、数が多すぎる。……おい」

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 来須が考えるよりも、速水はこういう光景を見慣れていたし、捕まった女も不運なことだという認識しかなかった。

 そういうつもりだった。今までならそれだけ考えて終わりだった。

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「私はそなたならば、私と似たようなことを思うのではないかと思ったのだ」

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 速水は来須に腕を取られていることすら忘れて、心の奥底で不意に湧き上がった声を聞くと、顔をあげた。来須の手を猛然と払う。
 それはただの卑小な奴隷あがりであったが、その心にはただ一人からなる世界の守りがいた。これ以上もないほどにいたのだった。

 ない胸を張り、堂々と。それは言うのだ。

「そこまでだ」

 速水の心の中の舞にあわせて、速水は言った。それがその胸の中に居る限り、速水は幾億もの心の夜を抜けてなお、 胸に下げた青い宝石を輝かせることができた。

 来須が驚いて帽子の下の目を見開くと同時に、速水は一歩踏み出した。
一歩踏み出せば、地上を震撼させる音が聞こえる。
 速水の肩に高慢で鼻持ちならない上に無謀だが、それだけでは終らない正義という名の観念が腰掛け、その重みで大地が震えたのだった。

 控えめにも大きいとは言わないその身体。女と見まごう優しい風貌。

 だがそれは言うのだ。その心に住まうただ一つの憧れに、我が意地を貫くそのために。

「そこまでだ。手を放せ。その娘は困っている」

 体格と数を無視して速水は言った。

 それまで全てを盗んできた速水は、これは盗みではないと思った。
これは盗んだのではない。これはそう、代理なのだ。僕は、正義最後の砦の女主人代理。

 そして殴り掛かった。数の不利を少しでも補うための先制攻撃であった。

 大乱闘が始まる。

 来須は、初めて微笑かどうか分からない笑みを浮かべると、そのまま隣の一人を殴り倒し、速水の助けに入った。

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 速水はただ一人からなる援軍にして守りの守りが登場するにおよび、最初面食らい、次に驚いた。

「なぜ」

 来須は、何も言わない。もともと弁が立つ方でも、深く考える男でもない。
ただ速水の味方をするのが自分らしいと、思ったのだった。

 速水は、来須の沈黙が分からない。だが、心の中でののみが答えを言った。速水は笑顔を見せた。
「でも、ありがとう」
 来須は、微笑未満の笑顔を見せると、また敵に殴り掛かった。

 それが速水と来須の、百戦を越える秘めたる戦いの、その最初になった。

 速さと手技を主体とする速水に対し、来須は同じ速さでも大技を繰り出す方だった。
 戦い初めて1分15秒、即席ながら戦術が完成する。速水と来須は、会話を使わず、思想も語らず、ただ交わす視線と互いを味方と認識するそれだけで、 これをやってのけた。

 速水が追い込み、来須が一撃で倒す。
速水が疲れると、来須が大振りし、速水が急所を蹴りあげた。

 パターンの変更に速水は迅速に反応し、学習能力の高さを来須に見せつけた。帽子の下で来須は軽く目を見張る。瞬く間に殴り方が様になっていく。

 その歩き方も視線の配り方も間合いの取り方も、誰かに似ている。
 来須はそう思った。だが一番似ているのは勇気だ。その勇気は、来須が唯一心に抱く女性に似ていた。

 ガンプオード ガンプシオネ・シオネオーマ サイ・カダヤ オーヴァス

 来須は心の中で歌った。速水は必死に戦っている。
俺もそうすべきだろう。それがこの尊敬すべき男に対する、正当な態度だと思った。

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 良く使いに走らせる小僧達に情報を聞いて田代が駆けつけると、そこではすでに乱闘が始まっていた。

 誰だ? と、田代は思う。戦時中に人間同士で喧嘩するなんてどんな奴だと、自分のことを棚にあげて思った。

 乱闘の中央に立つのは少年だった。優しい顔。だが、優しいだけでは終わらない顔。
拳が輝くわけでもなんでもない。ただの人間。

 だが、その少年は、田代が好きだった伝説のウサギに似ていた。ストライダーとして世界を渡る伝説のウサギ。

 その兎似の少年は、黒い服の少女を守って戦っていた。

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 来須は乱闘のさなかで水色の瞳を向けると、速水が青い青い瞳をしていることにいまさら気づいた。正真正銘の青い色。

 そして来須は、己の運命を納得した。なるほど。俺が死ぬのは決まっているらしい。
そして声をあげた。

「たずねるのは俺の方だ。なぜ戦う」
 誰も恨むことのないこの男は、遠くない未来に自分を殺す事になるこの男の正体が知りたいと思ったのだった。速水は淡々と口を開いた。
「僕は昨日、世界が美しいことを知った」
 何も言わない来須。
 速水は悪漢に一度殴られながら殴り返して言葉を続けた。
「だったら僕が死んでも仕方がないじゃないか」
「守るためにか」
「想い続けるためだ」

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 遠目に映る速水は、ひどく小さく、だが誇らしく見えた。
 誇りとは、現実を超えて、我が道を行こうとする時に生まれる。田代は思った。俺は誇りが生まれる時を見たぞ。

 そして田代は、速水に惚れた。
勇気に惚れたのだった。
 損得をはるかに超えたその先で拳を振るう姿は、田代の乙女心にど真ん中ストライクであった。
恋をするのならば、誇り高い人がいい。傲慢を超えたその先で、誇りに殉じる人がいい。

 あははっ。

 発作的に笑い、田代は顔を赤くすると、己の左右の拳を打ち付けた。
拳から青い光があがる。

「いよいよアタシの命を預けるときが来たね。最高だよ、最高だっ」

 そして叫んで車道に出ると、ガードレールを飛び越えて、輝く鉄拳を一人の悪漢の顔に叩き込んだ。

「俺は田代! どこのだれかは知らないが、味方する!」

 一瞬動きが止まる敵味方。田代は息を吸って、もう一度立場を明確にした。

「俺は頭の悪い方の味方だ!」
 速水は、舞は違うぞと思い、次に反応に窮したが、今度は心の中の滝川が答えを教えた。
奴はこんなとき、どうしたか。そう。

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 速水が照れくさそうに笑うと、田代は我が意を得たと拳を輝かせ、敵陣に突っ込んだ。
「いくぞ! ゴラァ!」

 瞬く間に三人を吹き飛ばし、田代は女と思えない野太い声で吼えた。

 来須はすかさず相手の動揺につけ込んで拳を振るった。そうして、田代の拳で開いた陣形の穴を広げはじめる。速水が追随したが、 来須はそれを押しとどめた。

「速水、お前は女を守れ、攻撃は俺達がする」
「でも」
「勇気は偉大なり。勇気こそは諸王の王なりだ。王は本陣にいろ。それが役目という物だ。残りは神の拳と傭兵がやる」
「なんのこと?」
「あの拳を芝村ではそう呼んでいる」

 視線を移せば、恋心を暴力で表現する女、田代はいつもの三割増しのペースで相手を叩きのめしていた。拳が残像を残して青く輝く。 速水の視線を感じ、田代は今日の俺はマジ格好いいところを見せるぜと心に誓った。

 拳が輝く不思議より、速水は芝村という言葉に激しく反応した。来須の顔を見上げる。
「芝村を知ってるの?」
「知らん奴もいないだろう」
「好きなの?」
「俺は組織を愛さない。お前は何を言っている」
 浮世離れした少年王だと、来須は思った。いや、王子かもしれないが。
「そうか、芝村って一族だったんだよね」
 あからさまに安堵した表情の速水。表情の意味を来須は分からない。

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 黒猫で二股尻尾のハンニバルは、塀の上から人々の愚かな争いをダークグリーンの瞳で睥睨していたが、ただ速水の表情を見て、表情を和らげた。

 愚かな母猫が間違えるのも分かる。シオネに似ている。少なくとも、その必死さは。嘘つきなのも、頭が悪いのも同じだ。絶望的な状況で絶望的な 嘘をつきながら涙をためてあがき続けるところも。

 見えない防壁が一度、速水を助けた。

 ハンニバルは髭を揺らしてニヤリと笑うと、尻尾を立てて誇り高く歩きだした。

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 そして黒猫は歩みをとめると、萌を見上げた。
伸ばされた手の中に入った。手をのぼり、肩に座る。
「……ハン……二バル……」
 黒猫は伏せた目を開いて口を開いた。その目に星の輝きが戻っていた。青い青い輝きの星が。
「"それは"が来たぞ。魔術の娘よ。正義最後の砦から、我ら光の軍勢が来た。我らこそはあしきゆめと未来永劫に戦う、絶望の天敵。 顔を上げろ。そなたの使う魔術はなった」

 萌は、耳を疑った。

 次の瞬間、善行が純白猫のスキピオを背に掴まらせ、颯爽と言うには程遠く、息を切らせて登場した。

 間髪入れず、眼鏡を投げ捨て、歯を食いしばって一人を殴り飛ばした。
拳に相手の折れた歯が突き刺さる。速水と来須と田代の戦いは今、速水と来須と田代、善行の戦いとなった。

「委員長!」
 速水の声に、善行はばつが悪そうに笑った。
「速水君。あなたは思ったより不良ですね」

 速水は善行の表情を見て、舞は違うと思ったが、別のことを言った。
「そうかもしれません」
 善行は笑ってその肩をたたいた。
「でも気に入りました。残敵を掃討して撤退します」

「はい」
「分かった」
「なんだこのタコ坊主、偉そうだな」

 田代に坊主扱いされた善行は笑った。
「脱落しそうな弱気な者から叩きのめしていきます。相手の士気はもろい。いいですね」
 嫌そうな顔をする田代。
「汚い手だ」
「貴方はそのまま戦いなさい」
「当たり前だ!」

 言い捨てて田代は戦いを再開した。
善行は優しく笑って手をたたいた。
「それでは、いきますよ皆さん。3、2、1」

 善行の指示は確かに効いた。脱落者が出ればこれが連鎖する。それで数の優位が失われれば、瞬く間に戦意が雲散霧消し、逃げ始める。

「倒れている人の足を折っておいてください。それを手がかりに後で追求しますから」
「そこまでやるか!?」
 田代は善行の顔を見てにらんだ。善行は肩をすくめた。猫を抱きしめた萌から見れば、善行は今まで見たこともないほど怒っていた。 冗談めかして怒っていた。
「私は貴方と違って小心者でね。反撃されるのが怖い。怖いから徹底して倒す。隊にかくまって貰うなどとそういうことはさせない。 必ずどこまでも探し出して再起不能にします」

 田代の目が細くなる。この少年と比べてなんて汚れた奴だと思った。
「お前は悪党だな。俺は悪党は嫌いだ」
「私は貴方のような有能な人が好きです」

 そして、二十人目を叩きのめして、萌の前に現れた。四人と二匹。

 黙る来須と面白くなさそうに腕を組む田代を左右にして、速水はにっこり笑って言った。
「大丈夫?」

 喋れそうもない萌に代って、善行は口を開いた。
「貴方達のおかげでね。無駄話は後です。学校にもどりましょう」

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 人間達の足元で、黒猫ハンニバルは白猫の顔を見ずに言った。
「スキピオよ。人に味方するのはやめたのではなかったか」

 スキピオも黒猫の顔は見なかった。そして、同じ方向を見た。
向き合うよりも同じ方向を見ることに意味があると思ったのだった。

 スキピオは言った。
「俺が味方したのは人の形をした猫だ。人間ではない。糞のような忠孝は死んだ。今は猫のような忠孝がいる。猫は誇り高く死ぬべきだ。 奴が英雄を介添えするのであれば、俺は奴の死を介添えする」
「良い死を迎えるといいな」
「迎えるだろう。俺がついている」

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 田代は速水の方を向くと、少々照れながら口を開いた。
「アンタの名前は?」
「僕? 僕は、速水。速水厚志」
 速水という名前を言うときに胸のどこかが痛んだような気もしたが、速水はそれを無視して言った。

 田代は顔を真っ赤にして言った。
「アンタは立派だ。……アタシは田代、アンタの味方だ」
 田代はもう少し自分は格好いい事を言いたいと思ったが、それ以上は言えなかった。
言って声がうわずるのは嫌だと思ったのだった。
「またな」

 背を向けて右手と右足を同時に出して歩く田代に、善行が声をかけた。
「まってください」

 頬のほてりが一瞬でさめる田代。振り向きざまに目を細める。
「口止めしなくたって、黙ってるよ」

 首を振る善行。こう見えて、善行は田代に感謝していた。萌を傷つけずに済んだのは、この人物のお陰と思っていたのだった。
「いえ、貴方の原隊はなんですか?」
「5113」
「511戦車中隊。パイロットですか」
「アタシは背が高すぎるよ。整備だ。笑うな」
「まだ何も言っていません。いや、うん。ちょうどいい」
「何いってんだ、このタコ坊主は」

 善行は頭をかいて言った。
「私の部隊に来ませんか。田代さん」
「はぁ?」
「私は5121、小隊長です」
「廃品回収してまわっているくねくねした奴は知ってる。メーカーの社員にまじってた」
「ええ。私はその隊長です。私は貴方のような有能な人間を部隊に加えたいと思っています」

 有能だと? 田代は少々癇に障った。有能な奴は汚い奴だと思っていたのだった。
「俺はお前のやり方が嫌いだ。それと、俺は不良だ」
「知っています。でも、それが何か?」
「俺はお前に感謝しないぞ」
「かまいません。ここにいる彼らも私の部下です。私は私が気に入らない者と戦うものを、味方だと思っています。最大の手助けをしますよ」
「俺は頭が悪い。担当直輸入に言え」
「それを言うなら(ドスブッスリ)短刀直入です。私は貴方の治安維持活動に理解を示しています。これでいいですか?」
「頭のいい奴は……」

 田代が速水を見ると、速水は黒猫を抱いてにっこり笑った。田代の乙女心ツーストライクである。いや、三振だ。田代は無闇に電信柱を叩きながら 口を開いた。
「まあ、しかたねえな」

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第17回 (後編) 了