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/*/ なんだか得体のしれない男たち――手にそれぞれ武器のようなものすら持っている――を前に、萌は早足で駆け抜けようとしたが、 阻まれて肩をつかまれた。気持ち悪い汗ばんだ手。 手が震える。怖い。怖い。 「……呪……う……わ」 「はぁい。呪って呪ってーえへへへ。おい、あの糞女が来るまで適当に廻すぞ」 萌は声も立てられず、そのまま引き立てられた。 /*/ 「隠れろ」 来須は顔を出そうとする速水を路地裏に押し込めると、二十人ばかりの徒党を見た。 不思議と悪い奴らは徒党を組み、善き者は単独行動をしたがる。 速水に見られると厄介だなと来須は思うが、速水は押し込まれた瞬間に顔を出して、黒い服の少女が髪を掴まれて殴られるところを見てしまった。 「まて、数が多すぎる。……おい」 /*/ 来須が考えるよりも、速水はこういう光景を見慣れていたし、捕まった女も不運なことだという認識しかなかった。 そういうつもりだった。今までならそれだけ考えて終わりだった。 /*/ 「私はそなたならば、私と似たようなことを思うのではないかと思ったのだ」 /*/ 速水は来須に腕を取られていることすら忘れて、心の奥底で不意に湧き上がった声を聞くと、顔をあげた。来須の手を猛然と払う。 ない胸を張り、堂々と。それは言うのだ。 「そこまでだ」 速水の心の中の舞にあわせて、速水は言った。それがその胸の中に居る限り、速水は幾億もの心の夜を抜けてなお、 胸に下げた青い宝石を輝かせることができた。 来須が驚いて帽子の下の目を見開くと同時に、速水は一歩踏み出した。 控えめにも大きいとは言わないその身体。女と見まごう優しい風貌。 だがそれは言うのだ。その心に住まうただ一つの憧れに、我が意地を貫くそのために。 「そこまでだ。手を放せ。その娘は困っている」 体格と数を無視して速水は言った。 それまで全てを盗んできた速水は、これは盗みではないと思った。 そして殴り掛かった。数の不利を少しでも補うための先制攻撃であった。 大乱闘が始まる。 来須は、初めて微笑かどうか分からない笑みを浮かべると、そのまま隣の一人を殴り倒し、速水の助けに入った。 /*/ 速水はただ一人からなる援軍にして守りの守りが登場するにおよび、最初面食らい、次に驚いた。 「なぜ」 来須は、何も言わない。もともと弁が立つ方でも、深く考える男でもない。 速水は、来須の沈黙が分からない。だが、心の中でののみが答えを言った。速水は笑顔を見せた。 それが速水と来須の、百戦を越える秘めたる戦いの、その最初になった。 速さと手技を主体とする速水に対し、来須は同じ速さでも大技を繰り出す方だった。 速水が追い込み、来須が一撃で倒す。 パターンの変更に速水は迅速に反応し、学習能力の高さを来須に見せつけた。帽子の下で来須は軽く目を見張る。瞬く間に殴り方が様になっていく。 その歩き方も視線の配り方も間合いの取り方も、誰かに似ている。 ガンプオード ガンプシオネ・シオネオーマ サイ・カダヤ オーヴァス 来須は心の中で歌った。速水は必死に戦っている。 /*/ 良く使いに走らせる小僧達に情報を聞いて田代が駆けつけると、そこではすでに乱闘が始まっていた。 誰だ? と、田代は思う。戦時中に人間同士で喧嘩するなんてどんな奴だと、自分のことを棚にあげて思った。 乱闘の中央に立つのは少年だった。優しい顔。だが、優しいだけでは終わらない顔。 だが、その少年は、田代が好きだった伝説のウサギに似ていた。ストライダーとして世界を渡る伝説のウサギ。 その兎似の少年は、黒い服の少女を守って戦っていた。 /*/ 来須は乱闘のさなかで水色の瞳を向けると、速水が青い青い瞳をしていることにいまさら気づいた。正真正銘の青い色。 そして来須は、己の運命を納得した。なるほど。俺が死ぬのは決まっているらしい。 「たずねるのは俺の方だ。なぜ戦う」 /*/ 遠目に映る速水は、ひどく小さく、だが誇らしく見えた。 そして田代は、速水に惚れた。 あははっ。 発作的に笑い、田代は顔を赤くすると、己の左右の拳を打ち付けた。 「いよいよアタシの命を預けるときが来たね。最高だよ、最高だっ」 そして叫んで車道に出ると、ガードレールを飛び越えて、輝く鉄拳を一人の悪漢の顔に叩き込んだ。 「俺は田代! どこのだれかは知らないが、味方する!」 一瞬動きが止まる敵味方。田代は息を吸って、もう一度立場を明確にした。 「俺は頭の悪い方の味方だ!」 /*/ 速水が照れくさそうに笑うと、田代は我が意を得たと拳を輝かせ、敵陣に突っ込んだ。 瞬く間に三人を吹き飛ばし、田代は女と思えない野太い声で吼えた。 来須はすかさず相手の動揺につけ込んで拳を振るった。そうして、田代の拳で開いた陣形の穴を広げはじめる。速水が追随したが、 来須はそれを押しとどめた。 「速水、お前は女を守れ、攻撃は俺達がする」 視線を移せば、恋心を暴力で表現する女、田代はいつもの三割増しのペースで相手を叩きのめしていた。拳が残像を残して青く輝く。 速水の視線を感じ、田代は今日の俺はマジ格好いいところを見せるぜと心に誓った。 拳が輝く不思議より、速水は芝村という言葉に激しく反応した。来須の顔を見上げる。 /*/ 黒猫で二股尻尾のハンニバルは、塀の上から人々の愚かな争いをダークグリーンの瞳で睥睨していたが、ただ速水の表情を見て、表情を和らげた。 愚かな母猫が間違えるのも分かる。シオネに似ている。少なくとも、その必死さは。嘘つきなのも、頭が悪いのも同じだ。絶望的な状況で絶望的な 嘘をつきながら涙をためてあがき続けるところも。 見えない防壁が一度、速水を助けた。 ハンニバルは髭を揺らしてニヤリと笑うと、尻尾を立てて誇り高く歩きだした。 /*/ そして黒猫は歩みをとめると、萌を見上げた。 萌は、耳を疑った。 次の瞬間、善行が純白猫のスキピオを背に掴まらせ、颯爽と言うには程遠く、息を切らせて登場した。 間髪入れず、眼鏡を投げ捨て、歯を食いしばって一人を殴り飛ばした。 「委員長!」 速水は善行の表情を見て、舞は違うと思ったが、別のことを言った。 「はい」 田代に坊主扱いされた善行は笑った。 言い捨てて田代は戦いを再開した。 善行の指示は確かに効いた。脱落者が出ればこれが連鎖する。それで数の優位が失われれば、瞬く間に戦意が雲散霧消し、逃げ始める。 「倒れている人の足を折っておいてください。それを手がかりに後で追求しますから」 田代の目が細くなる。この少年と比べてなんて汚れた奴だと思った。 そして、二十人目を叩きのめして、萌の前に現れた。四人と二匹。 黙る来須と面白くなさそうに腕を組む田代を左右にして、速水はにっこり笑って言った。 喋れそうもない萌に代って、善行は口を開いた。 /*/ 人間達の足元で、黒猫ハンニバルは白猫の顔を見ずに言った。 スキピオも黒猫の顔は見なかった。そして、同じ方向を見た。 スキピオは言った。 /*/ 田代は速水の方を向くと、少々照れながら口を開いた。 田代は顔を真っ赤にして言った。 背を向けて右手と右足を同時に出して歩く田代に、善行が声をかけた。 頬のほてりが一瞬でさめる田代。振り向きざまに目を細める。 首を振る善行。こう見えて、善行は田代に感謝していた。萌を傷つけずに済んだのは、この人物のお陰と思っていたのだった。 善行は頭をかいて言った。 有能だと? 田代は少々癇に障った。有能な奴は汚い奴だと思っていたのだった。 田代が速水を見ると、速水は黒猫を抱いてにっこり笑った。田代の乙女心ツーストライクである。いや、三振だ。田代は無闇に電信柱を叩きながら
口を開いた。 /*/ 第17回 (後編) 了
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